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子育てパニック 結婚≠子育て

 首凝りが酷い。肩凝りも辛い。腰も痛いし、膝も痛い。一人でのびのび生活していても身体の不調は起こる。今日は、何処にも出かけなかったので、誰とも喋っていない。声を出したのは、ニャンコに「ご飯だよ!」と言ったのと、「般若心経」を唱えた時だけ。
 身体の不調だけでなく、心の不調も起こる。コロナ禍は、第三波が来そうで、北海道は大騒ぎだ。
 そんな時、ふと考えた事。40年前にも思った事だった。「結婚≠子育て」
 真愛の結婚は早く、22歳だった。教職に就いて2年目が終わった頃だ。大好きな厚洋さんと結婚できたのだから、何の不満もなかった。(厚洋さんが付き合っていたと言う人が色々いて、ヤキモチを焼いたが、真愛を愛してくれている事が確かめられたので、まあまあ…。)
「結婚して厚洋さんも落ち着いたね。」と言われ、「若くて可愛い嫁さんだね。」と言われ大満足だった。
 しかし、一年たっても子供ができないと、周りから「〇〇○?」とやかく言われる。まず、北海道の親戚から言われた。「できないもの仕方がない。」と思っていたが、当時は嫁のプレッシャーを感じた。厚洋さんは、
「子どもは、授かりもの。気にするな。2人で旅行でもして気分を変えるか?」
と言ってくれた。
 旅行の計画を立てている時に、妊娠が分かり、旅行準備は、赤ちゃんを迎える準備になった。
 愛しい人の子なので、それはそれは嬉しい事。厚洋さんも大喜び。母も義父母も大喜び。真愛とお腹の中の赤ちゃんを大切にしてくれた。まして、教員をやっていたので、「切迫流産」を2回。お腹の子に向かって呟いた。
「ママに、しっかり掴まってなさい。」
 元気な男の子が生まれた。可愛いと言ったら嘘だ。猿みたいな子で、夜中によく泣く。真愛のオッパイは、厚洋さんのだったらしく、子どものために初乳を絞り出すだけで終わった。
 すでに、そこから「子育てパニック」だった。「母親失格」のレッテルが貼られた。
 子育ては、厚洋さんも手伝ってくれたし、真愛の母親も「おばあちゃん」として、張り切ってくれた。
 赤ちゃんが赤ちゃんらしくなると可愛い。寝ている時など「天使」そのものだった。どこの家の子より、我が子が世界一可愛く思えた。自分の命より大切な命になった。
 厚洋さんは、真愛より子煩悩で親バカだった。親子揃って色々なところに行き、「可愛い子ね。」って言ってもらって喜んでいた。お揃いの服を着て、毎週日曜日には、お弁当を作って出かけた。
 ところが、子どもが3歳になった頃だっただろうか。気が付かないうちに「子育てパニック」になっていた。

 真愛の友達や同僚が旅行に行ったり、食事に行ったり、恋をしたり華やかになったのだ。
 真愛は、子育て中なので、職員旅行も行かない。好きだったスキーもスケートも、皆んな休止。厚洋さんとのデートもなくなった。真愛は、独身の友達を羨ましく思った。
 大好きな厚洋さんも真愛より息子を可愛がった。それは、当然のことであり、子育てを手伝ってくれているのだから、側から見れば素晴らしい夫なのだ。
 しかし、結婚した当初。
 亭主関白の厚洋さんに気に入られようと「彼よりも早く帰り、和服に割烹着になり、夕食の支度。『おかえりなさい。お風呂にしますか?お食事にしますか?』なんて女房をやり、真っ白なレースのネグリジェを着て御褥に上がって、娼婦」になった。 
 しかし、1ヶ月で力尽き、「私は貴方の女中じゃない。」と泣いた。勝手にやって勝手に力尽き泣くのだから始末に負えなかっただろう。厚洋さんは、
「お前は大事な俺の嫁さん。真愛のままでいいんだよ。やれる範囲でいいんだよ。」
と、抱きしめてくれた。要するに、真愛は、「良い嫁」に思われたかった。完璧にできない完璧主義者なのだ。
 子育ても3年目で、「良い母親」もやれなくなったのだ。情けないガキのままの女が子どもを産んで、理想通り行かなくて、駄々を捏ねたのだ。しかし、言えなかった。
「貴方と結婚したのは、子どもを産むためじゃない。貴方が好きだから…。貴方と一緒にいたくて、貴方に可愛がってほしくて…。」と。
 結婚とは、「その人が好きで、一緒にいたいと思う」からするのだと今でも思っている。 「子どもが欲しいから」結婚するなんてのは、愛がないと思う。
 だから、結婚して子どもさんが授からなくても、仲良く幸せに過ごしている方々をたくさん知っている。子どもがいなくても結婚は成立する。
 だから、子供というのは、「愛の産物」なのだ。素敵な言い方をすれば「愛の証」だ。
 そこに「愛」がなければ、子どもは、つくってはいけない。(なんかどっかのCMみたい) 性欲の吐け口だったり、遊びだったり、愛のない結果の妊娠は、授かった命だが流すしかないのかもしれない。
 そんな考えの真愛なので、「子どもにヤキモチ」を焼いたのだ。今考えると、幼稚だったのだ。(今でも幼稚だと思うが…。)
 この「子育てパニック」を上手く解消してくれたのは、厚洋さんだった。「子育てパニック」だけではない。真愛のストレスを見抜いて、心の安定を保たせてくれていたのだ。
 子どもが寝てから、よく学校の話を聞いてくれたり、教材研究の話をしてくれたり、真愛との時間を持ち、可愛がってくれた。
 真愛の言えない
「母親より女として愛されたい」
「母親より職業人として認められたい」
の思いを満たしてくれた。そして、「お前は、可愛いな。頑張ってるな。」と言ってくれた。
 最近のドラマで「恋する母たち」ってのがあるが、なんとなく分かる。そういう思いが子どもが自分の手を離れる頃まで、繰り返し襲って来た。周期的に、三歳・六歳・九歳・十二歳。
 その度に、いや毎日、厚洋さんは真愛の事を気にかけてくれていたのだ。それは、真愛が、「彼のやりたい事は、全てやらせたし、お給料も家に入れない事を認めた。彼のやる事に口出しはしなかった。」からだと思う。
 結婚して、片方だけが何かに縛られて身動きできなくなったら、絶対にその場から逃れたくなると思う。「母親」「父親」「妻」「夫」
「稼ぎ手」「家守り」みんな「〜しなければならない。」に縛られて、「人間・人」ではなくなってしまう。
 子育てが終わり、2人だけの生活になっても真愛と厚洋さんは「恋人同士」でいた。
 互いのために何時も「綺麗」でいた。格好の悪い事はしなかった。束縛はしないが、一緒にいる事が安心する存在だった。
 言いたい放題、したい放題の厚洋さんも、真愛が拗ねれば、お菓子を買って来ておべっかを使い、「おいで!」って言って抱いてくれた。
 大好きな厚洋さんのために、部屋を綺麗にし、美味しい料理(おつまみ)をたくさん作り、毎晩、マッサージをした。決して嫌ではなかった。厚洋さんが喜んでくれるのが嬉しかった。
 これは、結婚≠子育てだったからだと思う。
「子育てパニック」だけではない。人と人が長く一緒にいるためには、何かに縛られてはいけないのだ。その人が人間として生きてこそ
「母親としての自分」でいられるのだと思う。そんなイライラは、周期的に来るのが普通なのではないだろうか。
 それとも、真愛が特別な駄々っ子で、移り気な性格なのだろうか。

 移り気な真愛が一番長く続けられたのが、厚洋さんとの結婚生活だった。
 


 
 

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります