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魚座満月の赦し

このあいだの呟きで「生命維持って意味がわからない」と書いて、それは変わらないのだけど自分なりの答えが出ました。面白い。

書いている時、感情をただ出しているまさにそのときは答えも気づきもわからずただそうであるのだけれど、その後勝手に、ふと、わかることがあります。

これは答えや気づきを得たくて出しているのではない。それはおまけのようなもので、ただ書きたい、出したい、やりたい、それがある意味目的でありゴールになっているから、そこで心や体は満足するわけです(頭は満足してないかもしれないが)。

そんな感じで、魚座満月あたりが面白かったです。

今回の満月は魚座で起こり、また星の配置も特別っぽくて(適当すぎる)、半端ない浄化の満月という感じでしたね。個人的にも意外なところで、つまり自分の頭で理解できるわかりやすい浄化ではなく「おお、ここか・・・!!」という、ニッチな、思いがけず深い部分で自分への赦しというか、もういいよそのままで、という自分の生き方、人との関係性における受け取り方への圧倒的な受容がありました。

私が求めるものは深く重く狭く裏の裏の裏まで含めたもう後戻りできないぐらいの限界を含んだ全てだったのだけど、同時に軽くて開かれていて交換可能で今ここだけでOKな自由で流動的でいたい私もいて、つまり葛藤がすごい。

どちらも本当に切実な欲望で、でもあちらを立てればこちらが立たずで、そんな中途半端な自分の生き方(対象への態度)に生煮えのような、不完全燃焼さを感じていたけれど、そもそも人生に無駄も何もなく、その生煮えである私をただやりたくて私は意識と身体を持ったのかもしれない、と思えたのです。別に生煮えが使命とかじゃなくてね、ただ生煮えを体験したいだけっていうか・・・。「食べたことないからどんな味が知りたい」という味見のようなものです。味見というか遊びというか。

だから葛藤の赦しというより、私はそういう遊びをしたかったんだなという視点を赦したということかもしれない。遊んでいる最中はわからない。

そして面白いのは、その葛藤を超えた望みを放ったら、ちゃんと現実もそのようになるのですよね。だから生きていたら勝手にもう葛藤を赦さざるを得なくなった。努力とかなく。勝手にそうなった。

そして、圧倒的に軽さが出ました。

さみしさと切なさは半端ないが、同時に新しい風が、扉が、可能性が、びゅんびゅん吹き開いているのを感じて、そしてそうかこれが私が本当に望んでいたものだったのだ、と気づいた。

本当に望んでいた、と書いたけれど、それはただの気づきであって、真実だけどそれだけが全てではないな、とも思う。とても偶発的。出逢ったことによって無意識から勝手に意識に浮上した、芽のようなもの。

その芽は実際に起こってみて感じたただの「私の心の動き」に過ぎず、砂絵のようで、儚いな〜とも思う。色即是空の色のような。でもその気づきや頭の中での繋がり、現実との答え合わせのような化学反応が、とても面白いのです。

一つが繋がると伝染していく。人間関係で大きな気づきがあると仕事の方向性も変わっていくし、生き方も変わっていく。

この9月は私だけでなくみんなも変化の総仕上げというか、内面の脱皮っぷりが凄まじく感じる。これまで馴染んでいた服が似合わなくなって窮屈になって、新しいお洋服を探したり試着したり、お気に入りのブランドやショップを見つけて今の気分最新バージョンの自分になる感じですね。

では、また〜!


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