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談志の「芝浜」と、往年の名レスラーの再起

僕とプロレスの馴れ初め、全日本プロレス、秋山準


僕が物心ついた時代から常に寄り添ってくれた最大の娯楽、それがプロレス。
今から17年ほど前、『プロレス冬の時代』とまで謳われ、当時低迷していたプロレスを好きになったのは小学校高学年の頃。衛星放送、所謂CSと言われるマニアックな専門チャンネルがひしめき合う放送媒体を通して、僕はプロレス中継に夢中になっていた。

「プロレスがなんで好きになったのか?」と問われれば、その回答はとてつもなく長いものとなってしまう。だから端的に纏める。

『強い心を持ち、堂々とこの世を生きていく術、
そしてその大切さ』を教えてくれた

ということが非常に大きいのだと思う。

小学生の頃、僕は友達が少なかった。
テレビゲームやカードゲーム、マンガ、アニメに夢中になる周りの子供とは違い、僕はサッカー観戦、野球観戦、特にバラエティ番組を見ることに夢中だった。そんな僕と話を合わせてくれる友人など皆無に等しいものだった。
そうした日常の風景が、僕を弱者に追いやる。それ故に自分というものを強く持てずにいたのだ。しかし、そんなつらい経験や悩みすら馬鹿らしくなってくるほど、自分を奮い立たせてくれたのがプロレスだった。
どんなに非情な攻撃でも逃げないできっちり受けきる。そして一撃必殺の大技で敵を倒していくプロレスラーに強く生きていくきっかけを与えてもらった。

と、まあ”端的に纏める”と言っておきながら、だいぶ長くなってしまった『僕とプロレスの馴れ初め』。僕のプロレス史を深掘りしていくと本当に切りがないのでこれくらいにしておく。そこから少し話が飛ぶが、『全日本プロレス』という伝統のあるプロレス団体。プロレスを好きになってから、ここに固執することとなる。

全日本プロレスは日本の老舗プロレス団体の一つで、かの有名なジャイアント馬場さんが旗揚げしたことで知られる。僕は全日本プロレスに心を奪われ早17年の時を重ねた。人生のバイブルに等しき存在となった。

そしてこの17年もの間に全日本プロレスには色々なことがあった。色んな戦い、色んな選手の参戦等々。
そんな色々なことのうちで数年に一度、どういうわけかエース級のレスラーが全日本プロレスの会社内部のことを原因にして退団していってしまうということがあった。
その度に僕は落胆する。こんなスパイラルに陥ることが何度かあった。

しかしどういうわけか、こんなトラブルなどものともせず、全日本プロレスは潰れることもなく、歴史を重ね続け、来年には旗揚げ50周年を迎えることとなるのだ。

もうこれ以上何も起こらないでほしいと願うばかりだが、直近でこんなことがあった。

秋山準。1992年全日本プロレスにてプロレスデビュー。その後、会社の内部分裂の末2000年に一度は団体を去るも、2013年に再び全日本プロレスに入団。再入団後は団体の社長までも務めた。そして何より一番大きな彼の功績は2010年代に全日本プロレスの門をたたいた若手レスラーの育成。これに尽きる。
彼は第一線から身を引き、そうした自身が育てたレスラーをストーリーの中心に据え置くことにより、団体の若返り、活性化を実現させたのだ。
彼が団体にいることで団体の将来は安泰で、絶えず、いい選手が育てられていくことだろうと、ファンなら誰しも思っていた。

しかしながら、昨年、団体幹部ポスト、並びにコーチ職からの解任がなされた。
そしていつしか、団体の隅の方に身を置くようになってしまった。
そんな秋山選手に目をつけたのがDDTプロレスリングという全日本プロレスに比べれば新鋭のプロレス団体。流れは速いもので重役解任と時期をほぼ同じくしてDDTへ移籍をすることとなる。

この話題が表面化した際、僕には虚しさしか残らなかった。
ここ数年、元気のなかった全日本プロレスを再び軌道に乗せた秋山選手をなぜ失わねばならなかったのかと。
そして何より、プロレスを見始めた頃から大好きな選手である秋山選手が全日本プロレスから居なくなってしまうということに。。。


生業の肯定、落語。古典落語との出会い。


2020年、コロナ禍に陥った一年。今まで街で飲み歩いてばかりいた僕にしては珍しく、家に籠る時間が格段に増えていった。

家ですることも特になければ、しなければならないこともない。そんな中でひょんなことから落語に触れることとなる。
そもそもこれまで僕にとって落語といえば笑点に出ている落語家の印象が強いくらいで、あとは一度付き合いで寄席を見に行ったことがあるくらい。
正直、今一つ夢中になれなったし、無理にはまりにいこうともしなかったのが、今までの僕の落語人生だ。

しかしこの流れを断ち切ってくれたのが、コロナ禍で無我夢中に聴いた神田伯山のラジオであった。
世間では『100年に一人の天才講談師』と言われている伯山師匠が見せる他愛もない話に耳を傾け続けた。それから僕は伯山の虜となり、もっとこの人のことをよく知りたいと思うようになっていったのだ。

伯山師匠のことを知ろうと様々のものに触れているうちに、こんな動画を見つけ、興味深い話を聞くことができた。

講釈師として講談をすっかりメジャーにさせた伯山。でも元をたどれば、古典芸能の世界に足を踏み入れるきっかけとなったのが落語家・立川談志の存在だという。

談志師匠の大ネタの古典落語『らくだ』がこの世で最も優れた芸術作品だと熱弁する伯山師匠。落語のことが何なのかさっぱりわからない僕でもすぐに『らくだ』を聴いてみたい、という衝動にかられた。

乱暴者とそれにおびえる男が登場する滑稽噺。物語が始まった段階で主人公が既に鬼籍に入っているということも特徴的な話だ。

感想を結論から言うとあっという間の60分間だった。話し言葉だけでドラマを忠実に表現する、談志師匠の噺に感動しかしなかった。
そして僕も伯山師匠を経由したことで、談志師匠の作品に更に触れていきたいと思ったのだ。そこで何気なしに触れたのがこれ。

『芝浜』
酒浸りで全く仕事もしない魚の商人があるとき大金を手にする。その大金で大酒を飲み二日酔いで目覚めたと思ったら、その出来事は夢であり、幻であるということが家内から告げられ、それがきっかけで心を入れ替えて勤勉に働くようになり… といった落語の人情噺に分類されるこの噺。

「働く」とは?「お金」とは?「夫婦」とは?…
この一つのネタを通して様々なことを考えさせられた。
愚直に生計を立てていくことを気づくのがこんなにも大変で、それを実践するのはもっと大変で、ただ強い心を持てるよう、日々鍛えていかなければいけないなあということを強く感じさせられた。

こんな僕の感想に加え、落語ビギナーの自分でもすごいと感じたことがあった。
それは、談志師匠の『芝浜』は夫婦の会話だけで噺を成立させてしまうのだ。
他の落語家の『芝浜』は主人公の友達が出てきたりと、少なからず脚色されていたりする。しかしそんな脚色を必要ともせず、大ネタとして聴き手を感動させる談志師匠に圧巻させられた。

伯山師匠の魅力についてはまた今度書くとして、ただ彼が憧れて止まないという立川談志師匠のネタを聴き、そして人間としての談志師匠を辿っていくと、こんな名言に行き着いた。

「落語とは、人間の業の肯定だ」


この言葉は僕の周りで起きている様々なこと、そして大好きなプロレス、色々なことを考えさせられた落語のネタとを、一つの線に結び繋げてくれる大きな金言にしかならなかったのだ。

最近、僕は周囲からの反対を押し切り、あることに踏み切った。自分の理想を求めてのことだ。他の人がどう思っていようと最終的に自分の望むことを選んだ結果だ。

最近、僕が大好きなプロレスラーである秋山準が、これまた僕が大好きな全日本プロレスの会社フロントとの不和から団体を飛び出し、別の環境にチャンスを求めにいった。
秋山選手からの視点を持つと、団体を出ていってほしくないと願うファンの自分はただの他の人、外野にすぎない。
秋山選手は秋山選手でしかなく、自身の望むべき道を選ばれたのだと思う。

(秋山選手は団体移籍後早々にベルト獲得。再び第一線を駆け抜ける姿はまるで、水を得た魚のよう。更なる活躍が期待される。)

最近、僕は談志師匠の芝浜で勤勉さを説かれた。そして、落語の根底には生業の肯定ということが存在することを知った。
落語の様々な噺にあるように、生業とはいろんな形を為しており、それが良かれ悪かれどんな形であれ肯定してくれる文化が存在することをよく知った。

自分のコト、他人のコト、最近僕を取り巻く環境では様々な人間の業が様々な形で存在している。
その人間の業が落語という文化では肯定され、人間の輝きを引き立たせてくれる。
この落語の文化に倣い、僕自身が身の回りにある出来事と向き合う際に、僕の主観で見たときに納得いかないことでも、それを最終的に肯定しなければ人にも、物事にも輝きを生むことはできないんだと感じた。

今回「虚しさ」が残ったと表現した秋山選手の全日本プロレス退団の件。
これはあくまでも僕の主観。でも秋山選手の主観に重きを置き、肯定しなければ、移籍したDDTにての大活躍、レスラーとしての再起はなかったはずだ。

『出る杭は打たれる』という言葉が日本には古くから存在するように、どこか変わったことをすると否定がうまれるのがこの世の常。
しかし出る杭は打たずに、何かを肯定する落語も古くから存在する不思議さも感じたが、やはりこの世の生き方、可能性の芽を摘むことをやめ、前向きの思考を持つことが大切であると痛感した。

また少し逸れるが、僕が大好きなプロレスは落語同様に「業の肯定」ができ得る娯楽だ。
例えば『誰々と誰々がタッグを組んだけど、誤爆攻撃があって仲違いして敵対するようになった』とか、
『同期入門、デビュー以来ずっとライバルだった二人が大会場のメインイベントで一対一で戦えるようになった』とか。
そういったエピソードも人間を介して行われる、謂わば業だ。自らの生業と重ね合わせることができると考えたのだ。
それを観て、楽しむことこそ『業の肯定』であろう。(だから長年プロレスに関心を傾けることができたのかもなあ)

そんなことを『芝浜』の舞台である竹芝の港を見ながらふと思ったので、頭の中の文章化して書き残しておくことにしたのです。 おわり


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