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「祈りのかたち」 土偶 そして、布偶

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柿渋染め作家の冨沢さんの作品ですが、何とも可愛い布偶の少女。冨沢さんも縄文フェチで、倉敷で行われた作品展には彼女のミニコレクションである縄文時代の石器や道具のカケラも展示販売されました。そのとき譲り受けた石器は歴史の授業で生徒たちに一人一人握らせてやると、キャーキャー喜んでくれます。なんで持ってるの、先生?という質問に、好きだから、、日本の縄文時代がね、って答えます。

話が逸れてしまいましたが、冨沢恭子さんは縄文時代の道具に造詣が深く、それらをモチーフに作られた渋染めの布偶はどれもプリミティブで土の匂いのするような作品ばかり、なのにどこか愛嬌があって可愛いのです。きっと長い間、本物を手に取り、眺め、ずっと大切にしていらっしゃったのだと思います。一つ一つの作品はもちろん、コレクションの道具たちについても詳しく説明をしてくださいました。私はこの少女と磨製石器、そして、縄文時代の女性がつけていた耳飾りの破片を頂戴しました。

縄文時代の人々の生活に思いを馳せると、いろいろ想像をして楽しいのです。子供の頃に赤毛のアンをカルピス劇場でみて、こんな空想をしている子が私以外にもいるんだって嬉しくなったのを覚えています。私の想像は未来へも行くのですが、過去の世界へ飛んでいくことが多々あり、古代のエジプトやインカ、マヤの世界へは毎晩のように旅しました。そこで私は勇敢な女戦士だったり、絶世の美姫だったり。

私が土器を美しいと初めて感じたのは、2001年の新春に東京国立博物館で行われた特別展 「土器の造形-縄文の動・弥生の静」での展示をみたときでした。教科書でしか見たことのない土器が、あんなにも美しく古代の人の手で作られたものなのに、芸術作品のような迫力で迫ってくるのです。側で見ていらした初老のご婦人は隣に立っていらしたご主人に、こんなに素晴らしいものを見ることができて感動したと、涙を流していらっしゃいました。私も泣きました、かなり激しく。芸術は爆発だって唸っていらした岡本太郎氏も縄文の虜で本を出版するほどの熱量でした。確かに縄文土器は爆発するほどすごいのです。

土器を作ったのは女性だったそうです。近くにいらした学芸員の方の話を盗み聞きしながら、一緒に廻らせてもらいました。人間は炎を見ると興奮する動物だと思うのです。昔、火事を何度か見て、確信しました。小さなトンドでもフッと楽しいのです。また、話は脱線していますが、真冬に土器を作る女たちが炎を見ながら興奮し、さらに凄いものを作り出す、そんな繰り返しがあったのではないかと私の空想ですが、、、。

そして、土偶。最狭義では、縄文時代に作られた土人形を指すそうですが、動物などもあり、霊的存在と思しき像もありますよね、宇宙人的な。古代なのにユニバーサルで何とも楽しい縄文時代。人々のお墓だったところには花粉も残っていてお花を亡き人にお供えしていたそうです。教科書の何とも言えない原始的な人々の絵図よりも遥かに豊かな精神世界があったのです。

縄文時代の人骨を調べると一生のうちに人々は何度も飢えを経験していることがわかるそうです。食べ物を求めて移住しながら助け合い、健康と平安の祈りの中から土偶や美しい祭事の土器が生まれたのだとすれば、世界に類を見ない進んだ文化だと思います。そして、そんな豊かな人々の子孫としてこの国に生まれてきたことへ改めて感謝の思いを抱くのです。

2020年が、そして、これからの日本が強くなくても、心穏やかに、私たちの豊かな文化を大切にしながら生きていけたらと祈っています。




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