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Momo @ Buzz Cafe on Homer st._Dec. 16th 5:55p.m.

 モモに会ったのは、去年の冬の終わりのことだ。

 今どき、80’sのハードロック好きな女がいると、同じクラスの奴が紹介してくれた(そいつはTheBeatlesの熱狂的なファンだったが、後から聞いた話ではモモにフラれたらしい)。

 待ち合わせ場所のカフェテリアに向かうと、エントランスの外にモモは立っていた。朝から寒い日で、雪が散らついている。小さな体が分厚いダッフルコートに埋もれているように見えた。

「これ」

 あいさつもなく差し出された紙袋はずっしりと重く、昔の音楽雑誌を切り抜いたスクラップブックや絶版モノのバンドの写真集、どこで再生するのかVHSテープなどがぎっしり詰め込まれていた。

「おおお、」

 思わず声を上げると、モモは大きな目を線にしてうれしそうに笑った。

 その日から俺たちは自然と会うようになったが、付き合い始めたのは夏のことだ(春に一度フラれた)。

 午後のクラスの後、Wreck Beachでマニアックな音楽談義をしていたら、いつのまにか日が暮れようとしていた。

 空も、海も、世界のぜんぶが激しくピンク色に染まり、水平線の上で太陽が巨大な火の玉のように燃えている。

 モモはハッとしたように立ち上がり、ぴょんぴょんジャンプしながら「沈まないで~!!」と叫んだ。

 その姿がおかしくて「なんでジャンプしてんの」と聞くと、「一瞬でも長くあの太陽を見ていられるように」と、真剣な顔をして息を切らせている。

 一緒にジャンプしながら叫んでいるうちに、モモは腕の中にいた。

 一緒にいればいるほど、俺はモモの危うさに魅かれていった。果実の桃のように、やわらかくて甘い。でも少しでも強く指で押さえたら、そこから痛んで腐ってしまう。

 生きることがヘタくそなモモはいつも、じゅくじゅくとむき出しの存在をさらしていた。

 理由もなくモモが泣くとき、その細い背中を抱きしめながら、俺はモモと世界をつなぐ皮膚になる。俺を通してモモが呼吸できるように。俺を通してモモが笑えるように。

 だけどそうしているといつでも、自分の方がモモに包まれているような気分になる。宇宙に浮かぶ星みたいに、モモの涙に永遠に閉ざされていたいと思う。 

 Homer streetにあるBuzz Cafeはモモのお気に入りの場所だった。

 中二階のギャラリには、ローカルアーティストの絵が飾ってある。だだっ広い空間に商談用の大きなカウチがいくつも置かれており、冬の間はよく二人でカウチに沈んだ。

 ある日、ダウンタウンのクリスマスマーケットに行こうと、そこで待ち合わせをした。予想外にバンドの練習が長引き、乗ったバスが辺鄙な場所で立ち往生し、しかも運の悪いことに携帯の電池を切らしてしまった。

 連絡するすべもないまま、ギターケースを背に走り、90分遅れでカフェにたどり着く。モモは窓際に座っていた。

 汗に湿ったマフラーをほどきつつ駆け寄ると、ぽろぽろと涙をこぼしながら黙々と、キャロットケーキを食べている。真っ赤な生地にアイシングをたっぷり乗せた、恐ろしく巨大なやつだ。

 BGMには何故かAC/DCが流れている。シュールな風景だった。

「ごめん、モモ」

 返事はない。隣に腰をおろし、粉と砂糖のかたまりが次々とモモの中に吸い込まれていく様子をただ見つめる。

 最後の一口をフォークですくうと、モモはやっと顔を上げた。そして儀式のようにゆっくりと、俺の唇の前にケーキの欠片を差し出した。

 口の中に甘ったるい香りが広がった瞬間、気付いたことがある。泣き虫で気分屋で食いしん坊なモモ。でも俺は、その真ん中にあるものを愛している。

 モモがキャロットケーキという実存よりも、その甘みがもたらす幸福な本質を愛するように。

 皮膚も肉も骨も越えた、一番奥にあるもの。どんな顕微鏡でも捕まえられない、美しい粒子の振動。モモだけが奏でられる、音楽。

 ヘヴィな北米的ケーキは決して好みの味ではなかったが、この時の一口ほど美味しいと感じたものはない。

「早く屋台のホットチョコレートが飲みたい」鼻声で言うので、「うん、行こう、ワッフルも食べよう」と、モモの肩を引き寄せた。

 涙の跡を残したまま、モモは俺を見上げて笑った。

 店を出ると雪が降っていた。去年と同じコートを着たモモは、寒い寒いと痛いくらいにしがみついてくる。

 いつかこの小さな体がシワシワになって天に召され、まるはだかの魂になっても、きっと俺はモモのそばにいる。だから今はこうして、この危うくやわらかな生きものの存在すべてをただ抱きしめていよう。

 交差点の向こうに、クリスマスマーケットのイルミネーションが見えてきた。まるで天国の門のように、それは二人を迎え入れようとしている。


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『Ku:Cafe in Vancouver』はバンクーバーに実在するCafeを舞台にした12のショートストーリー。2014~2015年にフリーマガジン『Oops!』で連載されたものです。

挿絵は愛知在住の画家/シンガーソングライターの原田章生さん。

書籍購入は、コチラから。


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