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我愛臺灣「民主主義国家」

【政治に参加する意識】

台湾人は老いも若きも政治には強い関心を寄せていて国民が政治の当事者であるという意識も高いため選挙の投票率も高く1月11日に行われた台湾総統選の投票率は74.9%となりました。

日本と違い台湾では不在者投票などの期日前投票制度がなく、投票地も現住所でなく戸籍のある場所になっているため台湾の国内外から選挙で投票するために多くの台湾人が帰省するのです。

逆に不在者投票などの期日前投票制度があり選挙に行きやすい環境にある日本のほうが投票率は低く2019年の参議院議員通常選挙では、10歳代が32.28%、20歳代が30.96%、30歳代が38.78%となっていて全年代を通じたも投票率は48.80%と半数にも満たない状態なのです。

【台湾と日本の民主主義の違い】

台湾民主的国家としての歴史は1996年3月23日に総統以下の政治家が国民の選挙によって選出されてからで、その歴史は日本より短いのですが、敗戦によりアメリカ主導によって与えられた日本の民主主義とは大きく違います。

台湾は第二次世界大戦終結後、日本の統治時代が終わると1945年10月に蒋介石率いる中華民国・南京国民政府軍によって中華民国の領土に編入され、それと同時に台湾を統治する機関である台湾行政公所を設置されたことから中華民国統治時代が始まります。

1949年5月19日には台湾省戒厳令が台湾省に布告されると台湾は中国国民党による一党独裁の寡頭制が続いていましたが1970年代に入るとデモ隊を投獄し言論弾圧を行った美麗島事件をきっかけに台湾内で民主化運動が盛んになります。

また1984年には、国民党の内情を記した「蒋経国伝」を出版した作家が、滞在先のサンフランシスコで、中華民国国防部軍事情報局の意を受けたチャイニーズ・マフィアに殺害されると当時のアメリカのレーガン政権が戒厳を解除するよう圧力を掛けたのです。

それによって38年間もの長期にわって施行され世界最長の台湾の戒厳が1987年7月15日に解除されることになったのです。

そして1990年代前半の台湾民主化の父と言われる李登輝の総統の時代に本格化した中華民国の民主化の結果、外省人に対する本省人の政治的地位が向上したこともあり、台湾では自らを中国人ではなく台湾人としてのアイデンティティを持とうとする台湾人意識が高まったのです。

台湾人は国民自ら勝ち取った民主主義の意義の大きさと現在でも中華人民共和国という独裁国家に主権を脅かされ続けていることに加え国際社会において国家として承認されていないという台湾という主権国家の脆弱さを知っていますから、その政治を司る政治家やリーダーの指導力に大きな期待をするのと同時に厳しい審判をするわけです。

日本のように二世、三世議員や知名度だけで当選できる選挙とは大きく違うのです。

【危機管理能力】

政府の能力は平時よりも有事に大きな差が表れるということが今回の武漢肺炎で露呈しました。

SARSの経験値はあったにせよ、その対応は台湾と日本では大きく違い、結果現時点での国内情勢は明らかに違う結果をもたらしました。

台湾は民主主義国家の維持と台湾人としてのアイデンティティを守るために外交的にも絶えず緊張感があり国民の意識が高いため、明日の台湾が今日の香港にならないように民進党の蔡英文を総統として選出したのです。

その結果が成功だったということは、そういったリーダーを選んだ台湾人本人たちが一番実感していることは言うまでもありません。

それに対して日本は他国に自国民が誘拐されようと領海侵犯され国土を実効支配されようと、ミサイルを飛ばされようと何もしない、何もできない国でいます。

また中国マネーによって多くの水源や日本の土地や建物が買われてしまったり、国内経済をインバウドに頼りきってその国の独裁者を国賓として呼ぼうとまでしていた国です。

その政府のおかしな対応は今回のウイルスの水際対策やその後の対応にもよく顕れていて日本国民の多くはよく分かったはずです。

ここにきて国難を迎えた日本の平和は相当脆いものだと気付かされました。

戦後の70年の間、焼け野原の敗戦国、日本は大きな経済発展を遂げて平和を謳歌してきたことは事実ですが、それは平和ボケでいたためともいえ日本人は能力のない政府や国会に対してもずっと無関心でいれたのです。

日本国民の政治への無関心が政治家の放漫や欺瞞を増長させ、恒常化したのがまさに今の日本の危機管理能力で、当然といえば当然の結果なのです。

また危機管理能力の低い政府や国会を見て平和を守り抜くことは民主主義を守り抜くことであり政治への参加なくしては成し遂げられない事実であることも台湾を見ることで目の当たりにしているのです。

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