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【特別対談】アニエス・ポワリエ×鹿島茂 『パリ左岸 1940-50年』を語る

毎月1回、仏文学者の鹿島茂さんが、ゲストの方と語る「月刊ALL REVIEWS ノン・フィクションの回」。2019年10月は、初の海外からのゲスト、アニエス・ポワリエさんを迎え、ポワリエさんの著書『パリ左岸 1940‐50年』について語りました。
1940‐50年という、第二次世界大戦をはさんだ激動の10年に、パリ、セーヌ川左岸のサン・ジェルマン付近に集う知識人の人間模様を描いた大作。サン・ジェルマンは古書店も多く、鹿島茂さんにとってもなじみの深い場所です。お互いの興味が近いことを確かめ、対談は始まりました。


戦争中を書かずして戦後は書けない

ポワリエさんは当初はパリ解放後の10年を書くことを計画。ところが、調査を続ける中で、戦争中の出来事こそが戦後を形作っていることがわかり、1940‐50年を描くことに計画を変更しました。切りのいい10年を描くことは、出版社にも歓迎されたそうです。
この時期を選んだ結果、サルトル、ボーボワール、カミュなど、戦中・戦後の言論をリードしたフランスの知識人・文化人のみならず、ナチスドイツの宣伝部隊員で、戦時中フランス文学を検閲しながら守ったゲルハルト・ヘラーや、戦後、パリにやってきたソール・ベロ―などのアメリカ人も交えた、30人以上の登場人物が交差する、一大人間絵巻が描かれることとなりました。

ポワリエさんがまず苦労したのが取材。取材OKとなった人が取材を受ける前に亡くなられることも一度ならずとあったそうです。また、取材相手が真実を語らないことも。最終的に、当時の日記などが一番確かな資料だったそうです。


鹿島さんの定宿はボーボワールの定宿

鹿島さんが着目したのは日本語版の表紙の写真。ポワリエさん自身がボーボワールが居住していたオテル・ラ・ルイジアーヌの10号室を撮影したものですが、このホテル、鹿島さんのパリの定宿でもあるのです。パリ・サンジェルマン地区にしては珍しく、今でも100ユーロ以下で宿泊できるお値打ちの宿。ただし、ねずみが出たこともあるそうです。

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ポワリエさん曰く、この当時パリは住宅難であったことや、家族を作るという伝統的な価値観への反発から、サルトル、ボーボワールの他、多くの知識人がホテルに居住していました。また、この本の登場人物の殆どは、サン・ジェルマンを中心とする徒歩圏内に住んでおり、性的な関係を含む、濃密な関係を作っていきます。ポワリエさんは、登場人物の相関図を作って改めて、その濃密な人間関係に驚きました。

外国人から見たパリ


鹿島さんは、この本を読むと、占領中のパリと解放されたパリが、断絶ではなく、一続きになっていること、また、横光利一の『旅愁』を引き合いに出し、外国人から見たパリが描かれていることに関心を持ちます。


ポワリエさんは、検閲の任務にあたっていたゲルハルト・ヘラーがフランス文学への敬意を持ち続け、出版社のガリマールなどに対し、自分が検閲することがないようにと言っていたことを引き合いに出します。このような背景のもと、占領下のパリでは、意外なほど、自由な出版が行われますが、その一方で、出版社は自律的であることを求められます。

また、戦後は多くのアメリカ人がパリを訪れます。その大半が「パリ大好き」な人々だったのですが、ソール・ベロ―はパリ嫌いを自称。家族との住まいは右岸に持ちますが、仕事部屋をサン・ジェルマンに借ります。『オーギー・マーチの冒険』はパリへの複雑な思いが反映されています。

本書は政治的な動きについて書いたものではありません。戦中から戦後にかけて、知識人が濃密に関係しあった時代の一コマ一コマが切り取られている作品です。

『パリ左岸1940‐50年』のあらすじは鹿島さんが書評でコンパクトにまとめていますのでご参照ください。

対談終了後、ポワリエさんは英語で簡潔なお礼をツイートされてます。このツイート、英語の勉強にもなります。ポワリエさん、ありがとうございました。


ALL REVIEWS友の会では、毎月、鹿島茂さん、豊崎由美さんをホストに、ゲストと本にまつわる対談を行っています。

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【この記事を書いた人】くるくる

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