世界は断片でできていて

世界は断片でできていて、きっとつながっているものなど何もないのだ。と考えてしまう日々を過ごしている。9時過ぎの中央線東京行きの列車は、8時台の息もできないラッシュほどではないけれど、それでも町の中では絶対に経験できないほどの距離で、新郎が新婦のヴェールを上げる時くらいの距離で、いま初めて会ったばかりのおじさんと向かい合って無言で立ち尽くさなければならないくらいには混んでいる。そんな距離で居たおじさんも新宿で挨拶をすることもなく降りていく。たった1分扉が開き、数千人の人生が行きかう。あのおじさんとはきっともう二度と会わない。午後になって、昼の弁当を選ぶ頃にはその存在すらも忘れてしまうだろう。おじさんも私の顔を覚えていることはないだろうし、そうやって幾千もの過ぎ去る断片として世界に忘れられていく事で、なんとか今、私は生きていけている。

遠い空に花火があがる!
花火があがると地上ではかならず誰かが別れていくのだそうな。
「なぜ?」
なぜ、なんて訊くな、なぜ、なんて。
祭りでは質問は許されないのだから。

寺山修司、「寺山修司の戯曲6」、『恐山』1986年 思潮社

「その人と初めて出会ったのは?」と聞かれたとき、私はいつも困る。井の頭線で会ったのが最初だったのか、保育園の洗面台の鏡の前で会ったのが最初だったのか、高校の倫理の時間に前後の席になったのが最初だったのか、それとも。思い出せないが、その人はいつの間にか私のそばに、大きくなった子羊のように座っていた。よく覚えているのは不器用な手で、ノートパソコンに付いている自撮り用カメラをテープで神経質そうに塞いでいる背中と、コンビニのアイスもなかを私と半分に分けようとして慎重にちぎっている手とそれにつながっている腕、そして肩であった。いつもその人は私に正面を向かなかった。ただ背中があって、それでよかった。

2011年のあの日、私は試験休みで家にいて、少し遅いお昼を食べながら居間で映画を観ていた。その人は東京の海の方で開かれていたその人が志望する大学のオープンイベントに行っていた。会えたのは3日後だった。何も変わらないその人を抱えても、私は泣かなかった。経験したことのない揺れが毎日続き、目に見えない塵が飛んでいるから不要な外出はするなと学校から連絡が来た。泣けなかった。私にとって私を揺らす大地は、テレビの向こう側とのつながりにはならなかった。コーヒーに入れたミルクの泡が小刻みに揺れる。私の恐れか、その人の心か、大地が震えているのか、それともその全てなのか私には分からないくらい混乱していた。

キアロスタミのいうように、「日常の出来事」から直接影響を受けて映画を発見し直すことが、映画の最前線に至る近道のひとつであろう。(中略)その際に、当然と言えば当然だが、フィクショナルな仕掛けが必要になる。なぜなら「日常の出来事」は、そのままでは決して日常的ではないからだ。

佐藤真、『日常という名の鏡』、1997年 凱風社

袋に覆われた豚が、袋をとってくれと懸命に懇願してくる夢を頻繁に見るようになった。私もその人も、受験の準備で忙しかった。特に受験の話はしなかったが、それでもその背中を抱えるだけで何かよかった。

焼き芋を買って半分にして食べた。私は半分に芋を割るその人の手と腕と、それから肩を見た。雨なのでベンチには座れず、歩きながら芋を食べた。その人の手にある発電所の続報を伝える新聞に包まれた半欠けの芋を見たとき、それぞれの場所に行く未来が、まるで熱いお茶を飲んだように実感を持って私の中に落ち込んだ。芋を食べながら私は泣いた。橋の上で、スロープの下で、2年前の放火で燃えて無くなってしまったお稲荷さんの前で、私は春の雨に濡れながら、雨にうたれどろどろに溶けてしまった芋を食べながら泣いた。その人はただそこにいた。夢であればいいと思った。夢だったのなら、目が醒めれば納得できた。夢であればいいと思った。でもその人は、濡れて溶け落ちた新聞を手にくっ付けて、同じようにそこに背を向けて立っていた。

吉祥寺の駅前へ冬になると必ずやって来る焼き芋屋が、そろそろ来なくなりそうな春の日の事だった。

その晩、豚の隣にその人が立っている夢を見た。夢の中でもその人は私の方に向かなかった。

劇は、あらかじめ準備されているのではなく、相互創造の機会のなかではじめて開演されることになる。(中略)われわれのヨーロッパは、技術化の発展過程のなかで死滅し、その蘇生は政治化の過程のなかに約束されることはない。

寺山修司、『迷路と死海』、1993年 白水社

その人と過ごした日々を記録したら、きっと私の中の記憶はどこかに消えてしまうと思った。昔は友達の家の電話番号は暗記していたのに、いまはその人の電話番号すらも覚えていない。消えてしまいそうな記憶の方が、変わってしまいそうな記憶の方が、機械的に残されてしまう記録よりまだマシだとさえ思っていた。

カメラを父から貰った。中古のPENTAXのフィルムカメラ。カメラが怖かった。撮られるのが本当に怖かった。でも写真は撮りたかった。その人のことは撮れなかった。撮りたかったけれど、撮ったらそこで終わりな気がして撮れなかった。終わりは向こうから来てほしくて、こっちからは行きたくなかった。いつでも会えると思いたかった。でももう二度と会えないことも分かっていた。

とにかく、一分一秒でもその人に触っていたかった。冷え切った手を重ねて、その人の体がダイナミックに脈動するのを感じた。私の脈動も感じてほしかった。何度も手を組み替えた。指と指の間に私の指を潜り込ませた。その人の指がゆっくりと優しく私の指を撫で、爪が指をこするのを感じると、時は限りなく遅く過ぎてほしく、ただただその人の指が一回でも多く私の指を撫でるのを感じたかった。耳を胸に当て、その人の呼吸を聞いた。私の呼吸も同じぐらいかそれ以上に聞こえて来た。その人の香りが「うん」と一息ついて身動きする度に新しく私を包み込んだ。

世界は私とその人だけの繋がった体温のある月に閉じ込められていて、その外側はアンドロメダ銀河の向こう側を私が知らないのぐらい、知らなかった。

「ペテルギウスはもうすぐしたら爆発すると言われています。オリオン座の四隅のひとつが欠ける、オリオンが夜空から永遠に消えるのを、私たちは見つけることができるかも知れません。でもそれは星の時間の話です。もうすぐ、があと200年後なのか、もう既に爆発してしまっているのか、それは地球に居ても分からないのです」

昼休みの後、地学の授業が進む蛍光灯が細かくまたたく教室で、黒板の右上の隅に書かれた日付を見つめて、カレンダーの中に立体的に自分を置こうと努力した。今日の日付の頭の上には先週があった。足元には来週があった。背後には来月が障子紙を隔てて控えていた。卯月の雨は今日も止まない。

四月は風のかぐわしく
雲かげ原を超えくれば
雪融けの草をわたる。

宮沢賢治、『種山ヶ原』 

恋していたわけでもない。愛していたわけでもない。もっともっと身近で普通な特別の日々だった。私は呼吸をするようにその人とともに居た。呼吸にどれほどの努力が必要なのか何も知らずに、私は呼吸をしていた。

吸って吐いて吸って吐いて吸って、また吐いて。

意識するまではしなくて良い、この呼吸の意識の境目こそが、私が持つその人に向かう気持ちだった。

プンタ・アレナスよ!ぼくは、とある泉に寄りかかる。老婆たちが、そこへ水を汲みに来る。彼女たちの一生の悲劇について、いまのこの婢としての身振り以外には、ぼくは何も知らずにしまうはずだ。一人の少年が、壁に首をもたせて、声もなく泣いている。ぼくの思い出に、彼については、慰めがたい一少年として以外、何ものも残らないはずだ。ぼくはエトランゼだ。ぼくには何もわからないのだ。ぼくは、彼らの帝国にはついにははいってゆけないのだ。

サン=テグジュペリ著 堀口大學訳、『人間の土地』、  1955年、 新潮社

おととい、砂漠の国へ自衛隊の人々が向かっているのをニュースで見たとき、私は初めてその人のLINEを知らない事に気づいた。電話もメールも知っているのに、LINEは知らなかった。LINEで連絡を取れない事が特別な感じがあってよかった。しかし、自衛隊の派遣を見たとき、息が苦しくなる不安に襲われた。私はその人とずっとともに居た気がしたが、考えてみれば携帯電話という一つの機械を通じてのみしか、その人と遠くにあってつながれることは無いのであった。

大学。それは私にとってとてつもない大きな存在であった。塾の広告には高校三年間は大学に入るための準備期間かのように書いてあったし、キャンパスライフというどことなくアメリカ西海岸の雰囲気を感じる言葉に浮足立っても居た。でも、その人と私はもう同じ時間を過ごすことはできなくなる。

大学に入って、兵役に行けば、もうその人と会う事は叶わない。大学の専門分野ごとに配属先は決まる。私とその人が同じところに行くことなど有り得ない。これは決まりだ。この国に生まれて来たものの定めだ。そう私は教えられてきたし、そう教えていくつもりだ。それが正しいのかは私には分からないが、やはり私はそう考えるしかなかった。考えられなかった。

幾千もの散り散りになった断片たちは、毎朝箱の形をみんなで作る。新宿で吐き出され、不安げにぶつかったり悪態をついたりしながら断片たちはビルに吸い込まれて再び箱になる。遠くの国では断片たちの同胞が同じような断片を千切ろうとしてやっきになっている。

私が悪いのか。その人が悪いのか。首相が?大統領が?民衆が?悪者探しなど無意味だと叫ぶ人間の絶叫。そんなに叫んで誰を呼ぶ。来月も悪者は悪者か。いつ果てるとも知らない先月を背負って悪者は今日も山を越え、泣き叫ぶ親子から身ぐるみ剥いで市に売り、消費税を払ってビールを飲むのだ。

地球の裏で何か起きているのか、それとも地球の裏でも私がその人と向き合って布団に丸くなって寝ているのか。

あなたはほんの12時間前にその場所を通ったのですよ、分からないわけ無いじゃありませんか。私は多分世界で一番映画に出演しているものです。今日はサモアでの飛び込みに虹をかける仕事をしながら、宜野座の発電システムを回して、ロシアのひなたぼっこ委員会を運営しているんです。はっはっは。

川に憧れる日々。流れてきた水はその行く先も知らず、おとなしく高低差に倣って行く。先を潤しながら沢山のいきものの暮らしを運ぶ。私も液体となって流れたい。でもその人に流れたいとは言えなかった。その人の目を見てものを言えなかった。あまりにも心が見える目で、私はそこに何かが写るのを恐れていた。その人の心を知りたくて知りたくて、知りたくなくて、それでも知りたかった。

もうすぐ別れの日が来る。

時々夢なのか本当なのか分からなくなることがある。その人がどこにいて、どの人がその人なのか、私は明日もその人がその人であると分かっていられるだろうか。その人が私を私だと思ってくれるだろうか。

昔の記憶は夢と同じ。ずいぶん前に見たような南国の橋を渡る夢は、実は小さい頃に父に連れられて行った場所の本当の記憶で、そんな夢なんか見ていなかったりすることもあった。匂い、感触、私の頬への風そよぎ。指の間に残るその人の爪の感覚。

その人はまだそばにいる。

やっぱり夢か。いいさ、夢でも。

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