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Disorder

私たちは確かに一緒にいた
高校三年生の放課後の
あの夏の少し前の夜に
千葉の渋谷と呼ばれる駅の
あの少しだけソフィスティケイトされた
ペデストリアンデッキの上で
なんでかって百貨店の目の前でフットライトなんかがあって素敵だったから
そして確かに別れた
頑張ってねとか気をつけてねとかそういう言葉をかけて
唇を日高屋の中華そばの油で滑らせながら
それは時に吉野家だったけど
でもあの時私たちは非常に閉塞的な自分のやるべきことに雁字搦めになっていた

離れ離れになったときは
私はこの辛い現実から逃げ切る方法に
指定校推薦という言葉にまだ気づいていなくて
センセーショナルな事件だの文豪だの精神分析だのヘビメタだの洋画だの学生運動だのに救いを求めた
死ぬしかないなんて思った
死にたかった
あなたと心中したい 夜の街を抜け出して
狭くて汚いチェーンでもないネカフェの
小汚いシートの上で ホコリを最後の晩餐に
でもどう頑張っても1日12時間勉強しても
あなたに会うことはできなかった

次にあった時あなたは死人になっていた
あなたという死人にかける言葉はなかった
それからきた季節は秋で、冬で、春で、夏だった

それが私の人生の終わり
あまりにも文学的で衒学的で刹那的で非常に幼稚な

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