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今までの時代、今という時代、これからの時代(ユヴァル・ノア・ハラリ)

 さて、そろそろネタ切れです。厳密に言うと「いままで纏めてきたネタがつきそう」という意味。書きたい事はもっと一杯ある。例えば、アドラー心理学とか阿弥陀仏とか構造主義とかマタイ効果とかとか。
 ただ、纏まっていないので更新速度は相当落ちる。。。

 今回はハラリ氏の紹介を先に。知の巨人、と言われている人。多少冗長だけど、面白いです。

 結論を先に言うと「未来は誰にも分からない」というお話である。
 結論が先なので、図解も先にしてみた。

図1

 世界人口の推移から人類史を眺めてみよう。産業革命以降、急激に人口が伸びている。これって、何が起こっているだろうか?
 大体何らかの革命が起こって、その結果人口が増えるのだが、産業革命以降の人口の伸び方は異常。
 現代は、政治・経済・科学技術の3軸で回っている、と言われている。
 日本は?というと。
  政治:民主主義
  経済:資本主義
  科学:何主義とかあるのか?
 という状態であり、一応先進国、と言われている。
 そしてこの爆発的な人口増加は、この3軸がグルグルと良い感じに回って起こっている。ある意味、日々何らかの革命が起こっている状態、と言っても過言ではない。(少なくとも、農業革命レベルが毎日起こっているような状態)

 中々ピンとこない、と思う。かくいう自分も、ピンと来ていない。
 自分の生活で考えて見よう。電話で考えて見る。
 自分が小さい時は家電話だった。NTT(旧電電公社)から権利を10万円とかで買って、という時代。
 それが
  家電話→ポケベル→ガラケー(当時は携帯電話)→スマホ
 と変革してきた。
 それにより、生活様式も大分変った、と思う。
 この新しい技術がもっとゆっくり出てきたのなら(つまり家電話だけ)なら、今の生活は昔の生活と大して変わっていなかっただろう、と思う。

 つまり、少なくとも科学技術により、昔は「人生の内で生き方が変わらなかった」が現代は「人生の内で生き方が何度も変わる」という事を示している。
 そして科学技術は経済とも連動していて、実は政治とも連動している。(経済的、政治的に無価値な科学技術は、実は発達しない。というのも、誰も投資しないから)
 昔は「老害」と呼ばれる人はいなかった。何故なら、若者がこれから進む人生は老人がこれまで進んで来た人生と大差なかったから。だから、ロールモデルとして役に立った。
 これは、今「老害」と言っている年代の人達は、将来「老害」と呼ばれるようになる、という事を示しているし、いわゆる老人の生きてきた道は、これから生きる道にはなり得ない、と思われている、という事だと思う。(温故知新で考えればそんな事はないが、それを理解している人は少ない、と思う)
 ただ、例外として「老害」と呼ばれた時の対応方法については、ロールモデルになり得ると思うが、ネガティブな内容だ。

 では、これから先の未来はどうなるのだろうか?とハラリ氏は様々な提言をしている。因みに解はない。
 ポイントは、科学技術の発達。
 AI、バイオサイエンス、ロボットや、コレから出てくるであろう新しい科学技術により、世界はどう変わるのか?

労働力不足は解消する。
 その代わり、労働力不要の時代になり、「役立たず階級」が大量発生する。
 少数のプロフェッショナルのみが必要で、売り手市場となる。優秀なら職に就ける訳ではない。
 そして、グローバル化により、日本国民全員が「役立たず階級」となる可能性、もある。
 これはAIやロボットの台頭により「労働力が金を生み出さない時代」という事である。
 この時、我々は「仕事はお金の為にする」という根本を問い直す時代になる、と思う。
 要はベーシックインカムで充分なお金が貰えたとして、それで人生の意味が充足するのか?という問い、である。
 また、この労働力不要の時代の中で、バイオサイエンスの発達により、人による「インテリジェント・デザイン」が進んだとして、脳を活性化させる薬が出来たとする。
 その時代に、我が子を「役立たず階級」にしたくない為に、その薬を使うだろうか?
 使わない、と答えるかもしれない。が、周りがみんなやっていた場合、どうだろうか?その時「囚人のジレンマ」が発生しないだろうか?少なくとも、現代の機能論的人間観に沿った考え方では、一定以上の割合で、薬を使うだろう。そして貧富の差(要は生まれの差)を理由に、薬の利用が無償化される。それでもまだ、使わないだろうか?(これは大学無償化の理論と同じ道を辿るのでは、と思っている)

貧富の差は拡大する。
 富が局所化し、労働は富を生み出さない時代になる。
 現代でも、既に富の局所化は問題視されていて、2016年段階で、資産上位62人の合計=下位36億人の合計、という数字があり、更に拡大する、と言われている。
 「労働が富を生み出さない」なら、何が富を生み出すのか?というと、資産である。「お金に働かせる」という表現があるが、そのことである。
 つまり、生まれた家が資産家なら、その資産を運用してより多くの富を生み出す、という図式である。
 資本主義の成り立ちを考えれば、これは何も間違っていない。
 例えば、資本家が投資をしなくなったら、世界はもっと悪くなるだろう。そもそも新自由主義で考えるなら、見えざる手によって悪意ある資本形成は淘汰される筈だ。
 要は、未来はマタイ効果を更に促進させる。
 持たざる者はより持たなく、持つ者はより持つようになる。
 元来、公平・公正とはそういうモノなので、当然の帰結だと思う。

長寿化する
 医療技術の発達により、人はどんどん長生きになる。そして健康寿命も延びるだろう。
 そして、シフトが早い時代、初めに受けた教育は無用の長物になる可能性もある。
 つまり、何度も新しい教育を受ける必要がある、という事であり、新しい時代に合わせて自分をバージョンアップさせていく必要がある。
 これは単純に「自己啓発」という意味では、決してない。
 もう少し言うと、労働が金を生まない時代、富が局所化する時代でもある。そのような時代に、どうやって自分をバージョンアップさせて行くのか、という問題も含んでいる。

 因みに、現在もこの状態への途上にある。
 例えば、1989年、世界の時価総額ランキングで日本企業は32社入っていた。2019年には1社のみ、である。1989年の花形産業はなんだったろうか?そして現在は?と考えてみるとどうだろうか?
 この差たった20年、である。
 この状況を、1989年に予測出来ていた人はいるだろうか?
 そして、このペースで世界が変わって行った場合、また新しい技術によって更に加速された場合、我々はついていけるのだろうか?
 そもそも、人間はこれほど早いシフトについていけるように出来ていない。何故なら、今までゆるゆると成長してきたから。
 この早い変化を否定する、というのは科学技術の発展を否定する、という事であり、つまり医療技術の発展の否定、でもある。
 例えば「長く生きたい、死にたくない」という願いに対してどう回答するのか?命じゃなくても、腕がなくなった、足がなくなった、目が見えない、耳が聞こえない、という問題に対して、どう回答するのか?
 そもそも科学技術を発展させる動機の一部は「人助け」である。これに対してどう回答するのか?
 もし、それでも早い変化を抑制する事を望むなら、最も手っ取り早い方法は、「インターネットの使用禁止」である。これを世界的に、それが無理なら日本だけでも、法整備すれば良い。

 もう一度、結論を言うと「未来は誰にも分からない」という事である。

 これは「教育者は将来役に立つために何を教えなければ良いのか分からない」という事でもある。
 「学校教育は将来の為なんです」と無邪気に言えないし、「それ将来何の役に立つんですか?」の解として「知らない」という事でもある。
 そして、多様化の時代とは差別撤廃の時代であり、あらゆるカテゴリは個人に還元される時代である。
 日本の文化で言えば「自己責任」である。
 自由と言う文化で言えば「自分の行動に対して責任を取る」という事である。

 だとするなら、我々はこのような時代に、どう生きて行けば良いのか?
 お金さえあれば、幸福に生きて行けるのか?
 社会から「あなたはいらない人(役立たず階級)です」と言われ、「十分にお金あげるからね(ベーシックインカム)」とお金を貰い、それで幸せに生きていけるのだろうか?だとするなら、人間の尊厳とはそのようなモノなのだろうか?

 現代における「未来は誰にも分からない」とはこういう事、だと思う。

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