海のはじまり 1~4話①
海のはじまりとnoteのはじまり
自分の大きな一歩として、書かせてもらうのが、この大作とは、、、
どうも、はじめまして。初投稿の J (ジェイ)です。
いやあーとってもうれしい! このドラマがあってよかった。そして、noteというスペースがあってよかった。というのも、普段、私は計り知れないほどのインプッターで、それを開ける空間を持っていない、、
オブラートをはがせば、トモダチ、スクナイ、ドラマ好き、イナイ、、
はあ、、、 (笑)(笑)
このままいくと語りたいことも語れないまま、感情を忘れる大人になってしまう!と思い、ドラマが、生方さんが、ここまで引っ張ってくれました。(笑)
そんなこんなで、自分の好きなものを時には 熱く 語りたい場をここに作ろうと思っております。
とはいえ、もう4話も終了して海、夏、弥生、南雲家は次のフェーズへと踏み出そうとしているため、これまでで一番好きなシーンを二つ!(けど今回は一つ!)挙げたい!
① 一番好きなセリフ
それはある日、考え込みながらアパートに帰ってきたとき、大和が家にいた。
大和「大丈夫? 元気?」と葬式の日から会っていなかった兄の様子を見に来ていた大和。
そこで夏が、朱音さんの言葉を思い出す。「何でですかね。」
夏「大和さあ。」
「お父さんと2人で暮らしてたとき、どうだった?」
大和「どうって?」
夏「あの、、、その、、」
大和「兄ちゃんが、お母さんと2人だったときと、同じじゃない?」
「この人までいなくなったら終わり、 みたいな」
これですよ。 もう、一位です。 好きな言葉がたくさんあるけど、まだこのセリフを超えるものは出てきてないです。
聞いたときは、ドカンときたね
いやあ 大和についてまだそんなに描かれていないけど、見てきたものが、違い過ぎる。
夏のインターバルで、この一言が出てくるのは尋常じゃない。
「終わり」で、少しうなづいて「みたいな」で顔上げて夏を見る
→夏の表情を映す くぁああ!いいねえ~~~!
大和の夏に背中を向けて顔だけこっち向いて話してるっていうのもいいな
正面からいう言葉にしては、ちょっと恥ずかしさもあるのかなと思ったり、夏たちと出会う前は、このことをずっとどこかで思ってたのかな、とか想像できたり あと、言われた後の夏の表情がめちゃくちゃいい
でも、このときの大和は決して考える前に言葉が出ちゃってるようには見えないなあ まあ、他の場面でそういうときが多かったのだと思うけど
他の人が恵まれていないってことじゃないと思うけど、恵まれていることに、私は両親を二人とも一度も失くしたことがない。
だからこそ、なぜこの言葉を出せるのか、と圧巻でした。
体験できないことも、してこなかったことも、話聞いて観察して、熟考して苦労して自分じゃない人の人生を書けるというのが、作家というものだと勝手思ってるし、生方さんがどんな生い立ちなのか知らないけど、これはさすがに
やっぱりある程度いい年になっている作家、脚本家の場合は、この言葉は出てきづらいのかな とステレオタイプ化して、いっちょ前に分析も少ししましたが、この文章には、やっぱり大和の幼少期から青年期をイメージさせるような、力が入っている気がします。[子供から見た"親"という存在]が入っている気がしました。どんな思いで2人でいたのか、お父さんのどんな顔を見てきたのか、自分がどんなことを思うようになったのか、ずっとどこかで遠慮してたけど言えなかったこととか、そういうことを想像する大切さが伝わってきました。
反対に、親が「この子までいなくなったら終わり、 みたいな」って言ったら、それは全然話が違ってくると思うし、想像する感情が全くの別物だなと思いました。
私のは考察でもなく、身も蓋もないただ一番好きなセリフを挙げただけですが、初投稿が巻物になってしまいそうなので、今回はこの辺で。
読んでくださった方は、こんな初投稿を読んでいただきありがとうございました!ぜひ、たまーに見に来てやってくれるとうれしいです(笑)
と、そんなこんなで私のnoteは 海のはじまりではじまりましたとさ。
次回、1~4話 好きなシーン② 弥生さんのあの時
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