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再会は広がりを連れてくるらしい

思考実験

高校の頃、次のような思考実験を否定できずにいた。

部屋に入り扉を閉めると、扉の向こうにいる猫や家族、物体など外の世界にある存在は消えてしまい、存在するのは部屋の中にあるものだけになる。
けれども扉を開けた瞬間に、扉を閉める前から一貫性のある状態で外の世界が構築されて、扉の外を認識することができる。

「違うだろうけれど、そうかもしれない」という内容の事柄を考えていた。
他の例は「世界は脳内のみに存在し、他人の存在も確かなものではない」という具合だったが、そういう非現実的なことを長い間考えていられたのだ。
しかし今はそういう時間は短くなってきて、かろうじて気に留めるほどになってしまった。
だから、備忘録としてこれにまつわる直近のエピソードを記す。


小学生のまなざし

好きな時間の使い方の一つは懐かしむことだ。
懐かしむことは経験を解釈しなおして価値観を撚りなおすことだが、その目的以外に過去に一層の愛着が生じるという働きをもたらす。
そういう理由で過去は懐かしむたびに、自らの内に存在感を増していく。

過去の中でも小学校の記憶は、同級生の在り方が象徴的であったという点において印象深い。
私も同級生も等しく幼かったために、受け取る印象も与えられる印象もシンプルで純粋だったのだ。
虫や体育の時間が「好き」であったあの子や、話す内容を懸命に迷う「奥ゆかしさ」を備えていたあの子や、褒められる「嬉しさ」を隠さずストレートに表現していたあの子や・・・・・・・・
あの子らが与えてくれた原色のような印象は、何度も自分の中に素敵なメッセージを残していくのだ。

けれどもあの子らが象徴的であるのは幼さだけが理由ではなく、その後関係が徐々に薄れていったことも理由である。
時が経つと会う機会も減り、今はやり取りをする人はただ1人のみである。
その彼以外のあの子らの大半はいつまでもあの時のままで、ただ思い返されるだけだったのだ。

そう、だったのだ。
偶然にもその一人と会って、そこにポジティブな変化が生じた。


彼女の歩みを想って

あの子は、負の感情を想像すら許さないまでに「誠実」で、後ろめたさとは無縁の存在だった。
全体の向こうにいる一人を考えて、その一人一人と真摯に向き合うことで皆をまとめていた。
何と対しても逃げることをしないその姿を見て、逃げることを既に受け入れていた自分は素直に「すごい」と心から思っていた。

時を経てあの子は素敵な人になっていた
その誠実さは変わらずに他人への思いやりがふるまいの至る所から伝わり、自分にできることをひたすらに積み上げてきたのだろうと感じさせた。
そして日常にある小さな幸せを大切に過ごしているのだろうと思った。
また大学の友人が彼女と接点を持っていたことを教えられたりもした。

そんな伏線回収のような展開にも驚いたが、それ以上に彼女がらしさを保ちながら素晴らしい人になっていたことが嬉しかった。
そして、視界の外にも確かに世界が広がっていて繋がり続けていることや、他人はどこまで自分から離れても自身の人生を送っていることを、身をもって思い知らされた。

表現を繰り返してしまうが、とても素敵な経験をした。


再会の意味

高校時代に考えた他愛もない思考実験は、もしかしたら論理的に否定できないものかもしれない。
しかし、今回の衝撃が大きすぎて、しばらくするとそれらを受け入れる事すらできなくなっているかもしれないと感じている。
扉の向こうが消えることはなく、ただ開かれるのを待ち続けていることを信じるようになるのだろうか。
そのことに対する恐れはない。
ただ取り返しがつかないだけのことだから、記録に残しておこうと思った。

小学校からずっと仲の良い彼と、彼女と、「成人式で必ずまた会おう」と言って別れた。
どれだけの再会が叶うか分からないが、彼女とはもっと話がしたいし、御恩を受けた先生方にもお目にかかりたいし、クラスメートの変わった姿も知りたい。
その場に重なる意味が大きくなるように、大事に懐かしみながら期を待ちたい。

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