見出し画像

選挙になるとたまに思い出す

亡き父はずっと自民党支持者で私を政治家にしたがっていた。中学の頃まで私を政治家にするという野望があったようだ。

きっかけは、私が5歳くらいで何もわからない時に、父親と一緒に政見放送を観ていて、瀬長亀次郎さんの演説に私が「この人受かるはずね!」と笑顔で言ったらしく、私は覚えてはいないけれど、父親は見込みがあると思ったようだった。

あの瀬長さんなので、そりゃ5歳にもわかったんでしょう。私が政治にどうのというよりも5歳児にも伝わる瀬長さんがすごいという話だ。

たぶん自営業をしていた父自身が本当は政治家になりたかったんだと思う。でも学歴がないことや学力に関してのコンプレックスがあるような感じがしていたので、それで私に期待をかけたのかもしれない。

父親の期待に応えたい気持ちもあるけれど、興味のない分野に進むこともできないし、そもそも器でもない私に希望を託されても重すぎる。

小学生の頃には父親と一緒に政見放送を観ることもなくなった。それなのに父親は将来私を政治家にするんだと周りにも吹聴していて、その時だけだろうと思っていたら、時折政治家の話をしてくるので本気なんだなと気づいた。

中学生になり、いよいよ諦めてもらわないと私の進路に影響が出てくると不安になった私は、はっきり言うと父親がかわいそうだから、言い出すのにかなり勇気がいったけれど、思い切ってその気はないと言った。

やっぱり父親はものすごく悲しそうだった。父親もわかっていてそれでも淡い淡い期待を持ち続けていたかったのかもしれない。それを感じていながら、父親の思いが今後大きくなっていくのが怖くて、はっきり伝えた。

その時の父親の悲しそうな様子が今でも忘れられない。

ずっと言わずに淡い期待を持たせてあげてた方がよかったのか。
私はそれを何年も気にしていた。

20歳になり選挙権を得た最初の選挙がやってきた。

私は一番最初の選挙は投票用紙に父親の名前を書こうと決めていた。

罪滅ぼしのつもりだった。いつまでも私の中にある父親に対して申し訳ないという思いを清算したかった。

父親の名前を投票用紙に記入し、父親の思いと私の罪悪感を用紙と共に投票箱に入れた。とても誇らしい清々しい気持ちになった。

そのことを父親には言わなかったけど政治家に憧れていた父親に人生で1票は入ってるからね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?