ふつうってなんだ
だいたいの人は、こう思ったことが1度はあるんじゃないかな?
「普通に幸せになりたい」
私も最近心の底からこう思っている。けど、この「ふつう」ってなんだ?って同時に思う。いい大学に入って、有名企業に入って、20代で結婚して、子供は2人、平凡でも経済的な余裕がある生活を送る。これが普通の幸せなんだろうか。
最近会社の同僚から「婚約したの」って言われて、私は何とも言えない気持ちになった。「おめでとう」って言いながら、胸には鉛みたいな黒い塊が引っかかって締め付けられている感覚が抜けない。それは、ただただ「良いなぁ」って羨ましく思う気持ちが心の底にズシンと沈んでいく感覚なのかもしれない。
歳の近い友達や知り合いを見ていると私はたまにある絵が思い浮かぶ。それは「ベルトコンベアー」それまで同じベルトコンベアーに乗って時の上を流れていた人たちが結婚を機に別のベルトコンベアーに移動していく。そして、それを眺めているとその人たちは揃いも揃って同じ流れに乗っていく。
入籍して、1年後に結婚式を挙げ、その一年後に妊娠する。もちろんそれ以外の流れもあるのかもしれないけど、少なくとも私の周りは8割以上の確率で揃ってこのベルトコンベアーに乗っているようだ。
それを「あぁーこれが普通なんだろうか」と別の場所から眺める自分がいる。そして、「普通に幸せになりたい」なんて気持ちとずっと同じベルトコンベアーに乗っている自分に対する自己嫌悪に飲み込まれそうになる。あのベルトコンベアーに乗れば、こんな鉛みたいな気持ちを抱えなくて済むのだろうか、世間の考える「普通」に当てはまって楽になれるのだろうか、って考えてしまう。もちろん、そこにはそこなりの苦悩があるのだろうけど。
冒頭に婚約報告をしてきた彼女は、地方出身で実家に帰ると年配の親戚に「その歳でまだ結婚しないのか。普通その歳ではみんな結婚する」と言われて泣いたと話していた。きっとこれで彼女は世間でいう「普通」になったんだろう。私は彼女の笑顔の裏に結婚する「幸せ」より「安堵」が見えたような気がして、それもまた羨ましく思った。
世の中の慣習やマスコミや人に刷り込まれたい色々な「ふつう」の重圧に押しつぶされそうになることが誰しもあるのではないかと思う。
そして、そんな重圧や真っ黒な感情に飲み込まれないように「人は人、自分は自分」という言葉を盾にして自分を守り、社会の中で日々戦っているのかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?