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危機が過ぎ去ったあとの音楽の行方を考える

最近メディアやインターネットでは「アフターコロナ」という言葉をよく目にするようになった。これは文字通り、新型コロナウィルス感染拡大が終息もしくは収束した後の将来社会予測について、感染発生前「ビフォーコロナ」の予測と比較論考し、議論する者たちが便宜的に呼ぶようになったバズワードである。イスラエルの考古学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏も提言するように、「アフターコロナ」の将来社会そのものについては、すでに一流の学者やコンサルタントが記事に寄稿したりインタビューに応じたり各方面で存分に語られていることもあり、僕みたいな素人が政治経済の行方について改めてどうこう述べるつもりはない。

一方で、エンターテイメントに興じる人たち、とりわけ音楽好きの人たちが関心があるのはもっとミクロな世界なのではないかと考えた。つまり、有識者がマクロ視点で予測してくれた将来社会をきっかけに、日常における音楽との関わり方がどう変わっていくかというシナリオは気になるところではないだろうか。また、そういう切り口での思索が仮にあったとしたら面白いのではないかと考え、今回勇躍筆を取ることにした。未来予測の手法にはバックキャスティングやフォアキャスティングなど様々あるが、ここは敢えてそういったアカデミックな手法にとらわれず、ライブ、音楽制作現場の観点から将来の姿(5-10年先)をラディカルに予測してみたいと思う。

ライブの変化

最近、ライブハウスが3密の場だからという理由で行政から営業自粛を要請され、有名ライブハウスが次々と閉店に追い込まれている。そもそもライブという形に活動のウェイトを置くミュージシャンは今多い。Youtube等動画配信サイトの出現により録音音源が無価値化しCDが売れなくなってきたことや、定額データ音源配信が主流になったことによりミュージシャンの手元に入るプロフィットが薄まってしまったことが起因する。つまりライブをした方が稼ぎになるということだ。

しかし今回のような危機が、仮に一つの空間で演奏するミュージシャンと観客が共存することで成立する、いわゆるライブビジネスを無くすべきだという社会通念を生み出した場合、音楽ビジネスはどう変化するだろうか。きっと、スタジオからの無観客ライブ配信という形式に転換していくのではないかということが考えられる。録音音源は儲からない、ライブハウスは使えないということになると、必然とビジネスはネットワークを介したリモートの世界へと現場を移すことになるだろう。すでに起きているアイドルのサイン会をリモートでやる時代が来るなんて誰が想像していただろうか。

ライブのチケットを購入する形式は従来と同様、ネットのチケット販売サイトで購入するが、そのチケットを持ってライブ会場に足を運ぶという行為は影を潜めていくだろう。代わりにチケット購入と引き換えに送られてくるログインIDとパスワードを使って、ライブ配信のサイトにアクセスできるようになる。自宅のオーディエンスはそれぞれお気に入りのスピーカーやヘッドフォンを使って、超高音質・超高画質ストリーミング配信されるライブを堪能する。オーディエンス同士はメッセージを送り合い感動や喜びを分かち合う。

レコーディングの変化

今に始まったことではないが、音楽スタジオに複数のミュージシャンが会し、一斉に演奏録音するスタイルはもはや時代遅れだ。デジタル技術の発達により昨今のミュージシャンは大半の録音作業を自宅でこなせてしまう。いわゆる宅録とよばれる作業だが、売れているミュージシャンほど自宅環境が整っているため、ミックスからマスタリングまでやれてしまうこともある。それぞれのミュージシャンが自らのパートを自宅で録音しデータ化。とりまとめて重ねることで、あたかも一つのバンドが同時演奏しているかのごとく聞こえるようになる(バラ録りと呼ぶ)。

もちろん、宅録には苦手分野も存在する。それは一発録りとよばれる、ジャズなどの即興性を要する演奏を録音するケースだ。仮に、各地点にミュージシャンが点在し、それぞれの楽器パートを同時に演奏録音した場合、今の通信インフラではネットワーク遅延が生じバラけた演奏になってしまうだろう。しかし今後5Gの導入が進めばそれも解決される。超多端末接続、超低遅延を機能に持つモバイル通信技術によりミュージシャンはいつでもどこからでも、世界中のミュージシャンとリアルタイムにセッションを行うことが可能になる。これは極端な話、ロサンゼルスの自宅にいるテイラー・スウィフトと東京の自宅にいるMay Jが同時に(一切の遅延なく)デュエット録音できてしまうということになる。

ミュージシャン同士が感染しない、ミュージシャンと観客が感染しない、観客同士が感染しない。そんな前提のもとに、ソーシャルだが距離がありパーソナル、インタラクティブなエンターテイメントへと変化を遂げていく可能性がある。あくまで可能性であり、筆者の勝手な推測である。

どんなにミュージシャンを取り巻く環境が変化を要求されたとしても音楽自体が無くなることは決してあり得ない。これは古来から、戦争や伝染病が幾多と続いてきたにもかかわらず新しい音楽が次々と生まれてきたことからも明らかである。


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