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【補足】「アングロサクソン年代記」抜粋翻訳の補足説明

【このページの概要】

「アングロ-サクソン・クロニクル (以下ASC)」の抜粋翻訳ページについて、翻訳の背景となる補足説明や参考リンクなどをつらつらと思いつくままに並べています。(随時追加・修正)

<!!注意!!>
個人(ド素人)の調査にもとづく、かなりテキトーかつ不完全な内容です

きちんと知りたい方はしかるべき資料を当たってください。


【このASC翻訳について】

「前半」ページの前書きと重複しています。

◆「Anglo-Saxon Chronicle」(「アングロ-サクソン・クロニクル」/「アングロサクソン年代記」etc)からの、抜粋・抄訳です。

◆ ヴァイキング(デイン)およびウェセックス勢(アルフレッド王まで)の動きを中心に拾っていますので、787年~902年前後の抜粋に限定して翻訳していきます。
(デイン勢の動きは902年以降もありますが、取りあえず。自分がアルフレッド王の信者なので。
※ ASC全体では A.D. 1年~1154年くらいまであります。

一部、あまり「激闘!デインvsアングロサクソン」に関係ない部分は未翻訳です。気が向いたら翻訳次第、追加します。
逆に、範囲外でも参考までに翻訳を入れてある年もあります。

◆各年の項にある副題(カッコ内)は、便宜的に訳者がつけたものです。原文にはありません。
例: A.D. 1 (ジーザス爆誕)

◆ 素人が片手間に訳しているものですので、間違いや勘違いなどが多いと思います。ざっくり参考程度にお読みください。
ガチガチの専門の皆さんには、生温か~い目で見守っていただければ...。
きちんとした内容は、関連書籍や論文が(日本語も含めて)多々出ていますので、そちらを当たってください。

日付なども(色々な異本や誤記があり、暦も当時と異なるので)あまり整合してません。

また、今回は「一次訳」とするため、あまり意訳せず、近代英訳版の直訳を心掛けていきますが、気を抜くと雑になります。
ご不明な点がありましたら、原文(古英語・近代英語訳)を当たっていただければ幸いです(下記「参考文献」を参照下さい)が、
明らかな間違いやお気付きの点はご指摘いただければ幸いです。

◆ベースとしている近代英語訳 (Ingram/Giles)は、180年くらい前のもので、複数の写本 (バージョン) が混ざっており、解釈間違い/陳腐化している部分もありますが、ネット上ですぐに読めることを優先して、Project Gutenberg/ Wikisource (下記「参考文献」参照) にあるこれらを使用しています。あくまでとっかかりの一歩とご理解ください。

固有名詞のカタカナ表記は、現代英語寄り、時々古英語もどき、あとはテキトーに気分で、という雑 of 雑です。多少発音を調べてはいますが、最終的に「好み」です。
既に一般的な現在の訳語がある場合(アルフレッド、カンタベリー等)はそのままにしていますが、そうでないものは、既存の出版物や論文などと表記が異なるかも知れません。
紛らわしく、独り善がりで恐縮ですが、適宜読み替え頂ければ幸いです。
例:
・「London」.... 原文古英語: Lundene, Lundenburg 等 →「ロンドン
・ 「Cerdic」.... 現代英語読み:サーディック等、古英語読み:チェルディッチ、チャーディッチ、?読み:ケルディック等→「サーディック」!! (申し訳ない...)
※訳注に元の語句 (英訳、古英語原文) を添えていますが、古英語の方は文法がよくわかりませんので、格変化したしたままかも知れません。(原文テキストからのコピペ)

【ページ内の写真・画像について】

基本的に、特に明記がない限り、訳者 (alfred_scribe) が実際に撮影した写真、または作成した画像です。
現地の写真は 2011年夏のものと 2018年秋のものが混在しています。


【『アングロ-サクソン・クロニクル』とは】

[アングロサクソン年代記」 Anglo-Saxon Chronicle (以下ASC):
アングロ-サクソン(5~11世紀のイングランド民マジョリティ)の歴史を、西暦 1年 (A.D. 1) からほぼ 1年単位で書き綴った、日本で言えば「日本書紀」のような編年体の年代記

9世紀後半に成立したため、ウェセックスのアルフレッド王("アルフレッド大王/ Alfred the Great" A.D. 847~901年頃)が作成を命じた可能性が高いが、現時点では明確な証拠はないので、あくまで推定

・複数の写本・異本 (断片も含めて10種くらい) が現存しており、アルフレッド王の死後も、12世紀頃まで書き足されていったバージョンもある。

古英語 (Old English) で書かれている。
※古英語:英語がノルマン語(ざっくりフランス語)とのキメラになる前の、ゲルマン系の言葉。
※1066年のノルマンの征服以降も書き継がれたバージョンには、中期英語(古英語&ノルマン語の混じった、過渡期の英語)も混ざる。

・オリジナルの古英語版ASCの他に、10世紀になってからラテン語に翻訳された「エセルウォード版クロニクル (Chronicon Æthelweardi/ The Chronicle of Aethelweard)」がある。
100年後に書かれており、このヴァージョンにしかない記述も多い (真偽不明) が、補足資料としてよく使われている。エセルウォード版の英訳テキストはジャイルズ版 (J.A. Jiles, 1906)、キャンベル版 (A. Campbell, 1962) など。原文のラテン語は微妙 (カタコト) らしい。

<余談> ASCの原本の筆跡を見ると、ある程度の部分を1人の書記(scribe、文字書き専門職。筆耕/祐筆。文書を書き写す複写係だったり、記録係だったり、司書だったり、色々)が書いたりしているのがわかる。らしい。重要な役割を果たしている人達。

・歴史的な正確さについては、なにぶん古い文書なのと、初期バージョンが書かれた前の数十年~の期間にデイン/ヴァイキングにより各地の教会等が略奪・焼き払われて文書等もかなり失われ、また、後世の写本では時代考証が雑な人々が盛ったりしたので、当時のレベルで「出来る限り最高の知見をもとに、頑張って書いた」という感じ。
それまでの他の歴史書(※下記)からコピペもとい参照している部分も多々あり。

・同時代の他の文書(他国の文書など)で裏取りできている記述もあるものの、アルフレッド王やその家系であるウェセックス王家に都合の悪くないような書き方はしていると思われる。
とは言え他にあまり資料がないので、アングロサクソンの歴史を知る基本資料のひとつ。

・アッサー著のアルフレッド王の伝記(Life of King Alfred)も、ここからかなりコピペ...もとい、同様の記述がある。

※他の歴史書
ベーダ(ヴェネラブル・ビード/ Bede)の書いた『イングランド教会史』(「イングランド民の教会関連の歴史」/Historia ecclesiastica gentis Anglorum/ Ecclesiastical History of the English People)(ローマ帝国後期~731年までの記述)、および
ギルダス、大プリニウス「博物誌」、オロシウスなどのローマ時代の著作など。
写本バージョンによっては「ガリア戦記」からの劣化コピーもあり。(他の歴史書経由の劣化劣化コピーかも)

【参考文献:原本(マニュスクリプト)の例、およびテキストデータ】

ざっくりと A, B, C, ~I までバージョンがあり、オクスフォード大学のボードリアン図書館、ロンドンの大英図書館、およびケンブリッジ大学のコーパス・クリスティ・カレッジが所蔵しています。

A: パーカー(ウィンチェスター)クロニクル (Corpus Christi College, Cambridge, MS. 173)
B: アビンドン・クロニクル I (British Museum, Cotton MS. Tiberius A vi.)
C: アビンドン・クロニクル II (British Museum, Cotton MS. Tiberius B i.)
D: ウースター・クロニクル (British Museum, Cotton MS. Tiberius B iv.)
E: ロウド(ピータバラ)クロニクル (Bodleian, MS. Laud 636)
F: バイリンガル・カンタベリー・エピトーム (The Bilingual Canterbury Epitome) (British Museum, Cotton MS. Domitian A viii.) 
G/ A2/ W: パーカー(ウィンチェスター)クロニクルのコピー。
H: 「コットン」フラグメント(断片) (Cottonian Fragment) (British Museum, Cotton MS. Domitian A ix.)
I: イースター・テーブル・クロニクル (An Easter Table Chronicle) (British Museum, Cotton MS. Caligula A xv.)

▼▼以下、原本がデジタルで観られるサイトなど▼▼

(A) ケンブリッジ大学コーパス・クリスティ・カレッジ所蔵の最古バージョン、通称「パーカー(ウィンチェスター)・クロニクル(The Parker/ Winchester Chronicle)」
(下記リンクはStanford大学のサイト上のもの)

(B, C, D, F) 大英図書館所蔵の 「アビンドン・クロニクル I, II (The Abingdon Chronicle I, II)」「ウースター・クロニクル (The Worcester Chronicle)」(”Cotton”マニュスクリプト)へのリンクがある記事 (British Library)
 ※「Cotton/コットン」は蒐集家の名前。

(E) ボードリアン図書館所蔵の、装飾頭文字が印象的な通称「 ピータバラ(ロウド)・クロニクル (The Laud /Peterborough Chronicle)」(Digital Bodleian) 

古英語版をテキスト化したもの (Wikisource)
古英語版はこの中の A, B本のテキストを参照しています。

近代英語翻訳の例 (Giles & Ingram, 1823, Project Gutenberg)
今回行っている和訳の、メインとなる底本です。古いですが、取り敢えずすぐに読めて有り難い。
なお、日本Amazonでこの Ingram & Giles版が、ペーパーバック版と Kindle版で売ってますが、このパブリックドメインのものと同一です。

近代英語翻訳の例、その2 (Giles (1847/1914) Wikisource )
同じ訳者 (Giles) ですが、こちらの方が読みやすいかも知れません。翻訳の補足に使っています。

▼参考:現代英語訳の例 (Michael Swanton, 1996/2000)
自分は持っていないのですが、ご参考までに。(注:リンク先は Amazon UKです):
上記の近代英訳版は、写本による違いなどがわかりづらいのですが、この本はそのあたりも言及しているようです。

参考:現代英語訳の例、その2 (G. N. Garmonsway, 1991)
こちらは古本ですが、日本Amazon経由で買えるらしいので。表示されている新品の値段がすごいですが、中古だと送料込み 2,000円くらい? 

参考:エセルウォード版クロニクルの英訳版
100年後にラテン語に抄訳&追記されたバージョンの、Jiles版近代英語訳。(Campbell版が入手しづらいので。)
Archive.org にスキャンやOCRのテキスト/epub/Kindle データがあります。少々読みやすさに難あり。(下記は一例。)

AmazonのKindleにあるこちらは、やや微妙な気もしますが、有料な分、それなりにきれいにテキスト抽出されています。

日本語訳「アングロ・サクソン年代記」(大沢一雄 訳, 2012年)
古本で 1万円くらい (2020年現在) ですので、余裕のある方は是非こちらを入手ください。お近くの図書館にあるかも。(Amazon等にもあります)

▼注釈つき日本語訳「アングロ・サクソン年代記研究」
(大沢一雄, 2011年)
同著者による上記の「~年代記」は『訳注を省いた一般向け』の本との事でが、訳注ガチガチで更にしっかりした内容を知りたい方はこちらの「~研究」を。原語の成り立ちや、写本の違いなどの解説も充実しています。 古書で15,000~20,000円くらい?
(参考)あまり公共図書館に蔵書がないので、大学図書館の蔵書検索:


参考:古英語のオンライン辞書 (古英語<->現代英語)】
原文の古英語 (の雰囲気) をチェックしたい時に使っている各サイト。(英語)

Bosworth-Toller。古英語辞書の古典「An Anglo-Saxon Dictionary」のオンライン版。

Old English to Modern English Translator。シンプルなサイトですが、慣れればこちらの方が見やすい場合も。格変化が充実。

Wiktionary。ご一緒に 古英語版Wikipedia もいかがでしょうか。


【「英訳」のバージョン・注釈について】
ASCにはいくつかの写本・異本が現存しており、これぞれに異なる部分がありますので、記載や年号にバリエーションがあります。
また、上記の翻訳原文も、あくまで一例です。
ですので、上記の近代英語原文以外の資料から補足・追加する場合がありますが、調べるのがめんどくさいので原文ママにすることもあります。
▶随時、訳注を「*」で表示していますが、きちんと脚注番号を振っていないので、適宜、近くから探してください
とりあえず翻訳速度重視で、あまり引用・参照元を明記できておりません。すみませんがご了承ください。


【人々や王国の名前、言語など】

[アングロ-サクソン(人) /Anglo-Saxons ]

ASC等では単に「サクソン」とも。
4~6世紀の「ゲルマン民族の大移動」時代にユトランド半島の南部(現在のデンマーク&ドイツ北海岸のあたり)からブリテン島に移民してきた、アングル人/Angles サクソン人/Saxons が混ざった感じの人達。

ASC上では、449年ヘンギストとホーサ (ホルサ) (Hengist and Horsa) 兄弟が、ブリトンの王 ヴォーティガン (King Vortigern) の招聘に応じ、ピクト人・スコットランド人との戦いの援護のために、アングル人、サクソン人、ジュート人/Jutes を率いてケント(東南端)に上陸した、との記述がある。

・主に南部にサクソン系、北部にアングル系らしい。

▼かなり適当ですが、おおまかな初期の分布図

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・長じて、接頭語「アングロ~/ Anglo-」は「イングランドの」「イギリスの」という意味。
例:anglophone([形]「イギリス語を話す(人)」 )

・ブリテン島の先住民のブリトン人やピクト人(=ざっくりと「ケルト」な人達)と同化したり追い払ったり殺したりして居座り、5世紀頃に西ローマ帝国が衰退して撤退していくのに合わせて、徐々にブリテン島のマジョリティに。

▼色々なグループが乱立していたが、最終的にいわゆる「七王国 (Heptarchy) 」 をベースに群雄割拠:

<アングル系>
ノーサンブリア/ Northanbria:北国。ざっくり、バーニシア(Bernicia)+デイラ(Deira)に別れていたが、ゆるく統合。
マーシア/ Marcia:中部
イースト・アングリア/ East Anglia:の出っ張り。

<サクソン系>
エセックス/ Essex, East Saxons:東サクソン。イーストアングリアの下。
ウェセックス/ Wessex, West Saxons:西サクソン。南西部。
ケント/Kent:右下の出っ張り。ドーバー海峡のあたり。
サセックス/ Sussex, South Saxons:南サクソン。南の端っこ。

実際はもう少し細かく分かれていたり (征服された小王国の名前が地味に属国 sub-kingdom または「~の地域」として残っていたり)、定期的にバトって境界や勢力図が変わったりしてますが(下図はあくまで一例)、後期は 8~4王国あたりで流動しているっぽい。
※小王国:ノーサンブリアのリンゼイ (Lindsey) 、マーシア南西部のウィッチェ (Hwicce) など。

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▲ (雑な図ですが)現在のスコットランド、アイルランド、ウェールズ、コーンウォールなどに当たる地域は「アングロ-サクソン」の外。時々アングロサクソンに征服されたり、奪還したりしている。
 また、ASCなどでは「スコットランド(人) (Scotts)」と「アイルランド(人) (Irish)」の定義が現代に比べて曖昧。ルーツが入り混じっているっぽい。
 ウェールズ(=「ウェアラ/ Wēalas」、ブリトン人エリア)も、現在のウェールズ部分を「北ウェールズ」、コーンウォール(ウェセックスの左の先っぽ部分)を「西ウェールズ」と言ったりする。

<言語>
主要言語
は、現在の英語よりドイツ語っぽさが強い「古英語/ Old English」と呼ばれる言語。
=出身地(ユトランド半島~現在のドイツ北部あたり)で話していたゲルマン語系。現在のアイスランド語にかなり名残りがある?らしい。

古英語の文学は、抒情詩「ベーオウルフ / Beowulf」などが有名。
(何回か映画化されてますが、比較的最近だとロバート・ゼメキスの微妙なCGアンジェリーナ・ジョリーのとか。)
地方によって方言が色々ある。文字もバリエーションあり。

<文字文化>
文書類
、特に教会関係の本は、基本的に教会標準語であるラテン語が多く用いられている。(日本の大和ことば vs 漢語のような感じ?)
一方、公文書(法令、勅令書)などは、みんなが読みやすい古英語のものが多いっぽい。
なお、上記の ヴェネラブル・ビード(ベーダ)アルフレッド王などが、古英語(=地元語)への翻訳を頑張ったので、教会関連文書の古英語版も多少ある。

※ ビードの時代(8世紀前半)までは修道士教育センターなどもあり、多くの文学が残されていたっぽいが、8世紀後半からヴァイキングの皆さんの出稼ぎで教会なども燃やされたので、ラテン語の教育レベルが劇的に低下
アルフレッド王も12歳頃まで文盲で、更に成人した後も教師となる人材(修道士など)がおらず、なかなか読み書きを習えなかったので、そのくやしさをバネに、天下統一してから各地から教師を招集して文芸復興を頑張った。
(※後の中世でも騎士などは文盲が多いですが、そもそも学習環境が周辺にない、という話)

<没落と、現代における意味合い>
1066年のヘイスティングスの戦い
でノルマン人/Normans(フランスのノルマンディーあたりの人達)に征服され、徐々に没落
(= ノルマン人の征服 /Norman Conquest

その後、民族的な血統がウヤムヤになってきた後は、ざっくりと「由緒正しいイギリス人」的な意味で使われている。多分。よう知らんけど。

現代史における「アングロサクソン」、いわゆる WASP (イギリス人を先祖に持つ、上流階級の、プロテスタント系白人アメリカ人 /White Anglo-Saxon Protestant)は、上記の背景を元にした言い回しで、おおもとの「アングロサクソン」と直接家系が繋がっている訳ではない。

[ ウェセックス / Wessex ]

「七王国 / Heptarchy 」のひとつ。
イングランド南西部の、ウェスト(西)サクソン人 (West Saxons)の王国。
アルフレッド王もここのお子さん。
前身はアングロサクソン移民のうち、 Gewisse (ジェウィセ) と呼ばれるグループ。

・519年にCerdic王がローンチ。

・近隣の王国に支配されたり、統合したりして、最終的(9~10世紀)にアングロサクソン・イングランドを「統一」した。
※ASC的には、それまでにも全イングランド天下統一は8回くらいされていることになってますが、一応。

・「ウェセックス王国」としては、927年にイングランドが「統一」されたので消滅。
現在はざっくりした地域名、および投票区分などに名前が残る。
(ドラマ「ブロードチャーチ」のアレック・ハーディが所属する架空の警察組織は、トマス・ハーディのウェセックスのシャレだろうか?)

<ウェセックス王 列伝(基礎編)>

◆Cerdic  (在位 519~534年頃)
(チェルディッチ/ チャーディッチ /ケルディック /サーディック etc.)
ウェセックス王家の初代。ただし、この頃はまだ Gewisseトライブ
ASC上では 495年頃に『5隻の船でやってきた』とあるが、その前からいたらしく、Cerdicという名前もブリトン系(ブリテン島の先住民)らしいので、ある日いきなり移住してきたわけではなさそう。
また、どの王を初代とするかも、ASC上ではまちまち。
<参考>
映画「キング・アーサー」(2004、アントン・フークア監督)で、ステラン・スカルスガルドが演じている「サクソン」のリーダーが、Cerdicになっています。
Amazonプライムビデオ(ディスクは下記。アフィなし)

◆Cynegils (在位 611~642年頃)(キュネギルス etc)
非クリスチャン (pagan) だったサクソン民の内、最初にキリスト教の洗礼を受けたウェセックス王。ただしこの時もまだ Gewisse
(キリスト教化はカンタベリーのあるケントなどはもっと早い。)
ただしその後の王がペイガンに戻ったりして、行ったり来たりだったが、Cædwalla王 (在位 685~688年頃) あたりにキリスト教化が安定したらしい。
ウィンチェスター大聖堂に、遺骨か何かが安置されている。
▼下部にラテン語で「KYNGILSI  IN  CISTA ~」と見えます。(2011年撮影)

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◆Cædwalla (在位 685~688年頃) 
(Caedwalla/ Cadwalader, キャドワラ)
このあたりからジェウィセではなく「(西)サクソンの王」を名乗り始める。サセックス、ワイト島などを攻撃したり奪還されたり。洗礼を受けてローマに巡礼し、現地で客死。

Ine  ( 在位 689~726年頃)
(Ini/ Ina, イネ /アイネ etc)
37年も治めたえらい王様。アングロサクソンの法律のベースとなる法典 (code of law, "Laws of Ine") を整備したりした。
晩年は「若い世代に」王座を譲って引退し、ローマに巡礼して現地で昇天。
ローマのヴァチカン近くにサクソン県人会の巡礼接待所を作った。(マーシアのオッファが作った説もあり)

Egbert  ( 在位 802~839年頃)
(Ecgberht/ Ecbert, etc. エグバード/エクバート/エグベルト etc.)
アルフレッド王の祖父。周辺国にどんどん攻め込んで勢力拡大。
宿敵&隣の大国・マーシアに勝って、1年くらい天下統一した。
<参考>
ドラマ「ヴァイキング~海の覇者たち~」(シーズン2~)に時系列をガン無視して出てくるイケイケ爺さん。実際はアルフレッドが生まれる前に死んでいるが、ドラマでは存命で、主人公ラグナルとアセルスタン(修道士、ドラマ上のキャラ)のファンクラブを作って萌え語りしたり、アルフレッドに神の子扱いしてむちゃくちゃ可愛がったりする。お風呂好き。

Alfred the Great  ( 在位 802~839年頃)
(Ælfred / Aelfred, アルフレッド)

9世紀後半。我等がアルフレッド大王。アルフレッド・ザ・グレート。
(※当ページでは「大王」が気恥ずかしいので、「王」としております。)

▶当時ヴァイキング(「デイン」)に負けっぱなしだったアングロサクソン諸王国のなかで、まぁまぁ頑張って勝利したり、和平を結んだりして、何とか国体を維持。
アングロサクソン七王国(最後は4王国くらい)を統一して、現代に続く統一イングランド(※ヴァイキング居住地「デインロウ」を除く)の基礎を作った、えらい王様。
▶現在のイギリス王室の初代にされている。女王エリザベス II 世の先祖という体。
ヴィクトリア時代にアルフレッド王生誕1000年(「ミレニアム」)ブームがあり、各地に石像が建ちまくった。王室もブームに乗っかって、胸像を作ったりしたが、落として割れた。
▶一時期、ヴァイキングに追われて沼地に隠れていた。貴種流離譚。
パンを焦がして百姓のおかみさんに怒られた伝説が有名。定番の身分隠しネタ。
▶20代ごろから生涯にわたって消化器系(胃腸)の持病に悩まされており、いろんな薬草などを取り寄せていたら、ヴァチカン方面から「異教徒みたいなことするな」と怒られた。
▶アーサー王 (King Arthur) と混同されがちらしい。知名度の差...。
▶それなりに有名なので、色んな文学・映像作品にチラホラ出てくる。
<映像作品の例>
・MGM映画「アルフレッド大王 (Alfred the Great)」(1969、デイヴィッド・ヘミングス、マイケル・ヨーク主演)日本でも公開されました。Amazon UKあたりで買えます(日本語なし)
・ドラマシリーズ「ラスト・キングダム」(S1, 2, 3) Netflix他。
・ドラマシリーズ「ヴァイキング~海の覇者たち~」(S3, 4, 5) Amazon他。
▶なんと尾崎紅葉「金色夜叉」にも言及がある。主人公の間貫一はアルフレッド王を思わせる風情があるらしいです。

▼ウィンチェスターのアルフレッド像。

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◆Athelstan ( 在位 924~927年頃)
( Æthelstan/ Aethelstan, アセルスタン/ エセルスタン)

アルフレッド王の孫。「ウェセックス」最後の王。
アルフレッドの死後、デイン帝国の逆襲にあったりしてイングランド統一がやや怪しい状態になったものの、アセルスタンの代でデインの縄張りも含めた実質的な「イングランド」統一を果たす
(ただしその後もまた何度か逆襲されたりしているはず)
※「アセルスタン王」は近隣の地域・時代に何人かいるので注意。


[ デイン (ヴァイキング) / Danes ]

「ダネ (Dene)」とも。
アングロサクソン民に遅れることン百年、現在のデンマーク Denmark (=アングル人、サクソン人がいた地域)、ノルウェイおよびスウェーデンの一部あたりから、勢いとパワァと戦闘術・操船術・騎馬術、つまり高い戦闘・機動能力に任せてブリテン島に出稼ぎ&移住してきたゲルマン系の人達。(アングロサクソンは因果応報)

色んなグループの連合部隊で、定期的にブリテン島に略奪に来たり、一か所で冬を越したりして、じわじわと勢力拡大。
(ブリテン島だけでなく、ヨーロッパ大陸側もそれなりに蹂躙。)
温かい土地(※北欧比)に定住した上にキリスト教に改宗してナマった(語弊)アングロサクソンより優位に戦った。

ヴァイキングご自慢のロングシップの機動力にサクソンびっくり。

▼ヴァイキング関連のデザインでよく見かける船首像 (figurehead)。実際はベルギーで発掘された4~5世紀のもの。意外と小さく、150cm程度。
大英博物館。

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ヴァイキング界のスーパースタァ、ラグナル・ロスブロック (Ragnar Lothbrok/Lodbrok)さんや、その息子、フッバ (Ubba/ Hubba/ Ubbe Ragnarson、イングヴァール (Ingvar/ Ivar /Hingvar Ragnarson)、ハーフダン (Halfdan Ragnarson) なども次々と参戦。

一部は「デインロウ (Danelaw)」と呼ばれる定住地を獲得したり、サクソン勢に追い出されたりして、一進一退。

後年の11世紀頃には大虐殺 (St. Brice’s Day Massacre) などされつつ、リヴェンジの末にデイン系の王 クヌート (Cnut the great ←この人も大王)が王座にログインして、地元民としての地位を確立する。

最近の映画やドラマでヴァイキング関連のを見つけたら、とりあえずゴス&パンクな衣装で小汚い連中が、泥まみれで叫んだり戦ったりして虚無エンドを迎えるんだな!と思うと、大体合っている。

<アングロサクソン側からの呼び名について>
ASC上
では「ヴァイキング/ Viking  (wicing/ ƿicing)」の表記はあまりなく、「デイン/北方の民 Dane/Norse (Deniscan)/ Norsemen」「異教徒 Heathen (hæþen)」、「軍勢 Army (here)」などの記述が多い。

▶「デイン」呼び:上記のように、デンマークだけでなく他の地方からも参戦していますが、イングランドではまとめて「デイン」扱いされがち。北から来たヤカラの総称。
▶ほかにも、アングロサクソン民からどしどし略奪してどんどん勢力を広げていったせいか、サクソンより乗馬が上手かったせいか、黙示録の地獄の四騎士(Horsemen)に例えられたり、「疫病/Plague(ペスト)」に例えられたり、色々。

<「大異教徒軍」 The Great Heathen Army / mycel hæþen here >
グレート・ヒーザン・アーミー。
9世紀後半に編成されたヴァイキング大連合

デインを中心に、スウェーデン、ノルウェイなどの参戦者で構成。ASC 865年あたりから記述が見られる。
中心メンバーは、上記のラグナルの息子たちバーグセック (Bacgsecg)、そしてアルフレッド王と直接交渉したグスルム (Guthorm) など。

<著名ヴァイキングのみなさん (ASC関連) >

<ラグナルさんファミリー>
伝説のヴァイキングラグナル・ロスブロックさんと、息子たち
家紋はカラス(レイヴンの旗)。

▼ラグナルさんち大河ドラマ「ヴァイキング~海の覇者たち~」、なつかしのS1 予告。

ラグナル・ロスブロック (Ragnar Rothbrok/ Rodbrock)
デンマークまたはスウェーデンの王。
2隻の船でイングランドを征服しようとして、ノーサンブリアのエラ王 (Ælla) に捕まり、蛇穴に入れられて死亡した伝説が有名。
息子にフッバ、ハーフダン、イングヴァール(ザ・ボンレス)、ビョルン・アイアンサイド、シグルド、ヒッツサークなど。(伝説のヴァージョンによる異なる。)

フッバ、ハーフダン、イングヴァール
フッバ (ウッバ /ウッベ, Hubba/ Ubba, etc.)
ハーフダン (ハルフダン, Halfdan/ Halfdene/ Healfden, etc)
イングヴァール (ヒングヴァール/ アイヴァー, Hingwar, Hyngwar, Ingvar/ Ivar, etc)
息子たちの内、ASCに名前が出てくる面子。
父を殺したエラ王のリヴェンジで大異教徒軍をローンチ。後年の伝説 (?) では、エラをブラッド・イーグルで拷問して殺したエピソードが有名。
その後、イースト・アングリアでエドマンド王を殺したり、ウェセックスの方にも攻めてきた。

<グスルム Guthorm/Guthrum>
デイン勢のヤール(Jarl。デイン民の族長・公爵・チームリーダー等に該当するランク)。
ウェセックスに侵攻したところ、アルフレッド王率いるウェセックス軍が結構粘るので勝ったり負けたり引き分けたりしたため、有利な和平条件を受け入れて洗礼を受け、「デインロウ Danelaw」と呼ばれる支配地と多くの補償金を獲得し、休戦。
イーストアングリアの「アセルスタン王」(洗礼名)となった。
※アルフレッド王の兄のアセルスタン、および孫のアセルスタンとは別。
▼映画「アルフレッド大王 (Alfred the Great)」(1969) ではマイケル・ヨークが演じています。(日本公開時のパンフレットより)

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<バーグセック Bagsec/ Bagsecg>
大 (異教徒) 軍のリーダーのひとり。871年頃のアッシュダウンの戦いで死亡。
映画「ハマー・オブ・ゴッド」にチラっと出てきます。内容は未見ですが、想像がつくというか、ムニャムニャ。
>>Amazon Prime 無料版 (吹替) 


【参考】
▼1066年までのヴァイキングとの戦いの場所を示した地図(英語)
(多少の解釈違いなどあるようですが、地理関係がわかってよいです)

■■■とりあえずこのへんで。随時修正・追加すると思います。■■■


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