リンダ・キャリエール

ヴォーカリストとしてのリンダ・キャリエールについて

Text:馬飼野元宏

リンダ・キャリエール(Courtesy of James Ragan)

 リンダ・キャリエールの幻のアルバムが遂に日の目を見ることとなった。製作されたのが1977年であるから、実に47年ぶりに人々の前にその音がお披露目されることとなったのである。
 
アルバム制作のバックグラウンドや、作家陣、演奏陣、そしてお蔵入りとなった楽曲のその後については、ここでは特に記さない。むしろ気になるのは、リンダ・キャリエールというヴォーカリストその人である。
このアルバムがお蔵入りになったのは、当時、アルファミュージック創設者であり本アルバムのプロデューサーでもある村井邦彦が、「ヴォーカルが弱い」と考えた故のことであると言われている。これについては、実のところ米国側の反応が思いのほか厳しく、結局リリース断念に至ったというのが真相のようだが、では果たしてリンダのヴォーカルはどのようなものだったのだろう。

 リンダ・キャリエールはニューオーリンズ生まれ。UCLAに通うためロサンゼルスに移住し、クラブで歌っていたところ、紹介を受けた村井邦彦と細野晴臣のお眼鏡にかない、レコーディングの運びになったという。もともと細野の中にクレオールのシンガーを起用したいという発想があり、まさにリンダは、ぴったりの素材だったのだ。

 細野が最初に出会ったリンダの印象は、なんの色もついていなかった、というものだそうで、ある種アマチュア的な感性のままで現れた彼女は、まさに細野好みのヴォーカリストだったであろう。そして、彼女の素材そのままを活かす形でアルバムの楽曲制作がなされたものと思われる。
各楽曲でのリンダの印象だが、吉田美奈子&山下達郎作の「Love Makes It So」は、ミディアムテンポのシティソウル作品で、伸びのあるヴォーカルも聴ける。細野作の跳ねたリズムを持つ「Sunday Girl」ではキュートなヴォーカルスタイルも披露しており、細野の変則的なメロディーラインにも上手く対応している。同じく細野作「All That Bad」や、これまた美奈子&達郎コンビの「Proud Soul」では、若干の黒っぽさは感じさせるものの、やはりリンダのヴォーカルはノーブル。

 後半の楽曲は、矢野顕子作の「Laid Back Mad Or Mellow」がオリエンタルな香りを残すサウンドで、ちょっとすっとぼけたヴォーカルのリンダもなかなかに可愛い。

 だが全編通して、「あくまで」ソウルミュージックとして聴いてしまうと、やや淡白なのは否めない。おそらくアメリカ側としては、厚めのコーラスとリズム隊でグルーヴを作り、リンダのヴォーカルを支えるような音を期待したのかもしれない。

 アルバムのコンセプトと狙いがそうなっているので致し方ないところだが、リンダとしてもなかなか歌いにくいメロディーが並んでいたのではないだろうか。少なくともここまで凝りまくった変則的なメロディーは、当時のLAのソウル、R&Bシーンには存在していない。ことに後半、リズムの魔術師・細野が繰り出す楽曲群は、間違い無く細野独自のものだから、リンダとしても初めて触れるメロディーラインであろう。逆に、山下達郎作の「Love Celebration」では、最初にリズム・パターンを提示してそこからサウンドとヴォーカルが一体化しながらうねりを作り上げていく、達郎得意のスタイルが上手くハマっている。

 これはあくまで想像に過ぎないが、アメリカ側の意向としては、もう少し R&B、ディスコ色の強いもの、アップテンポかつ厚めのサウンドをバックに、グイグイ攻め込んでいくようなヴォーカルをイメージしていたのかもしれない。そこを厚めのコーラスとリズム隊でグルーヴを作り、リンダのヴォーカルを支えるような音を期待したのでは?と想像が膨らんでしまう。

 ただ、そうなってしまうと細野メロディーの魅力は半減してしまうはずで、日本人が作ったシティソウル、あるいはクレオールシンガーを起用したが故のエキゾチカな世界観としては大正解なのだが、それをアメリカ本国のマーケットが受け入れるには、この時点ではちょっと早過ぎたのだろう。楽曲もアップテンポが一切なく、ほとんどがミディアム系のサウンドであったことも、まもなくディスコ全盛時代を迎えようとするアメリカ人の耳には、やや単調に聴こえてしまったのかもしれない。

 このアルバムがお蔵入りとなったリンダはその後、ディスコ・ファンクグループのダイナスティに参加する。

 ダイナスティは結成当初は男女混成の3人組で、リンダの他ニドラ・ピアードという女性ヴォーカル、男性ボーカルはケヴィン・スペンサーで、キーボード兼任のウィリアム・シェルビーを加え、LAのソーラー・レコードからデビューした。

 ソーラー・レコードはポスト・ディスコ期のソウル・ファンク系サウンドを牽引した新興レーベルで、元はプロモーターのディック・グリフィーが、人気音楽番組『Soul Train』のプロデューサーで司会者でもあるドン・コーネリアスと共に75年に立ち上げた「ソウル・トレイン・レコード」が前身。シャラマーやウィスパーズといった人気グループ、そのバックヴォーカルを務めていたキャリー・ルーカスのデビューにも関わるなど活躍を続けたが、その後コーネリアスがレーベルから手を引いたことで、グリフィー主導で再スタートしたのがソーラーであった。

 その専属プロデューサーである、リオン・シルヴァーズ3世は、もともと70年代半ばにディスコ・ヒットを連発したシルバーズのメイン・メンバー。ソーラーではシャラマーやウィスパーズをプロデュースし次々とヒットを飛ばし、さらにダイナスティのプロデュースにも関わる。79年のデビューアルバム『DYNASTY』を聴くと、ダンスナンバー中心に作られた楽曲は、グルーヴ感溢れるベースラインを支柱に、いずれもアゲアゲのディスコチューン。シングルカットされた「I Don’t Want ToBe A Freak」では、リンダとニドラのツイン・ヴォーカルもノリのいい、かつスムースなヴォーカルを繰り出し、米ビルボードR&Bチャートで36位、ディスコチャートで38位の好成績を残す。80年にはアルバム2作目『Adventures in The Land Of Music』を発表、このうち「I’ve just Begun To Love You」がR&Bチャート6位、ディスコチャート5位の大ヒットとなり、キャリアのピークを迎えた。

 その後3作目『The Second Adventure』では、リオン・シルヴァーズ3世自らメンバーに加わる形となったが、この時期、ディスコブームは終焉を迎えやがて80年代終盤には自然消滅してしまう。

 ダイナスティでのリンダのヴォーカルは、『LINDA CARRIERE』の時期と比べて、それほど大きな変化があるわけではないが、アップのディスコチューンでの声の伸びは魅力的である。いわゆるソウル、ファンク系の歌い上げる熱いヴォーカルではなく、ノーブルなスタイルなので、むしろアップのディスコ・チューンと相性がいいように思える。ディスコ・ミュージックの場合、特に女性ヴォーカルは、ある種の匿名的で、淡白なヴォーカルの方が向いているのだ。機械的な四つ打ちのビートの中でグルーヴ感を出しつつ、歌い上げることよりも踊らせることを目的とした音楽であるから、ダイナスティのリンダのヴォーカルが男性ヴォーカルとの掛け合いの中で生き生きと聞こえるのも、また正解なのであろう。

 また、ダイナスティはバラード作品にも良質なものが多いが、例えばファースト収録の「When You Feel Like Giving Love(Dial My Number)」あたりを聴くと、掛け合いのスタイルながらクールなリンダのヴォーカルがメロディーを引き立てている。この辺りの歌い方には、『LINDA CARRIERE』の彼女と共通する輝きを感じ取れるのだ。

 『LINDA CARRIERE』の中のいくつかの楽曲が笠井紀美子のアルバム『TOKYO SPECIAL』に転用されているのはご存知の通りだが、同作での笠井のヴォーカルもまた従来のスタイルを変えて抑え気味になっていることを考えると、『LINDA CARRIERE』における、細野晴臣をはじめとする作家陣の、このメロディーには、リンダのこのクセのない歌唱法が正解だったのだ、と感じざるを得ない。また、今聴くとクールでメロウな色彩が感じ取れ、あっさりして歌い上げ過ぎないところにこそ魅力を感じる。今の時代のポップスにこそ活きるヴォーカルであり、作品だったのかもしれない。