新宿シアタートップス 劇壇ガルバ第6回公演 『ミネムラさん』

すやり霞。絵巻物とか黄表紙とか、和物の絵の中で、複数の場面を同じ画の中でかき分けるとき、このもくもくした霞の絵を使う。
 この芝居、三人の共作だけど、もくもく、もやもやした霞でうまくつながっている。もくもくは「ねむり」かもしれず、かすかに「死」も匂う。世界はどちらとも言い難いもやもやの中で進行する。
 幕が開くと刑事たちが一心不乱にオイシ(大石継太)の部屋を捜索している。物を探しているのではなく、人を探しているのだとオイシは力説するが、会話は不条理で、なかなか前に進まない。ここ、たいへん巧い。映像を1秒だけ何度も繰り返し観るような、とても「今日び」の演出・脚本で不条理な笑いを作り出す。失われた「ミネムラさん」には、第一のパートではすでに名前すらない。
 二話目のヤスコ(笠木泉)とミネムラ(峯村リエ)さんの友情はなんだか心が洗われる。淡々とした二人が、「美しいもので時折光る」ように見えてくる。
 三話目、「いつまでいてもいい」の牧歌的二話目の裏、「今すぐ出てって」篇であるが、ここがモンダイ。山崎元晴、わかいなー。老練な作家にしてやられるなよー。身もふたもない残虐シーンで心が冷え、そのせいもあって筋は絵空事めいて軽く、安く、テレビのよう。7000円出してテレビ見たくない。児童虐待のニュースを、声が震えて読めなくなるお父さんアナウンサーもいる。もっと知恵を絞ってほしい。『錆色の木馬』超えないと。
 山崎一は刑事が一番よく、お父さんの役は動因がはっきりしない。とつぜん登場してサウナを語る(サウナハットをかぶっている!)ウエソン(上村聡)、いろいろ唐突なのにどれもすんなり演じていてよい。峯村リエ、「ミネムラさん」であるアドバンテージがあまり感じられない。どっちかというと、損している。役の全体のつながりをもっと考えたほうがいいよ。
 すやり霞はもくもくもやもやと漂い、最後に海の声を出して消えていったと思った。あの声こそが、ミネムラさんでは?

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