東京芸術劇場プレイハウス NODA・MAP第27回公演『正三角関係』

ロシアの物語を籍(か)り、アメリカが疑いなく信じている物語を、敗戦し占領された私たちが物語り返す。世界に流布している物語に冷水を浴びせる。父兵頭(竹中直人)、長男富太郎(松本潤)を翻弄するグルーシェニカ(長澤まさみ)が実在でないならば、その三角関係は、ある意味架空の尊くもある三角かもしれない。富太郎、威蕃(永山瑛太)、在良(長澤まさみ二役)の三兄弟と、父兵頭から成る小さな家庭で殺人が起こるほどの憎しみが生まれるならば、なぜ世界を破滅させられる戦争が起きるのだろうと問うことがむなしくなる。そして小さな家庭の殺人は罰せられ、大きな戦争の破滅的結末は責任を問われることがない。矛盾によっていくつもの正三角関係はねじれにねじれ、入り口と出口が異なってゆき、多面体を作り上げる。富太郎にかかっている綱が、アメリカから、ロシアから、日本からと三重になっている。富太郎を愛する者たちの綱も、やっぱり三重だ。野田秀樹は出生地長崎をまっすぐ扱った。これまでの作品みたいに前半と後半のねじれを強い力で元に戻すという風でなく、最初から「三重のもの」が舞台に乗っていることが明らかだ。
この芝居、とてもむずかしかった。フラットだからだ。山がないとダメ。たとえば、兄弟たちは三角形をなすために親密な雰囲気を作り出さず、父もドストエフスキーほどとんでもなくない。この辺、すーと流すと芝居の魅力が減ると思うけどなあ。生方莉奈(村岡希美)がグルーシェニカの手にキスするシーン、あのシーンがドラマチックでいいよ、もっと盛り上げてほしい。ここは長澤の振り切れ方次第だ。松本は、遠慮して脳天で声を止めている。リミッターがかかっているよ。黒い装束を翻し(その背中には打ち上げ花火が刺繍され)堂々と舞台を闊歩するが、声が不足。番頭呉剛力(小松和重)の「倒れそうで倒れない人」がすばらしく、あのような場面がもっとあってもいい。威蕃の永山、もっと数式信じて、ガンガン行こう。

 眼鏡橋に見える二つの丸い空洞が、死んでいった人たちの眼であるように、殺してしまったものの眼であるように見える。そしてそれを、今見過ごし、見逃している愚かな私の眼であるような気がする。
#観劇

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