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80歳のTERUYO FUKUMOTOさんの最新作、CRP写真集は、京都と横浜!

TERUYO FUKUMOTOの電子版写真集CRP

TERUYO FUKUMOTOは、写真をはじめて20年以上、フィルム時代の末期からのキャリアだ。当時の写真を見ると、写真教室で習った、構図やテーマで、けっこうきちんと基本忠実に、実に上手く撮っている。
デジタルになってからは、各教室を転々としたようだが、ある時、2016年だったかな、その頃写真の趣味に飽きていた時だった。

そんな時、僕の提唱する、デジタル写真集のコンセプト写真集CRPに飛びついた。
これまで膨大な写真を撮っておた。彼女は若い時は海外で生活していて、航空会社に勤めていた。日本に戻ってからも、日本在住のドイツ人のご主人と海外の観光にたびたび出かけ、膨大な量の写真を撮っていた。
それはL版のプリントとして、アルバムに蓄積された。
かなり気に入った写真もあったのだが、結局はほとんどは、積み重なっているだけで、見ることはなかった。

CRP写真集にする時、まず気に入った写真のセレクトから始まった。
写真は撮るのは簡単でも、セレクトや編集、構成が難しい。
多くの、写真愛好家や、プロ写真家でさえ、撮りっぱなしの人が多い。

写真が、芸術の1ジャンルだとして、撮るだけではただのカメラマン。たとえプロであろうが、アマチュアであろうが、一枚の写真のトピックだけで勝負は、それがビジネスだとすれば十分意味があり(多くのプロカメラマンはそうである)しかし趣味だとすると、表現ではなく、うまく撮れれば、ただの自慢の材料にしかならない。
表現には、プロもアマチュアもない。

写真は、記録であり、自己表現。
自分は、何なのか?何を見たか?何を経験したのか?
羅列しただけの写真は、羅列がテーマになってしまう。
他の、芸術!  例えば音楽。
一小節で何を語るのか?
たった今、思いついたフレーズも、
何とかまとめて初めて、曲になる。作品になる。
1分で作った曲でもok。
なぜならフィニッシュするから。

ところが写真は、皆撮るだけで、フィニッシュしない。
一枚の写真を、まるで絵画のように鑑賞し、よければ自慢する。
絵みたいにすごいでしょう、のナンセンス。
もしくは色が綺麗だとか、構図がいいとか。
笑えるよね。

TERUYO FUKUMOTOは、今、かつてのようにきちんとは撮らない。とてもラフだ。でもだからこそ、何?この写真といった、写真が撮れてしまう。
それは、写真を一枚で完結させるより、フレーズを集めて、完成させるほうがずっと面白いし、魅力的だし、他人に伝わることを発見したからだろう。

そんな、写真集CRPは、これまで150人以上が参加して、
すでに300冊ぐらい出版されている。

傑作の1まいより、それぞれが、それぞれの写真を撮る。
リラックスした写真集の意味。
写真は、意気込むのも悪くないけど、いやいいに決まっている。
ただ自然体で世界を見たほうが、
魅力的な写真になることも多い。


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