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『笑う心臓』令和コント番組のサイコゥ‼演出

どうした2021、このお笑い番組ブームは!

シンプル長尺ネタ、切り口を用意して見せるネタ、大喜利、お笑いについて芸人が語る、注目の若手冠、青田買い組み合わせ、などなど。
とにかくこのブームは素晴らしく、好きな芸人のラジオやYouTubeに陶酔して日々を過ごしていた僕ら若者世代に向けたお笑い番組が、怒涛のごとく始まった。

そんななか、
マヂカルラブリー、空気階段、ニッポンの社長、シソンヌの4組によるコント番組『笑う心臓』が放送された。

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ネタの評価が厚い芸人が集められ、テレビ局のセットでコントが撮られた。
それだけでうれしさが爆発しそうだ。

このブームは素晴らしい。ただ一方でこのブームは、テレビ局がお笑いに関するIPを量産し、ラテ欄から消えてしまっても動画配信やイベントなどで収益を獲得する狙いもきっとあるだろう。
先述したように、ラジオやYouTubeを通して、芸人にある程度ファンがいる前提でこの山は動き始めている状況でもある。
そうなると、よく言えばストイック、悪く言えば芸人丸投げの企画や、
側だけ固めて内容が薄い、空回り企画も混じってくる。

「好き」と「面白い」を別で楽しむか、ひっくるめて需要するか、視聴者の判断はまた数年後に明らかになるだろう。
では、『笑う心臓』はどうだったか。
僕は「面白い」を完璧に見せる努力と、「好き」を取り込みこむ巧みさの両輪が絶妙、最高の番組だと感じた。
ネタがどう面白かったかではなく、テレビが作った最新コント番組としての演出について、書いておきたい。

未見の方は、是非TVerで。4/8(木)まで


1.笑う「心臓」であること

 30分間で、大きく4本のコントがあった。
①「修学旅行の夜」
②「VTuver界の新星」
③「魔界バスケ」
④「先輩のお通夜」
共通しているのが、心臓音の演出。

 コント冒頭で、演者一人にカメラが寄り、無音になった瞬間「ドクン、ドクン、ドクン」と3回心臓音が鳴る。
バラエティでは、クイズの答えや結果が明かされる際によくある演出で、①ではケツが好きな子を告白する直前に流れるので、最初は番組通しての演出とは分からない。
しかしその後も、②プロデューサーのキューフリ前、③村上のシュートを放つ瞬間、と続く。
心臓音によって、演者の特性(ボケ・ツッコミ)を知らない人も、この数秒間で誰の視点・感情でコントが進行するのかを無意識に判断できる。

 ④お通夜に来た後輩が席に通される瞬間、の心臓音はさらにすごい。
”お通夜の席に通されると、真面目な顔をしてナンを食べる人たちがいる”という状況説明も兼ねた最初の(シュールな)ボケが映る直前に心臓音が鳴るのだが、シュールなボケに大きな声や動作でツッコまずとも成立させる間を演出が作っている。最初のツッコミをほぼノーモーションで繰り出せることからも、時間の限られたコント番組ではかなり有効だ。

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番組名とも紐づいているので、「心臓」音が必然性のある演出と飲み込める点でも、隙がない。バラエティのような嫌な引き延ばし演出にもなっていない。すごい。


2.「魔界バスケ」

 番組の情報解禁当初から告知されたコント「魔界バスケ」
マヂラブ・野田クリスタルが台本を書いたことや、魔界らしき手の込んだセット写真で、視聴者の期待感を煽ったのだが、
このコントだけ、他と異なる演出が施されている。
番組を担当する橋本和明がインタビューでこう話している。

橋本:「魔界バスケ」は、野田くんに書いてもらったところからほとんど直してないんです。彼の頭の中そのものだから、あまり手を加えない方がいいかなと。ただ1つだけお願いしたのは、野田くんが原稿用紙に向かって書いている画を最初にワンカット入れるということ。つまり、“野田クリスタルの世界をみんなでやっている”ということが1つのメタの面白さになっているという構造で見せることにしたんです。(https://news.mynavi.jp/article/20210331-mayonaka_owarai/)

魔界バスケ

この「メタ演出」の加減はとても大事だ。
”あの”野田が書いたことが事前に強調されすぎると、コントの面白さが、視聴者の期待する”野田の奇怪さ”によって変化してしまう。
そもそも「これヤバイですよ」と言われて出されたものは、いくらヤバくてもストレートに出されるよりも威力が落ちるはずだ。
その「ヤバさ」が「面白さ」に直結するコントであればあるほど、予めの説明は邪魔になる可能性が高いと言っていい。別の文脈が生まれてしまう以上、初見の視聴者を取りこぼさない配慮とはいえ非常にバランス感が問われる演出と予想できる。
(視聴者に優しいことと、ネタで笑えるように提供することがイコールにはなりづらい。こんな例もある。(この本家だって『俺の天賦の才がバレるぅ!』で芸人を登場させるのだけど・・))

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 コントを書いた野田に説明を求め、その様子にテロップがつくようなVTRが挿入されたら最悪ではないか。しかしそんなことは全くなかった。
ネタを書いている芸人を見せる映像の中で、最短ともとれるVTRと言っていいくらい、必要最低限の情報が面中央に表示され、音声もテロップも、作者の想いなんてヌルいものもない。これこそ、一見さんにも常連さんにも気の利いた、引き算で作られた最高のメタ演出ではないだろうか。すごい。

3.電波ジャック

 「大きく4つのコントがあった」と先述したのは、番組内で二回、空気階段・水川かたまり演じる”サイコハッカー”が電波ジャックを行うコントがあるからだ。

かたまり


コント終わりに突如現れたかたまりは、電波ジャックの成功を宣告したのち、こう続ける。

「どう考えてもテレビで流すほどでもない映像をご覧いただきます。どうぞ、時間をドブに捨ててください」

そう言って切り替わった映像は、出演者8名が芝生の上でドッチボールに興じたり、カレーを食べたりする、無意味でゆるくてフワフワした姿。

ドッジ

令和コント番組の正解例に思う。
視聴者の需要に無理なく応える新しい手法を発明したことに感動した。
コントとしての必然性を保ちながら、番組を「推し」たくさせる映像を差し込んだのだ。

「好き」と「面白い」の話に戻るが、この二つが共存するのは難しいはず。
コントのキャラに演じた出演者を「好き=推す」気持ちは、必然的に演者からキャラをはがして、愛おしさすべてを包んでしまう。
そうなるとコントの「面白い」なんかより、「面白いを創ろうと奮闘する推しの姿」のほうに感情は奪われる。

その一方、
日々多くのコンテンツが消費されるいま、ブランドや物語が重要であることはバラエティにも顕著。
座組の決まった番組においては、メンバーの関係性や素の表情を出すことが番組を愛してもらう大きな助けになる。

では、どうするべきだろう。
面白いコント番組を目指す以上、錚々たるメンバーをわざわざ集め、限られたコント尺を削ってまで裏側を流すのは本末転倒だ。しかし番組アカウントから別展開の動画を作ったところで、過度にバラエティーが好きな視聴者以外には届かない可能性が高い。
この番組は一つの答えを出した。映像自体を「どう考えてもテレビで流すほどでもない」とする(フリを作る)ことで、それ自体にはなんのツッコミも必要としない、おじさんたちの歪なかわいらしさをストレートに見せる新しい手法を実現した。
かたまりのコント自体も、せっかく電波ジャックをしたのに下らない映像を流す、かっこよくキメたいのにペン回しやあやとりを失敗する、キャラのコントとして成立させている。
(かたまりが演じたキャラクターと設定が、先日の空気階段単独ライブ『anna』内のコント「SD」で本人が演じたもののパロディであることからして、コア視聴者の「好き」が爆発するように誘導してもいる)

需要に応えるものを創出しつつ、それもコントに納める演出。感動的だ。
シンプルに集合写真がSNSでバズり、キャラクターのファンアートが溢れる世界だ。

他番組では手が届かなかった痒い所をカバーする興奮が抑えきれない。
素晴らしかった『笑う心臓』第二弾、いや、レギュラー化、ありますように。


オケタニ(@oketani2772)

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