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花遊小路のこと

大学時代、個人経営のカフェでアルバイトをしていた。「京都で一番短い商店街」と言われている花遊小路(かゆこうじ)に佇む、2階建ての、小さなガラス張りの、木造建築のお店だった。

カフェの名前は「ポパイ食堂」。私にとって、人生3つめのアルバイト先。高校3年生の頃に「家の近くでならアルバイトしてもええで」と親に許可をもらってはじめた近所のファミレス、大学1年生の頃に憧れてはじめた大手チェーンのカフェ。効率よくテキパキと働かなければいけない飲食店での仕事は私にことごとく向いておらず、どちらもすぐにやめてしまった。

そして、たどりついたのがポパイだった。個人経営の飲食店であれば、私くらいマイペースで鈍臭いやつでも大丈夫だろう、路地裏だからそんなに人も来ないだろうと思い、面接を受けた(それはのちに大きな間違いだったと気づくのだけれど)。


ポパイには、いつも決まって16時ごろ、ビールを一杯だけ飲みにくる男性がいた。その男性が、お店の向かいにあるスペイン料理屋「テルヌーラ」の店主だと知ったのは、バイトを始めてしばらく経ってからのことだった。

年齢はおそらく40歳くらい。大きな、渋い笑い声を心地よく店内に響かせて、ポパイのオーナーと他愛もない話をしては、「ごっそうさん」と600円をカウンターに置き、そそくさと自分の店に戻っていく。どうやらその男性は「もっさん」と言うらしく、ほかのバイトのみんなも「もっちゃんさん」「もっちゃん」「もっさん」と慕っていたので、私ももっさんのことを、すぐに慕うようになった。

私は当時まだ19才で、お店では「カリン」と呼ばれていた。ポパイには本名ではなくてあだ名で呼び合う文化があって(あだ名は初シフトのとき、店長のユミさんがつけてくれる)、私のカリンという名前は、本名である「ゆか」と、雰囲気的に「ゆかりん」っぽいところから着想を得たらしい。私の他にも、リリーさん、シータさん、ミーナさん、エマさん、ゲンタさんなどがいた。

私は一番年下で、年上の先輩たちにはずいぶんと可愛がってもらった。もっさんも、「カリンは抜群や!」などと冗談を言って、いつも可愛がってくれた。私はいつも24時のバイト終わり、テルヌーラを覗いては、「おつカリンでーす!」と、20才前後だからこそかますことができるキャピキャピした挨拶をして帰路につく。もっさんが笑ってくれることが、うれしかったのだ。

ポパイで働く時間は、楽しかった。カリンとして働く時間は、心地よかった。メニューは覚えられないし、皿は割るし、まかないは作れないしで、あいかわらず飲食の仕事はまったくといっていいほどできなかったけれど、ポパイの、さらには花遊小路にいる人たちのことが好きだったから、自分が「カリン」でいられる時間が好きだったから、続けられた。花遊小路に集まる人たちは、常連さんを含め、みんな個性的で、自由で、何よりやさしかった。


働き始めてから1年ほどが経ったころ、私は本屋さんでのアルバイトをかけもちするようになって、そちらにどんどんのめり込み、ポパイのシフトを減らすようになっていった。さらにしばらく経ったころ、「本屋でのアルバイトに専念しよう」と決断し、ポパイを卒業することにした。かなり悩んだけれど、なんせ、私の人生をその後変えることになるほどの本屋さんと出会ってしまったのだ。この時の判断は、今でも間違っていなかったなと思っている。

ポパイをやめてしばらく経つと、「カリン、ヘルプでいいからたまにシフト入ってくれへん?」とオーナーから連絡をもらった。店長のユミさんがご懐妊で、人手が足りないことが理由だ。ヘルプでいいなら、と、やめてからもたまにポパイで働くようになると、ある日もっさんが、「カリン、テルヌーラでもヘルプやらへん?」と声をかけてきた。

そこから、私は時たまテルヌーラの店員としても働くようになった。スタッフの貸し借りなんて、ポパイとテルヌーラがとんでもなく仲良しだからこそなせる技である。私はほんとうに猫の手ほどの力しかなく戦力外だったと思うけれど、「花遊小路のヘルプ」として、ふたつのお店で働くようになった。

一緒に働くようになって、もっさんとは、グッと仲良くなった。時間があるときには、12時のオープンから24時のクローズまで12時間働き、「特別やで」「カリンスペシャルや」と言って作ってくれるもっさんのまかないには、「こんなのまかないに乗せちゃっていいの?」と思わず聞きたくなるくらい大きな海老が乗っていた。一緒に働くようになって、もっさんが、自転車、トランペット、スペイン語など、多趣味で、勉強熱心な熱い男であることも知った。

もっさんは、太陽のような人だった。もっさんは、愛情という概念をそのまままるっと人型にしたような人だった。テルヌーラは、そんなもっさんの人柄がそのままお店になったようなお店だった。テルヌーラがスペイン語で「愛情」という意味を指すということを聞いたとき、こんな言行一致したお店ないよと思いふふふと笑った。テルヌーラには、驚くほどたくさんの常連のお客さんがいた。みんなきっと外では大変なこともあるのだろうけど、テルヌーラでは誰もが笑顔で──いや、思わず笑顔になれてしまうからこそ、みんな足繁く通っているように思えた。もっさんのおいしい料理と、もっさんとのおしゃべりの時間は、「至福のひととき」という言葉が本当によく似合う。私は20才前半にして、いいお店とは何かを知った。

こだわりがあること。素敵な人が働いていること。空気があること。商品に対する想いがあること。妥協がないこと。バランスが取れていること。ファンがいること。 愛情があふれていること。

私は、花遊小路という場所が、大好きだった。ポパイで、テルヌーラで働く時間が、大好きだった。大学を卒業してから、ポパイは残念ながら閉店してしまったけれど、半年に一回ほどは必ずテルヌーラに顔を出した。家族とも、ともだちとも、大切な人とも、数えきれないくらいたくさん、テルヌーラで一緒に食卓を囲んだ。

私にとって、花遊小路という場所は、京都に帰るひとつの理由だったのだ。

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そんなもっさんが、死んでしまった。

3日前の晩、インスタグラムのストーリーを、いつものようにあまりろくに見もせず左へどんどんスワイプしていると、一緒に働いていた先輩の意味深な投稿が目についた。


「もっさん、突然のお別れで、悲しいです」


頭が真っ白になった。

どういうことなんだろう。だって、え、でも、え、どういうことなんだろう。え、え、、、?

部屋に一人でいた私はパニックになって、先輩に「どういうことですか?」とメッセージを送る。すると先輩から、もっさんが亡くなった、ということを聞いた。


ずっと癌だった、そうなのだ。何も、何も知らなかった。私が最後に会いにいったのは、去年の3月31日、ちょうどテルヌーラが11周年の時だった。「もっさん、少し痩せたな」なんて思っていたけれど、まさか病気だなんて、思いもしなかった。少しも。ほんの少しも。

だって、もっさんはその時「再婚をした」と言っていた。私はおめでとうと祝った。心からおめでとう、と思った。めでたいなあと思いながら能天気にお酒を飲み、ひさしぶりの常連さんたちとのやりとりを楽しんで、ああまた来年の周年パーティが楽しみだななどと言いながら、もっさんに「もうすぐ私も結婚するんです。次会うときは既婚者ですよ〜」などと告げ、いつものようにバイバイと手を降った。また会いましょうとは言わなかった。だって、いつものように、またいつでも会えると思っていたからだ。


でも、もうもっさんには二度と会えない。

会えなくなるだなんて、そんなこと聞いていない。

もっと伝えたい言葉があった。結婚したよってちゃんと報告したかった。私にもし子どもができたら、もっさんに抱いてほしかった。もっさんとは、これからも、当たり前のように、たくさんじゃないかもしれないけれど、人生の大事な時間を共有できると信じきっていた。だから、こんなに突然お別れがくるなんて、微塵にも思いもしなかった。

大事な時間はどうしてあとから気づくんだろう。どうしてもっともっさんに会いに行かなかったんだろう。後悔、思い出、悲しさ、寂しさ、いろんな感情や思いが頭の中に一度に流れこんでくる。

でもきっと、もっさんは、花遊小路に集まる人々に、いつまでも「愛情」だけを注いでいたかったのかもしれない。どこまでもサービス精神が旺盛で、優しくて、かっこいいもっさんは、自分の辛いところを人に見せることは望んでいなかったのかもしれない。いつまでも、テルヌーラ(愛情)の精神を貫き通したかったのかもしれない。真意はもう、確かめることはできないけれど。

「いつものように」明日がくるなんてことはない。今の一瞬一瞬を、周りにいる大切な人を思いっきり大切にして生きなければいけないと強く思う。

帰る場所の温かさを教えてくれた、もっさん。美味しいお酒はお店の空気がつくることを教えてくれた、もっさん。思わず笑顔になってしまう場所が、どれだけ人の居場所になるかを教えてくれた、もっさん。私にとって、人生ではじめて「かっこいい大人ってこういう人なんだな」と思わせてくれた、もっさん。本当にありがとう。

これからもテルヌーラに通い、もっさんがいた空気を楽しみながら、おいしいお酒を飲むことができればと思います。今までありがとう。もっさんに会えてよかった。またいつか、会おうね。どうか、どうか、安らかにおやすみください。

ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。