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「誰かと暮らすこと」への欲

梅雨と言えど、もう気分はほとんど夏だ。夏といえば素麺でしょ、ということで、きのうは今年初の素麺を食べようと思った。海開き、夏祭り、なんでも「今年初」のものは心が踊る。

ウキウキしながらさあ茹でようとしたところ、「あれ」と思った。

1人分って、どれくらいだっけ。1束? 2束? 何束茹でていいか、感覚的に分からなかったのだ。


気づけば去年もその前の年も、素麺は一緒に暮らしていた人と食べていた。決まって3束茹でて、それをその人と分ける。だいたい1.2束が私で、1.8束がその人、くらいの割合だった。

1束か、2束か……。お鍋の前でしばし考える。そして、沸騰したお湯に結局1束だけを入れながら、「ひとり暮らしになってもう半年も経つのか」としみじみ思う。


よく考えてみれば、私は東京に来るまでは実家に住んでいて、東京に来てからも最初の1年半をのぞけば一緒に住んでいる人がいたので、実質的なひとり暮らしの経験でいえば、たったの2年足らず。

家までの帰り道を一緒に歩くこと、帰ったらおかえりなさいと言ってくれる誰かがいること、時に機嫌が悪くて喧嘩すること、時にふざけあって笑うこと。それは、家族でも恋人でもうれしいことだった。

誰かと一緒に生活することの楽しさは、他に代え難いものがある。一人が好きだと思う反面、自分の中にはきっと潜在的に「誰かと一緒に暮らしたい欲」が強くあるんだな、と思った。


そして、引越しを考えている今ふと考える。家族でもなく、恋人でもなく、次は、友達、もしくは赤の他人──今まで「一緒に暮らす」という経験をしたことのない関係の人たちと一緒に暮らしてみたいなあ、と。

シェアハウスとかソーシャルアパートメントとか、東京には無数の「共同生活」の母体がある。私はきっと大人数での共同生活は向いていないので、シェアハウスよりも、仲の良い友達と二人で住む、とかの方が向いていると思うけれど。

もうなんかいっそのこと、出会って一週間足らずの人と一緒に住んでみる、とかそういうのもアリなんじゃないかとか思ったりする(ナシか)。

まあとにかくどんな形にせよ、家族でもなく恋人でもない関係の人と一緒に住むということは今まで経験したことがないので、人生で一回くらいは経験してみたいなあ、と思うのだ。そしてタイミング的には、25歳独身彼氏ナシのステータスを持つ今なんじゃないか、と思うのだ。

「誰かと暮らす」ことへの欲、というものに、平成最後の夏の素麺に気づかされる。でもきっと私は気分屋なので、しれっと数ヶ月後ひとり暮らしをしていたりもするのである。さて、どうなるか。とにかくはやく引っ越したい。

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92年生まれ。京都からのらりくらり東京へ。サイボウズで働きながら、フリーランスの編集者・ライターとしても活動しています。ほぼ日の塾2期生 / 編集ライター養成講座35期生
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