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100ではなく、1の約束を。

きのうは、昼から西荻窪で予定があった。

西荻窪は東京の西側にある、情緒あふれるとてもいい街(こちらの連載がとてもすてき)だ。そこにはとても仲が良い女の子が住んでいるので、わたしはその子に会いにたまに西荻窪に行く。その子はわたしのひとつ歳下の女の子で、わたしのことを「あかしさま」と呼ぶ。大学時代からの知り合いで、編集プロダクションに勤めているその子とわたしはお仕事の受注/発注の関係でもある。

その子と会うと元気が湧く。遠慮がないようであるところ、自信があるようでないところ(この「ある/ない」の順番はとても大事)、何より熱くて優しくておもしろくて笑顔がかわいいところがとても好きだ。

14時に待ち合わせだったけれど実際に集合したのは15時だった。わたしが「14時半になる」といったらその子は15時にきた。そういうところもふたりの関係のいいところだな、と思う。江國香織さんのエッセイ『いくつもの週末』がたまたまリュックの中に入っていたのでそれを読んで待った。

『いくつもの週末』は私が大好きな本のひとつで、江國香織さんが自身の結婚生活を綴ったエッセイだ。なんといっても文章が美しい。それはもう、嫉妬をしてしまうくらいに。自由でいて、凛として、儚くて、少し切なくて。こんな女性になりたいなあと、いつも読んでいて思う。



そしてひさしぶりにこの本を読み、下記の部分にさしかかったとき、今まで読んだときには感じなかった新しい発見があった。

結婚するとき、夫に約束してもらったことが一つある。これから先、どんなことがあってもよその女にチョコレートをあげない、という約束だ。お花や靴や鞄や装身具ならいいけれど、チョコレートだけは駄目。

(中略)

恋愛にまつわる約束はたいてい無意味で、たとえばほかの人と恋をしないでほしいと言ったところで無駄なのはわかっている。そういうことになってしまえばなってしまうに決まっているし、約束なんかのせいでその機会をのがしてほしくもない。でも、たとえ誰か特別な人に贈り物をすることになったとしても、チョコレートを避けることならできるのではないかと思う。小ぎれいな焼き菓子にするとか、花束にするとかすればいいのだ。そのときの誠実さの方が、私にはよっぽど信用できる。

最後の一文、この最後の一文の「そのときの誠実さの方が、私にはよっぽど信用できる」という部分。ああ、わかるなあ、と思った。


「約束」とはとても重たいものだ。とても重たいがゆえに、とてもしんどく、とても重たいがゆえに、それを守ることで信頼が生まれる。だから約束の結び方は、いつだって慎重にならないといけないと思っている。

「ぜったいに裏切らないで」とか「間違ったことはしないで」とか、その約束1つで100の行動に制約をかけてしまうような約束ごとは、とてもしんどいと思う。それはなぜなら、100の行動のうち99を守っていても、1を守らないことによって、その99の「誠実さ」は無駄になってしまうから、だ。

だから、「1つで100の行動に制約をかけてしまうような約束」を結ぶよりも、「1つの具体的な行動の約束」を結ぶことの方が関係としてシンプルで、それでもっておたがいがやさしくいられるのではないのかな、と思う。そして「基本的には自由にしていいけれど、これだけは守ってね」という1つの約束でつながっている方が、案外、強い結びつきが生まれるのではないだろうか。

わたしはまだ結婚の経験はないけれど、もし結婚するんだったら、1つだけ「これだけは破らないでほしい」という約束(たとえば誕生日には青いバラを毎年贈ってもらうとか)をつくって、あとは自由にしていたいな、と思う。100ではなく、1の約束を。

そんなことを思っていたら、その子が「あかしさま、遅れてすみません!!」と言ってお店の中に入ってきたのだった。

ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。