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「鍵日記」の思い出

中学生や高校生の頃、「mixi」や「デコログ」「Amebaブログ」などのサービスを使って、日記を書いていた。

このnoteに書いている内容はどちらかといえばエッセイやコラムに近しいものだけれど、その当時書いていたのは、本当にどうしようもないほどくだらない、ただの「日記」だった。

体育祭が楽しかっただとか、授業がめんどくさかっただとか、今日は友達の誰それと放課後カラオケに行ってプリクラを撮っただとか。そんなとりとめのないことを、ただつらつらと書き綴っていた。


そしてそれと一緒に思い出されるのは「鍵日記」のこと。

鍵日記とは、サービス上で「友達」になっていないと読めない日記のことで、友達申請をして承認をもらわないと、その人の鍵日記は読めないようになっていた。

そこではなんというか、あけっぴろげな恋愛の話、悩みごと、友達の誰それの悪口など、今思えばちょっと怖い内容が書かれていたように思う。

ただそこには、「限定された友達」に向けた日記だからこそ書けるもの、が存在した。人気者のあの子、好きなあの人の「鍵日記」を読めることは一種のステータスのようなもので、その存在が、思春期のわたしたちの気持ちのはけ口でもあった。


「全公開にはしたくないけれど、◎◎さんになら読んでほしい」という文章の行き場が、今はないなあ、と、ふと思う。

それは、twitterの鍵アカウントのブログ版、ともいえるかもしれないけれど、そこまでプライベートなものでもない。noteで有料にする、というのもまた違う。

ただ、なんとなくもうちょっと踏み入った自分の気持ちだとか、書きたいことを書くときに、「本当に興味を持ってくれている人」というフィルターがひとつ挟まるだけで、その書ける幅はグッと広くなる気がしていて。そんな場所があればいいのにな、と、深夜1時半、ベットの中でうつらうつらと書き記す。

そういう意味で、鍵日記というのは、私にとってものすごく香ばしい思い出だよなあ、と思う水曜日の夜なのでした。もう寝ましょう。

ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。