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「書く」考え方

「嫌われる勇気」を書いたことで知られる古賀史健著の「取材・執筆・推敲 書く人の教科書」という本を手に取った。仕事で取材をすることになったので、そのために少しでも参考になればとおもって買った本だった。

読んでみると、「書く」にとどまらない、何かを「つくる」仕事であればきっと役に立つ古賀史健自前の考え方がたくさん載っていた。

私自身映像の仕事をしていて、仕事に活かせるようなところはないか、と言う視点で読んでいくと、分厚い本だったけれど最後まで面白く読見通すことができた。
実際、映像制作をしている人は全員読むべきではないか、と思うほど学ぶことも多かった。

もちろん、「書く」仕事に直結するような技術的な話が多い。

以下は、これから文章を「書く」上で、そして映像を「つくる」上で気に留めておきたいことの一覧だ。

本当はもっとたくさんの言葉をいつでも見られるように残しておきたかったが、あえて厳選した。

ライターとはなにか?

ライターは、取材に協力してくれた人、さまざまな作品や資料を残してくれた作者、その背後にある文化、あるいは河川や深林などの自然に至るまで、つまりからっぽの自分を満たしてくれたすべての人や物事に宛てた、「ありがとうの返事」を書いているのである。
取材相手への敬意が深いほど、返事はていねいになるだろう取材相手を軽んじているほど、返事は雑になるだろう。返事(原稿)には、取材者としての姿勢が必ず反映される。
ライターとは「取材者」である。
そして取材者にとっての原稿とは、「返事」である。
取材者であるわれわれは、「返事としてのコンテンツ」をつくっている。

ライターとはなにか?

第一章 すべては「読む」からはじまる

活字を読み、映像を読み、広告を読み、音楽を読み、サービスを読み、街や季節の移り変わりを読み、人々の声を読んでいく。多くのことを感じ、問いを立て、自分のことばで答えを出していく。それが取材であり、読むということだ。取材者であるかぎりライターは、書いていない時間の全てを「読むこと=取材」に費やさなければならない。観察し、考えることに費やさなければならない。

一冊の本を読むように「世界」を読む

ひと言でいって、「読者としての自分」が甘すぎるのだ。
まず、取材対象を「読む」ことができていない。表面的な理解にとどまり、その根底にあるもの、奥にあるもの、あるいは裏側にあるものを、まるで見ようとしていない。なにもわかっていないのに、わかったつもりで書いている。
そして致命的なことに、自分の原稿を「読む」ことができていない。40点でしかない自分の原稿に、ぼんやり80点をつけている。40点のまま、筆を擱いてしまっている。

なぜあなたの文章はつまらないのか?

ライターに必要なのは、情報を「キャッチ」する力ではない。
そんなものは検索エンジンにでも任せておけばいい。能動的に読むとは、情報を「ジャッジ」することだ。自分なりの仮説を立てていくことだ。
まずは対象を、じっくりと「観察」すること。そして観察によって得られた情報から「推論」を重ねていくこと。直感で判断せず、必ず理を伴った推論を展開していくこと。さらに推論の結果として、自分なりの「仮説」を立てること。こうに違いない、と思えるところまで考えを進めること。

情報をキャッチせず「ジャッジ」せよ

お勉強の意識を捨てて、片っぱしから手に取っていこう。

多読より乱読

悪文とは、「技術的に未熟な文章」を指すのではない。
技術に関係なく、そこに投じられた時間も関係なく、ただただ「雑に書かれた文章」はすべて悪文なのだ。だからどれだけ技術にすぐれた作家でも、悪文に流れる可能性はある。
悪文読解は、書き手の「雑さ」を読んでいく作業と言っていい。

ヒントは悪文のなかにある

嫌いな文章を読み進めるのは、誰にとっても苦しい作業だ。
そんな本ばかりを何冊も選ぶ必要はない。しかし、そこで感じる「痛みの理由」を考え抜いた先に、自分の進むべき道が見えてくるのである。

わたしという人間を読むために

一冊の本を通じて、人生を変える勇気があるか。
これまで自分が受け入れてきた常識や価値観を、ひっくり返す勇気があるか。
これまで自分を全否定して、新しい自分に生まれ変わるつもりがあるのか。
読書体力の低下とは、体力の減退である以前に、「変わる気=こころの可塑性」の低下なのだ。こころのどこかで変わること(自分の価値観が揺さぶられること)を恐れているから、ラクな本にしか手が伸びないし、良書を読んでも「座右の書」になり得ないのだ。

読書体力と自分を変える勇気

第二章 なにを訊き、どう聴くのか

ぼくは、ライターの自分とインタビュアーの自分を、切り離して考えている。
取材の現場にいるのは、ライターの古賀史健ではない。インタビュアーとしての古賀史健が相手と向き合っている。もちろんインタビュアーの仕事は、原稿集めではない。取材という一期一会の機会を、「お互いにとって」実りあるものとすること。それがインタビュアーの仕事だ。それでおこなわれた取材をどう原稿にまとめていくかは、後からライターの古賀史健が考えればいい。相手を原稿の素材と見るような-つまりモノとして見るような-取材は厳に慎むべきである。
だからぼくは、取材中の脱線もおおいに歓迎する。おしゃべりが思わぬ方向に転がっていくプロセスを、一緒にたのしむ。

ライターの自分を切り離す

評価とは、自分の都合に従って導き出された、安直な結論である。他者を評価するときあなたは、その人の価値、能力、職業観、人生観、可能性を決めつけてしまっている。
相手を評価しないこと。
それは相手のことをどこまでも考え続け、もっと深く知ろうと耳を傾ける、「聴くこと」や「読むこと」の大前提なのである。

相手の話を「評価」しない

訊くべきことの主語が「読者」だとするなら、訊きたいことの主語は「わたし」である。読者とは関係なく、「わたし」が知りたいから、訊く。ほかのライターは訊かないかもしれないけれど、訊く。取材のテーマとは直接関係ないけれど、原稿には入らない話かもしれないけれど、この機会にどうしても聞いておきたいから、訊く。
こうした「訊きたいこと」がある取材は強いし、おもしろい。相手も身を乗り出してくれるし、話は深まっていく。
なぜなら、それが「好き」のあらわれだからだ。

質問の主語を切り替える

第三章 調べること、考えること

わかりにくい文章とは、書き手自信が「わかっていない」文章なのだ。

わかりにくい文章が生まれる理由

「わかりやすい文章」とは、「レベルを落として書かれた文章」を指すのではない。
書き手自信が、わかっている。対象を分かった上で、書いている。対象をとらえるレンズに、いっさいの曇りがない。「わかりやすい文章」とは、そうした「曇りのない文章」のことを指すのだ。

わかりにくい文章が生まれる理由

最良の反対意見とは、真摯に向き合うべき「最良の読者」なのである。

最良の反対意見を探す

ぼくにとっての取材とは、対象を「知る」ところから出発して、「わかる」に辿り着くまでの、知的冒険だ。

取材という名の知的冒険

第四章 文章の基本構造

-こうして内省することは、いわば「感情の翻訳」だ。怒りや悲しみ、喜びなど、ことばを伴わない感情を、ことばにして考える。美術館でゴッホやセザンヌの絵画を見て、心が震える。それ自体すばらしい体験だ。でも、せっかくこころが震えたのなら、その震えを「翻訳」したほうがいい。書かなくてもかまわない。誰か伝えなくてもかまわない。感情の揺れ、震えを、ことばにする(翻訳すること)を、習慣化したほうがいい。それは自分という人間を知ることでもあり、ことばの有限性を知ることでもあり、翻訳機としての能力を高めていく格闘でもある。

書くのではなく、翻訳する

論理的な文章の基本構造は、主観と客観の組み合わせ、それだけだ。

論理を作る「主張」「理由」「事実」

調べ上げたデータを指し示すのもいい。データが必要となる場合も、多々ある。しかしそれだけでは、出来損ないのプレゼン資料と変わらない。そうではなく、誰もが膝を打つような類例-見事な「たとえ」-を論拠にできてこそ、ライターだ。カレーとひらがなを結びつけるような大胆さ、驚き、類例までの飛距離が文章をおもしろくしてくれるのだ。事実ということばに身を硬くしないでほしい。

なにを論拠に語っていくか

人間のこころには、「作用・反作用の法則」が働く。

説得から納得へ

コンテンツにはテーマが設定されていて、コンテンツは等しく「課題解決」のプロセスとして存在している。最初に「これからこういうテーマについて語りますよ」という課題の設定があり、さまざまな論の展開を経て、課題の解決(結論の提示)に至る。「課題設定」から「課題解決」へ。それがコンテンツの基本形である。

人はなにが揃えば納得するのか

読者が納得へと踏み出すには、なんらかの「自分ごと化」が必要だった。「課題設定」と「課題解決」のあいだには、「課題共有」の要素が必要だった。では、どうすれば読者との「課題共有」ができるのか。その答えが「起点承結」における「転」である。世間で常識とされていること(起)を、いきなりひっくり返す。唐突に前提をぶち壊し、自らの主張を述べる。

人はなにが揃えば納得するのか

そしてライターの仕事は、「1」から「10」までを丁寧に言語化(翻訳)していくことにある。語り手の言葉に論の軸を通し、飛躍や交錯を整えていく。当然ここでは、「その人がことばにしていないこと」にまで踏み込み、翻訳を施していかなかければならない。仮にその人が「1と10」だけしか語っていなければ、「2から9」までも言語化しなければならない。

ふたたび翻訳について

すべての訳詩は、それが翻訳者の創作であり、翻案である限りにおいて価値を持っている。換言すれば詩の翻訳者は、原作を自分の中に融化し、自分の芸術的肉体として、細胞化した場合にのみ、初めて訳者としての著作権を有するのである。

ふたたび翻訳について

もしもあなたがほんとうに誠実なライターでありたいのなら、つまり取材したことの翻訳者でありたいのなら、あなたは勇気を持って「翻訳」にまで踏み込んでいかなければならない。右から左へ直訳するだけでは、取材が死んでしまう。あなたがそこにいる意味がなくなってしまう。そして「翻案」に踏み込むためには、対象をみずからの中に融化させなければならない。自分と取材対象とが、一体化しなければならない。一体化できていれば、2から9までの「語られなかった論理」にことばを与えていくことも可能になる。

ふたたび翻訳について

第五章 構成をどう考えるか

取材とは、ひとえに「分母を増やすプロセス」だと、僕は思っている。分母が「取材で得た知見」で、分子が「書くこと」。

なにを捨て、なにを残すか

分母の大きさよりも、分母のクオリティ、つまり撮影された映像(230時間のフィルム群)の質が高かったこと。そしてなにより、「なにを捨て、なにを残し、どう繋げるか」の選択が研ぎ澄まされていたこと。

なにを捨て、なにを残すか

その自由は、あらかじめ「書くこと」を極限まで絞り込み、不自由のトンネルをくぐったからこそ手に入る自由だ。絵本的発想で、一旦「書くこと」の骨格を固める。そして肉付けするように、追加のカードを一枚ずつ切っていく。構成とは、そのように考えていけるものなのである。

なにを捨て、なにを残すか

前章で述べたように、コンテンツは等しく「課題解決」を目指すプロセスとして存在している。つまりコンテンツには、なんらかのゴール(課題が解決された姿)がある。自分達(書き手と読者)を乗せたバスはこれからどこを目指して走り出すのか、その行き先をなるべく早く提示するようにしよう。すべての原稿に当てはなる原則ではないものの、もったいぶってはいけない。行き先のわからないバスなど、誰も乗ってくれないのである。

バスの行き先を提示せよ

第六章 原稿のスタイルを知る

スピーチ原稿を書くのは好きな方なので、本を書くのもそんなものだろうと思い込んでいた。ひとつの章を書くのはスピーチ一本を書くのと同じことだろうと、無邪気に思っていたわけだ。それはまるで、よくあるソフト開発者の勘違いみたいなものだった。つまり、十倍長いプログラムを書くには、百倍込み入った作業が必要になるということだ。

ビル・ゲイツの告白

ぼくの考えるインタビュー原稿のゴールは、「その人のファンになってもらうこと」である。読み終えたあと、なんらかの情報や知識を得るだけではなく、その人のことを好きになってもらうこと。「言っていることの正しさ」に同意するというよりも、「人としての在り方」に親しみや好感を持ってもらうこと。それがインタビューする側の責務だ。

インタビュー原稿① 情報よりも「人」を描く

「あなたがなにを話そうと、誰も聞きはしません」と院長はきっぱり言いました。「人々が講演のほんとうの内容に興味を持つことはめったにない。彼らはただ、あなたの口調や身振りや表情から、あなたが正直者であるか否かを探りたがるだけです」

インタビュー原稿① 情報よりも「人」を描く

読者は「なにが語られているのか」の向こうに、「この人は、どんな人なのか?」を読んでいる。

インタビュー原稿① 情報よりも「人」を描く

言えることがるとすれば、「10年先を見たければ、10年前をみよう」だ。「100年先を見たければ、100年前を見よう」だ。今の読者にしか通用しない、期間限定の言葉を使っていないか、期間限定の議題に終始していないかチェックしよう。そして未来を見るのではなく、それが「10年前の読者」や「100年前の読者」にも届くものなのか、考えるのだ。

コンテンツの賞味期限をどう考えるか

しかしぼくは、みずからの得意分野を「ジャンル」で考えるのではなく、「スタイル」で考えるべきだと思っている。すなわち、インタビュー原稿を書かせたら誰にも負けないとか、対談原稿については臨場感たっぷりにかけるとか、本を作るのだったら自分に任せてほしいとか、なんらかの『スタイル』で自分の長所を考えていくべきだと思っている。
そしてひとつのスタイルで鍛えられた力は、他のスタイルに移行した時にもきっと生かされる。得意ジャンルを持つよりも、得意なスタイルを手に入れる。情報通になるよりも、すぐれた取材者になる。

コンテンツの賞味期限をどう考えるか

第7章 原稿をつくる

論理的な文章の基礎にあるのは、主観と客観の組み合わせだ。
Aの接続詞でつなげるばかりの文章は、ずっと「主観=わたしの気持ち」を述べているに過ぎない。そこに「しかし」が入る時、書き手は別の視点を手に入れ、少しだけ客観に近づく。「なぜなら」が入れば、検証・証明のシーンに突入し、さらなる客観が求められる。流れによっては「たとえば」と、証拠となる類例を挙げていく必要だって出てくるだろう。

リズム②「ふたつのB」を意識せよ

ぼんやりと「起承転結っぽい」文章を書いているライターはかなりの確率で導入に失敗している。前振りにもならないとってつけたような導入をつくり、「導入を描くために別途取材する」との意識を持っていない。たとえ導入の数行だとはいえ、取材なくして読者の「体験」をともなう読み物など、書けるはずがないのだ。

ストーリー④ 起承転結は「承」で決まる

起承転結で大切なのは、前半だ。はじまりの石(起)を、どれくらい遠くに置くことができるかだ。そしてそれからどれくらい見事のな論(承)を展開していくことができるかだ。「転」から先の本論については、それなりに取材もしているし、多くのライターが平均点以上の原稿を書くことができる。問題は前半であり、とくに「承」で展開する論についての入念な取材である。起承転結の成否は「承」がつくるのだと考えよう。

ストーリー④ 起承転結は「承」で決まる

透明であり続けることはできる。他の色を、混ぜなければいいのだ。「わたし」以外の色を混ぜるから水が濁ってしまうのだ。個性的な文章を目指すことも、あの人みたいな文章を目指すことも、技巧を凝らした文章を目指すことも、すべて文章を濁らせる結果にしかならない。そして濁った文章はかならず、読者とのコミュニケーションを妨げる

自分の文体をつかむために

第8章 推敲という名の取材

そこでおすすめしたいのが、「最強の読者」を降臨させることだ。
こころから尊敬する作家。その研ぎ澄まされた知性に、いつも唸らされる評論家。あるいは学生時代の恩師。あんなふうになりたいと願う先輩。誰でもいいから「もしも尊敬する『あの人』がこれを読んだら?」を考えるのである。

最強の読者を降臨させる

捨てて一旦、目の前を(目の前に映る景色を)真っ白にする。

「迷ったら捨てる」の原則

推敲に「もったいない」は禁句である。読者はあなたの「苦労」を読むのではない。そしてあなたに支払われる原稿料は、「苦労」の対価では全くない。そこに投じられた時間や労力に関係なく、読者はただ「おもしろいコンテンツ」を読みたいのだ

「迷ったら捨てる」の原則

徹底した取材者であれ、とぼくは言う。
自分の頭で理解できたことだけを書け、とぼくは言う。
自分のことばで考えろ、とぼくは言う。
それはひとえに「すべての人に読まれたい原稿」をつくるためだ。

読まれたくない文章を書かないために

第9章 原稿を書き上げるために

しかしやる気は、執筆や推敲の前提にあるものではない。つまり、やる気があるから面白い原稿が書けるのではなく、「面白い原稿にならないから、やる気を失っている」のだ。もしも原稿が面白ければ、食事を取ることさえ忘れるくらい、没頭するだろう。

やる気が出ない本当の理由とは

「ほんとうは、もっとおもしろかったんじゃないか?」
「自分はもっと、おもしろいものが書けるんじゃないか?」

やる気が出ない本当の理由とは

「結局、早い、遅い、の差は線を引くときの自信の差なのだ!」
「自信と集中力を持って引く線は、早くて、きれいなのである!」
「迷って引く線と、自信を持って引く線のちがいが、スピードの差となあって表れるのだ!」
これは漫画にかぎった話ではない。執筆中の不安や迷いは、そのまま文章にあらわる。漫画の線がぶれてしまうように、文章にもブレが生じ、説明的で冗長なものになる。技術と関係なく文章は、自信満々に、一筆書きくらいの姿勢で臨んだほうがいいのだ、書き始めるまでは熟考に熟考を重ね、書き始めたら一気に、が基本である。

よき自信家であれ

どんな状態になったとき、「書き上げた」と言えるのか。
ぼくの答えは、原稿から「わたし」の跡が消えたときだ。つまり、原稿を構成する全てが「最初からこの形で存在していたとしか思えない文章」になったときだ。
苦しんで書いた跡、迷いながら書いた跡、自信のないままに書いた跡、強引につないだ跡、いかにも自分っぽい手癖の跡などがすべて消え、むしろ「これ、ほんとに俺が書いたんだっけ?」と思える姿になったとき、ようやく推敲は終わる。原稿が、書き上がったと言える。

原稿はどこで書き上がるのか

あとがきにかえて

本書のなかでぼくは、たくさんの「技術」や「方法」を紹介した。しかし「テクニック」については、一つも紹介していないつもりだ。ぼくにとっての技術とは、考え、磨き、高めていけるものであり、テクニックとは身につけたらそこで終わるものである。

あとがきにかえて

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