蛇魚の神

「ウナギを食うなーッ!」「自然に返してやれよ!」「ウナギを焼けーッ!」「最後まで食い尽くせ!」「伝統を守るんだ!」

 土用の丑の日、午後。大勢の人間がそれぞれの目的をもって日比谷公園の芝生広場に集まっている。ニホンウナギの最後の一匹が間もなく、琵琶湖の養殖場より自衛隊のヘリによって運搬される。このあとは夜文化庁で行う蛇魚ノカミ天に登レシの儀式で捌かれ、蒲焼にして首相と客として招かれた孤児たちが召し上がる予定になっている。儀式の執刀担当は都内屈指のうなぎ料亭ウロボロスのシェフ、スティーブ・松田である。彼は最後のニホンウナギを調理した後、自らもハラキリを行い、ニホンウナギを絶滅させた罪を償うと前もって発言していた。その日のニュースを見て全日本が泣いた。

「日本人はなんて無神経なんだ!一つの生き物が消えてなくなるんだぞ!自然のこと何とも思わないのか!」SAVE UNAGIのTシャツを着たロン毛の若者が叫んだ。

「おやおや、人間が自然より上位だと考える者の論調ですね。人類は自然の一部なら、ビルも、道路も、汚染も、全部自然の一部なんだよ!我々は自然淘汰を早めるだけに過ぎない。咎められる筋合いなんてありやしませんよ!」と着物の女性が反論。

「おめえが自然に詳しそうな口ぶりしてんじゃねぇ!」「あなたこそそんなに自然が好きなら早く肥やしにでもなってくださいよ!」

 公園内ではウナギ保護派と絶滅派二つに分けて、激しい口論が繰り広けている。いつ暴動が起きても不思議ではない。

 絶滅派民衆の中に、明らかに異質な雰囲気の赤黒いフードを被った四人衆がいた。外からでは性別や年齢も解らない。イルイト教団の者だ。彼らはイール、すなわちウナギはエデンで自分をアダムに食べさせ、精を付けたアダムがイヴと盛んで七つの大罪が生まれたと唱える、極めて胡乱な一派。彼らはイールこそが悪魔の化身と考え、イールを消し去るため世界各地でイールの食用を説き、イールの料理方法を普遍化した。平賀源内は彼らと接触し、土用の丑のうなぎを提唱し始めたという説もあるが、安易に歴史の闇に触れるのは得策ではないとでも言っておこう。

 一方、保護派側。民衆とやや離れたベンチでたむろしている剣呑な一団。環境テロ「オーシャン・クラフター」日本支部。ベンチの真ん中に座り込む団子髪ヘアひげ男は支部長のアーサー・イカリ。ヴァイキング戦士じみた風貌。その臂力は凄まじく、投げたハープーンはマグロ漁船を一発で沈めると言われ、その前腕に刻んだ★のタトゥーは彼の撃沈数をもの語っている。

 BRATABRATABRATABRATABRATABRATA……

 耳を痛める程のモーター音と共に、輸送ヘリが近づいてくる。地面で待命していた隊員が色とりどりのバトンを振ってヘリを着陸地点へ誘導する。ドスッ、無事着地したヘリのハッチはゆっくり下ろされて、中から六名のアサルトライフル隊員が迅速に護衛陣形を取り、ヘリの周囲へ警戒し始めた。少し遅れて、横棒と星三つの階級章をつけた尉官が降りて、現場指揮官と敬礼を交わした。

 尉官がヘリに手を振ると、一人の民間人が降りた。彼が着ているツナギに大津ふるもと養殖場と書いてある。彼こそが最後のニホンウナギを手塩にかけて育てた男、古元寿郎である。彼は自分の息子同然と扱ってきたウナギが料理にされた後、ハラキリして後を追うと発言し、その日のニュースを見て全日本が泣いた。彼が持っている風呂桶には、当然今日の主役であるウナギが入ってる。ウナギの運搬といえば桶、トレディションナル。

「クリア!」「クリア!」「GOGOGOGO!」現場指揮官に従い、護衛隊と古元が霞ヶ関へ移動し始まった。文化庁のビルにさえ入れば、任務は完了だが、ここに群衆が大勢いる、何も起こらないわけがない。

「うおおお!総理、最後のうなぎだ!おいしく召し上がってーッ!」「ふざんけんな!今すぐウナギを多摩川に放流しろ!」

 先に動きだしたのはオーシャン・クラフターであった。ガスマスクを装着し、スモークグレネードを護衛隊に向かって投擲!すぐさま現場は煙りに包れた。

「うわっ、なんだ!?」「テロリストだ!さっき見たぞ!」「ケッホ、ヘッホ!」悶える群衆!でも自衛隊にとってこの状況は想定済み。護衛隊もすでにガスマスクを着けてある!だがオーシャン・クラフターまだ手はある!バッグパックからトライデント、ハープーンガンなど海洋系武器を取りだし攻撃を仕掛ける。

「セイブ・ザ・ライブ!」女性海洋闘士がトライデントを投擲!自衛官がそれを回避し、すかさずゴム弾で迎撃!BLAM!女性海洋闘士の胸に被弾!倒れる!

「リビルド・ジ・オーシャン!」「グワーッ」!少年闘士のハープーンが自衛官の方に当てたが、防弾チョッキに防がれた。「グワーッ!」今度は少年の脛に被弾、骨折悶絶!

「国民に手を出すんなんて公務員のやることか!?絶対にウナギを食べさせないぞ!」「テロリストに肩入れする国民などいるか!非国民め!排除してやる!」両勢力の人々も互いを押し合って、争い始める。その中にアーサー・イカリは金色に輝くトライデントを振り回し、人混みをなぎ倒しながら進んでいく。まるで三国武将だ!

「同士よ、恐れるな!ウナギを川に放流できれば、我々の勝ちだ!」「ウオオオオーッ!」リーダーの雄姿を目にした環境テロリストどもが鼓舞され、突っ込んでいく!「うおっ!?」「押すなって!」「どけ!」「ぐわ!」市民を殴り倒して進む!

 そして絶滅派に混じったフードの四人組の一人が皺と傷跡だらけの指でアーサー・イカリに指すと、ほかの三人がフードを払い、時代錯乱のプレート鎧が露わになった。カタナを提げる金髪の美青年、ハルバードを構える厳めしい戦士、双剣を背負う刈り上げの女剣士。三人がボーチから取り出した丸薬を口に入れ、噛み砕いた。すると彼らの目はギロリっと輝き、瞳孔が拡大し、顔に黒い血管が浮かび上がる。これがイルイト教団秘伝のイール成分を凝縮した霊薬である。悪魔とその下僕を駆除するため、自ら悪魔の力を取り入れたのだ!

「ゆけ」

 リーダーが命令を下すと、三人の聖戦士が得物を構え、常人と思えない脚力で跳んだ!

「なに!?」脳天を狙うハルバード斬撃をトライデントで受け、後ずさるアーサー。迫りくる三戦士。

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 同時に、横浜。とある倉庫。

『ご覧ください、日比谷公園はまるで戦場です!さっきの騎士みたいな人が乱入したことに加えて、現場はすでに多数の負傷者が出ています!もはや死者が出てもおかしくありません!あっ!ただいまSWATの車両が到着しました。これで事態が……ケホッ!ケホッ!こちらに発煙弾を撃ってきました!ですが私は退けません!必ずや最後のにニホンウナギの運命を皆さまにお伝えするべく、この場を……』

 テレビに映っている霞ヶ関の混乱極まった光景を、二人の男と一人の女がテーブルに囲んで、ぼんやりと見ている

「本当、馬鹿だね。日本人は」色んなオリエンタル要素が詰まった服装を着た女が言った。

「好都合じゃねえか、馬鹿より扱いやすいもんはいない」青い格子シャツのヒルビリー風の白人男がそう言い、ビール瓶を呷った。「そんなことより早くこのベイベーを出荷しよう。早くジャップどもの顔が絶望に染まるのがみたいぜ!」

「その発言は完全に同意だが、やや差別的ではなかったか?気に入らないね」と言ったのはなめやかなスーツを纏い、メガネをかけた黒人。露出している顔と手が傷だらけで、只者ではないことを語っている。

「いいじゃねえか?一流のイタマエにシットをスライスしてもらって、シソやダンディライオンの花で飾ったら、そいつが100ドルで売れる高級料理になるか?なるわけねえよな?シットはシットだよ!俺の言いたいこと、ワカル?」

「わかりたくもないな、シットの言うことなんざ」「わかってんじゃねえか!」ヒルビリーは上機嫌になり、さらにビールを呷った。

「ふふ、西の方々はせっかちねぇ。もうすこしの辛抱だよ。明日になれば」女は離れた所にある巨大な水槽を一瞥した。「日本のウナギ市場は、我々の物になる」

 ”HI・DRA”とスプレーで書かれた水槽の中、無数の筒状の物体が互い絡め合いながら蠢いている。

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 また同時刻、ベル―、アマゾン川上流某所。

 血まみれた、腰に布一丁の少女がバンブーの篭を背負って、ジャングルの中を歩いている。皮膚に着いた血は彼女の物ではない。臭いに釣られたジャガーが少女が放つただならぬ殺気に怖じ気付き、逃げて行った。

 やがて楕円形の池にたどり着いた少女が篭をおろし、中身を池に放った。池の水面に浮かんだり沈んだりするあれらは、間違いなく人間の首であった。

 しばらくすると、池の中に青白い光が浮かびあげ、少女は体毛がつねられる感覚を覚えた。静電気が周りを充満している。

 巨大な、鱗のない蛇が水中から現れ、供物を次々に飲み込むと、鎌首で少女を見据えた。

『サス、アマリォン、サガラ、ヒズャミンゴア』

 鱗のない蛇は青白い電流をその体表を走らせ、言葉めいた声を発した。

「サー」少女は腰の布を解き、池に入った。「サガラ、ヒズャミンゴ。グハセ!サンデヴハシィー!」

『ヤーセ』大蛇は細かく短い歯を備えた口を開き、少女を丸呑みした。すると。

 ズゴオオオオオン!

 雷鳴めいた轟音と共に、大蛇の体がよりいっそう強い光を放ち、暗い森を照らした!鳥はショックで地に落ち、獣は逃げ惑う!池水は瞬時に泡立てて沸騰!

 しばらくして、次第に光が弱まり、湯気立つ池の中に、丸焼けになった魚蛇が浮かんている。脂が焼けた香ばしい匂いが漂っている。

 ドスッ!と一本の手が魚蛇の腹を突き破った。すぐ同じ穴からもう一本の手が生え、穴を広げるように腹を切り裂いた。エイリアンみたいに裂かれた蛇腹から這って出た者は、ついさっき飲み込まれた少女であった。外見はほぼ変わっていない。

 その全身に張り付くうなぎの刺青を除いて。


【続きは来年の土用の丑の日で】

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