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炎が焼き払う

首里城が炎にまかれ、煙が去った後で首里城の古さについて語る人がいる。言うまでも無く先ほど焼失した朱天の楼閣は1992年になって建て直された「築浅」の文化財であるが、その価値は歴史にではなく再建の精神に宿っている。

1992年の再建についての苦労話は尽きることがない。15世紀から幾度か再建されてきたその時々も苦労の連続だっただろう。色や形もよく分からず、古老や人々に話をきいて模索した。日本の材木では再現できないので台湾から檜を持ち込んだ。檜は幸草と呼ばれる。水を浄化し、人々を幸福にすると言われている。

人々は首里城の色を黒だったとも赤であったともいい、そのどちらでもないことが分かった後にも、朱と黒の美麗な建築として形作られることになった。それはむしろ朱と黒を愛する沖縄(琉球)の夢と美の羨望として生まれ変わったことを意味していたに違いない。

首里城が燃えるちょっと前には、ノートルダム大聖堂でも火災が起きていた。ブラジルでは国立博物が燃えた。いずれも不注意が招き予算不足が火だねとなった人為の炎で燃えて消え去ったのだ。

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人々は炎で巻かれる文化財が好きだ。心を痛めた善意から、すなわち善行として寄付を差し出すことが大好きだ。そういう人たちの善意を、炎に消え去る眼に寄付として差し出せないのは悲しいことだ。だが、善意は時折お金になり、運が良ければ名誉になる、と善意まみれの人物は考えている。

炎が焼き払うのは人の善意であり、巻き上がる煙は名をあげると考えている。私は空に浮かんだ名前は嫌いだ。地面をしっかりと支える名前にだけ敬意を抱きたい。そのような人々が報われるような形で、未来の首里城とその文化が生まれることを祈る。

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