もう一つのお金と音楽の価値

「ガチャ」にお金を払いたいのは、その「ガチャ」をまわすことで単純に強くなれるからだった。今は低確率ガチャが問題になったりしているけれど、ちょっと前には法律に触れる「絵合わせ」型のガチャもあった。その淵源にはゲームにおける強さが単純に比較できるという事情がある。

音楽とか読書、あるいは演劇でもいいけれど、これらの比較的安定したポジションをもつカルチャーは、ある時期までは仕方ないからお金を払ってみていた。その支払先はコンテンツ―メーカー―作者というまあわかりやすいラインだったわけだけれど、ネット産業はその仕組みを完全に変えてしまった。

仕組みが変わったことで、人々の意識も変わった。音楽も情報もググるか、ようつべでみるかで、いずれにせよタダで手に入るものになった。

タダで手に入らないものだけを、人は仕方なくお金を払って手に入れるのだ。

でも、以前と変わらず「タダ」のあり方をめぐって、ネットができる前からの色々な考え方が複雑に絡み合っている。公共図書館が理念としてきたように「タダ」で人々に情報や知識が行き渡るのは良いことだという考え方があった。音楽もまた「サマー・オブ・ラブ」で聴衆達がほとんど暴動同然にライブに転がり込んだことを肯定する見方があった。

タダであることの善は、しかし実際に全てタダになると多くの人がいままでの生き方を捨てることを宿命づけられるに至り、いままではお金を手にする事ができなかった人々に膨大なチャンスをめぐらせることになったわけだ。

このコンテンツが「タダ」の時代に、お金を払わせるのは無理である。それが僕の考え方だ。では何でなら払えるのか。そのヒントが前回書いた「仮想通貨」ではないかと思う。仮想通貨といっても現実のお金と直接的に兌換できるものではなくて、むしろ現実のお金で兌換できないものを交換できるお金だ。

前回書いた『フィギュアヘッズ』のBITがそれにあたる。

現実のお金がないならば、手に入るお金の種類を増やせばいい。ゲーム内の通貨は通常ゲームを遊ぶという「労働」の対価として手に入れることができる。その労働の対価として音楽は十分に価値がある。現実世界で生活をするぶん「タダ」で手に入るものであっても、それが現実世界とは別の価値体系の中でならお金をはらうことはできる。

音楽が売れない。生活をまかなうお金ではたりない。でも、音楽を買えるお金のありかたを変えることはできる。そのヒントはゲームにある。そういうこと。



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ハッピバースデー
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ーすなわち。きらら短歌。
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