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あこがれのジャンクフードと現実の現実

ずっと「タコス」にあこがれを抱いていた。

あのふんわりしたトルティーヤにくるっとチーズや野菜や肉とか辛いトマトとかを包んでむしゃりと食べたら、それはそれは幸せになれるだろうと思っていた。想像していた。口のなかで広がる味を知らなくても、そのおいしさを確信できる。人はそういう生き物だ。

日本ではほとんどお目に掛かることができないタコスだけれど、まあ少しいくところにいけば食べられなくもない。でもそこにいって食べてこなかったというだけだ。

といった話をすると、はあ、とよくわからなさそうな声を出して石井さんは「そんなおいしくないよ」とつれなくいった。「おいしいタコスを知らないだけだろう、そんなのは」と僕は言ったけれど、石井さんは「おいしいタコスは高くなるから、タコスじゃないよ」といって譲らない。

渋谷にタコスを食べさせてくれる「タコベル」というお店がある。青山学院大学に尊敬する先生がいて、そこにしばしば日参していたころ、タコベルでおいしいタコスを食べたいとずっと思っていた。にも関わらずタコベルにいったのは、その尊敬する先生がいなくなるその日だけだ。

タコベルは混んでいた。

オープン時は一時間待ちの行列もあったというから、それでもだいぶ空いてきたのだろう。狭い店内で、ドリンクはフリーで、なにもかもがおしゃれでかつ適当だった。そのタコベルのお店では、タコス以外にもブリトーなんかもあった。意外と高かったけれど、量はかなり多かった。

タコベルはやたらめったらメニューが複雑で、注文が難しい。まずそれぞれにアメリカ人はやたらめったら複雑な注文をしたがるのだと店内で雑談している人がいっていた。本当かどうかは知らない。

で、そこで食べたタコスは、たしかに美味しかった。高くて美味しかった。美味しくて、タコスを食べたという気持ちになれなかった。ポテチもたくさんついてきた。ポテチも食べた。

僕はたしかにタコスを食べたにも関わらず「タコスを食べたと思えなかった」のだった。

閑話休題。

この話をしたところ、ゲームデザイナーのFさんが「わかる。おれそれ、つけ麺だわ」といった。やせぎすのFさんは「つけ麺って、暴力的な気持ちになった時に食べたくなるんだよ。でも、つけ麺って食べ始めた一口目でもう暴力がなくなってさ、あとはもうなんかひたすら麺なんだよね。あれの、あの『違うわー感』を共有したい」といった。

Fさんのいってることはよく分からない。

よく分からないが、別の人は「わかるわー。俺にとってそれ激辛パスタだわ」と言っていた。これもよく分からなかったけれど、人はそれぞれジャンクフードのもつ暴力的なしなやかさを求めていて、その暴力が満たされなくて上品で美味しい物を食べて満足できなくて、孤独に苦しむことがあるようだった。

いつか、おいしくて幸せな、しかしおいしくなくて安いタコスに出会いたい。でもきっとそんなタコスはどこにもないんだろうな。

・・・・・・ということを書いたのが三日前である。

そうしたら、友達が池袋のメキシコ料理屋につれていってくれた。そこではタコスに加えて揚げタコスを食べさせてくれた。この揚げタコスが死ぬほどうまかった

僕はついに理想のタコスを見つけてしまったのだ。涙を流しながら友達に感謝し、メキシコ料理をたらふく食べた。

・・・・・・という事を書いたのが昨日の事である。

さて、今日実はひょんなことから立川に行くことになった。ひょんでもないか。ところが、途中で胸がとても苦しくなってものすごく自暴自棄な気持ちになってきた。レッドブルを二本のんでも気分はよくならなかった。

僕は孤独を癒やしたかった。でも僕の気持ちを汲んでくれる料理は立川にはないことを知っていた。だから、激辛のつけ麺を食べようと思った。「つけ麺」かつ「激辛」の意味するところは上記ここまでよんできてくれた人なら分かってくれると思う。

激辛つけ麺を出している店はすぐにみつかった。立川アーバンホテルの階下にあるつけ麺屋がブースをだしあっている地獄のように男臭い空間があり、そこで美人の女の子がバイト?をしているラーメン屋があるのである。そこでは辛辛魚つけ麺という、唐辛子の粉が魚粉と同量まぶされている地獄のような色のラーメンが提供されているのだった。

こういうやつだ。(これは別の方のブログの写真)

ぼくはイライラした気持ちでそのつけ麺を頼み、一口食べた。しびれ、からみ、うまみ、魚粉、そしてどろっとした愛液にも似た濃厚なつけ汁に絡んだ血のように赤いつけ麺から醸し出される暴力的な赤があった。

それは暴力そのものだった。歓喜が押し寄せた。暴力がおしよせた。僕はその日すこし二日酔い気味でずっと体調を崩していた。そして朝おきた時には大量の鼻血をだしていた。

ぼくはそのラーメンを食べ終わり、内臓があげる悲鳴と絶望の交響曲にすべてを理解することができた。基本辛だったけど、その辛みによってFさんが、石井さんが、友達がいった全てがわかった。タコベルの上品な味わいが理解できた。僕の妄想のジャンクフードが求めていたものがすべて理解できた。そして泣いた。僕は一人じゃなかった。一人じゃない。激辛つけ麺がいてくれる。

その激辛つけ麺を食べ終わって六時間たった。今、腹痛と戦いながらトイレにいて、この文章を書いている。

いまは猛烈な孤独を感じている。やっぱりまだ僕は理想のタコスをおいかけるべきだったんだよって、激辛さんが教えてくれた。

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