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「存在しないゲーム」とそれを遊ぶ自由

この世には存在しないゲームというのがあり、それをつかった広告というのもあるのだということを知った。

1つめの記事は「存在しないゲームなのにウェブ広告で超たくさん見るのでなんでだろーって思ってたら存在しないはずのHero Rescueというゲームが出来ちゃった」という話。

2つめの記事は「なんで存在しないゲームができちゃうの?」という話だ。

大変勉強になるのでみんなに読んで欲しいのだけれど、ビジネスとしては広告の、消費者としては期待の問題として非常に重要だ。そしてエッチな話でもある。この「存在しないゲーム」の5秒でスキップできる動画はほとんどえっちなサイトで見ることになるからなのだが、まあそれはおいておいて。

ゲームはかつて「お金をはらって遊ぶもの」だった。というより世界の大半はお金を払わないと〈もの〉として受け取れないアイテムで満たされていた。インターネットの登場は〈もの〉がなくても〈こと〉だけでお金のやりとりができるようになった世界だ。ここでいう〈もの〉というのは消費者の自宅に置かれるグッズという意味だ。

でも、今思えば、子供のころにはほとんどゲームなんて買えなかった。持っていないソフト、テレビ越しにみる夢みたいな世界について、きっとこんな素敵な、現実のクソさを忘れさせてくれる最高の場所なんだろうと思って涙を流した。

僕のばあいは「クロノ・クロス」だったなぁ。クロノトリガーが好きで遊んでて、クロスがでた時にすごく遊びたかった。

存在しない作品でも想像の中で遊べた。そういう時期があったなという話。

この記事を思い出した。電車の窓の外は「現実世界」じゃないんだ。忍者を走らせる強くて最高の自由がある場所だったんだよね。

でも大人になってから、いつからか、過去の楽しかった想像が消えてなくなってしまった。残っていた想像力も炎と共にどこかに消えてしまった。

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