デジタルデータが変える地域通貨は可能かもしれない。

表題の通り。

高田馬場では「アトム通貨」というボランティアをすることでもらえるお金が出回っていた。地域の商店街なんかでちょこっと使えるという触れ込みの通貨で、始まった当時は大々的に報道されたものだ。

もちろん、今でも使える、ということになっているが、正直アトム通貨のステッカーをはってあるお店は少ない。地域通貨としてはそれなりに効力があるけれど、このアトム通貨には問題があった。それは「円」と換金できることである。

これについて触れているブログもある。

アトム通貨は不思議な通貨で、実はこれは使われすぎると大変なことになる。したがって、アトム通貨は一時期大量にアトム通貨をもっている人がアトム通貨を「使わない」ことで成り立っていた。沢山の人がアトム通貨を使うといろいろ終わってしまうからだ。

アトム通貨は円に換金できる。それは円の代わりである。

ところで、岡田斗司夫が一時期「コミケだけで使える通貨を作ったらいいじゃないか」というような話をしていた。これも一つの地域通貨だ。

でも、たぶんやっぱり「コミケで使える通貨」も同じように使わない人がたくさん持っていることで蓄財されてしまうのだろうと思う。償却効果がどうなるか次第だけれど、税金がかかったりしたらそれこそ訳分からないことになるだろうし。

で、音楽だ。音楽は「仮想通貨」でなら買いやすいという話をしてきた。それは円とかドルに比べて買いやすいという話なのだけれど、その「仮想通貨」はたぶん円とかドルとか「から」兌換できるけれど、円とかドルとか「に」兌換できないもので構わない。なんでそうなのか、もうちょっと考える必要がある。

でも円やドルではないようなお金と音楽の購入がむすびつきやすいのであれば、その仮想通貨は電子的なものでなくても構わないのではないか。たとえば商店街で好きな曲を有線で流せる権利。たとえば運動会のBGMを一曲選ぶ権利。たとえばお気に入りの喫茶店で珈琲を飲んでいる間に好きなイージリスニングをかけられる権利。たとえばFMラジオでかける曲の紹介文を書く権利。

あるいは、その通貨でしか買えない楽曲。そういうものは、ボランティアに励んで音楽を買おうと思う動機をつくることができる、かもしれない。




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