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別れはどうして悲しいのか。

僕はその人をしらない。

その人は疲れ果てていた。早退すると早口にいうと、ゆっくりと階段を下っていき、そして、帰らぬ人になった。その人の背中はよく覚えている、と聞いた。

僕はその人に似ているらしかった。

人の背中は言葉ではなく音楽を奏でることがある。別れの曲だ。レクイエムなのか、セレナーデというのか。僕にはよくわからない。どんな曲が流れたのか、伝聞では知り得ない。

***

最近でもないけれど、愛知までふらりと出かけてきた。

理由はいろいろあり、徳川美術館に行きたかったり、味噌カツ食べたかったり、エビフリャーを食べたかったり(これは別に名物でもなんでもないらしいが)、会いたい人がいたりした。名古屋でしか見れない本があったりもしたし、将来お金になりそうな事もあった。

ただ、直接的な理由は二つあった。一つは、あるイベントに来ないかと誘われたのだった。誘ってくれた人は知らない中ではないが、ぼくの心ない一言で深く傷ついたことがあったはずだ。そのことについてはくだくだという余裕がなく、許してもくれないだろうし、認めてくれないだろう。そのように僕は振舞い、二度と会わないだろうとなんとなく考えていた。

二つ目の理由はあとにする。イベントに行き、いろいろ考えさせられることがあった。自分も行動を起こさなければという気持ちにもさせられた。

そのあとに、その人とお酒をのみ、なんだかよくわからない話をした。なんだかよくわからない話は、現実の諸問題についてのようでもあり、空想の中での吟遊詩のようでもあった。僕は煙に巻くようなことばかり話して答えた。煙ばかりが充満する手羽先屋で、言葉も手羽先も煙になって人が見えないぐらいだった。

本当はそこで何か話すべきことがあったのかもしれなかった。

適切な時間が過ぎ、早足で新幹線の改札へと乗り込んでいくその人を見送ってから、その背中の小ささに驚き、何か声をかけようと思って、やめた。

もう会わないだろうと、なんとなく思った。その予想は当たることもあったし、外れることもあった。会いたい時に会いに行けばいい。でも、会う、ことには、何かの特別な理由や日常の回転が必要だった。自分の日常を回している小さな手押し車のようなドライバーに、その回転は期待できないなと思った。

そのような話を、二人目の人にした。

***

彼には大きな貸しがあり、彼は僕に巨大な貸付があり、そのことを二人でチャンチャンにする夜があった。なぜかわからないが、沼津駅で彼と僕は、全然シーズンじゃないと聞いてがっかりしながら、冷凍もののシラスをつまみに日本酒を飲んだ。

彼に二つ言われたことがある。それを神林長平風に要約しながらいうとこういうことだ。

「おまえはナイーブなんだよ。たたた。脆弱さを詩に変えて喜んでいる。そういう喜びは、他人の前では強い瞬間もあるが、極めて無意味になる状況もある。両用では使えない。ブログに余計な事を書いて失ったものがどれだけある? 現実の余計さを描くぐらいなら、嘘を書く効率に溺れろ。お前程度の力量なら政治がらみのでっち上げを、信憑性とは違う次元で操れるだろう。必要なら斡旋しよう。大事なのは正直さではなく金銭だということには同意してくれると思うがね。」

僕はこう答えた。

「俺の勝手だ。何を失っても、何を手に入れても。どちらもゴミかもしれないし、宝物かもしれない。最後に自殺するはめになるときに高貴さを持って死にたいものだ」

「そこがお前の駄目なところだ。ダメ、というのは、文字通りの意味だがね」

「『冷たくても、冷たくなくても、神はそこにいる』」

「は?」

「教養が知れたね。これは、ユングだよ。」

シラスにあうといって出された日本酒は、「鬼殺し」の味がした。要するに美味しくなかったし、シラスにも特にあうわけでもなかった。ただひたすらに氷の零度だけがか細く弱い白身の魚を包み込もうとしていた。

僕はそこで合理主義者で拝金主義者だが甘ちゃんの彼に「借り」を返して、いろいろなことをトントンにしてもらった。こんなブログを絶対読まないはずの姫を救うためのいろいろな犠牲だったり、自分自身のどうでもいいプライドを守るための儀式でもあった。煙が晴れれば骸骨しかいないような世界で、骸骨の為に僕は煙になろうと決めていた。

彼と別れた。僕と反対の方面の電車に乗り込んでいった。どちらかというと大柄で繊細な男なのに、まばらな人影と共に改札へと吸い込まれていく背中も妙に小さく見えた。デジャブを感じた。

***

ふたりとも、もう会わないのかもしれない、と思った。

会う理由をなくしてしまった。

沼津駅から鈍行で小田原にもどる途中で、別れが急に悲しくなった。別れはどうして悲しいのだろうと考えていた。要するに一度の別れは再会の約束とも、永遠の別れとも区別ができないからだ。

小田原で降りた。そこでもシラス丼を食べた。お腹はすいていなかった。外にでて、少し歩いて、もう無くなった美術館の前にきた。美術館はほとんど廃墟になっていた。

そこに猫がいた。猫に聞いた。「お前は別れが苦しくないのか?」

猫はこういった。「そんなバカなことを聞くのは人間だけだよ。人混みの中でも、別れが悲しい、なんて思うのかい?」

僕は笑うしかなかった。猫はどこにいても、いつも正論ばかりいった。すっと背中をみせて、草むらに消えて、もう見えなくなる。聴こえたのは、ファンファーレ。


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