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後追いの感情

ずうっと後になって、あ、この人の事好きだったんだなーと気づくことが増えた。その逆ももちろん増えたけれど、後追いの好意は明るいなぁと思う。

発端はいつもくだらない電話から今日、仕事で煮詰まっていた。仕事だけじゃなくて、やらなくてはならないことが山のようにあったんだ。一日かけてそれに手を付けて、終わらない洗濯物を干し続けるみたいに作業を続けようと思っていた。

パソコンの前に座って、作業をはじめた瞬間に、体が動かなくなった。精神的なものであり、たまにあることであり、しかし社会では許されないことであることは知っていた。体が震えそうになる前に数行急いで打ち込み、ベットに横になって、また起き上がって打ち込み、また横になる。押しつぶされそうになる感情をこらえながら、それでも散発的に進まないといけなかった。

その仕事は想像を絶するほどの困難を予想させた。国会図書館にいかないとならない。

突然からだが動かなくなって、「あ、しぬかも」となぜかおもいいたり、いろいろあってずっと連絡を取らなかった人にLINEで電話をしてみた。もしもし、と言われたら電話を切るつもりだったのだけれど、懐かしく、元気いっぱいの声をふわっと聞いて、ああ、そうだ、こういう感じ昔話をしていた、と思った。

その人とひとしきり話しているうちに、もう一人の話になった。

彼女は優れた人だった。僕はそれほど親しい仲ではなかったけれど、決して弱音を吐かず、決して折れず、決して妥協を許さなかった。妥協や甘えで地位を得ようとする人を嫌っており、いつも真剣でときどき笑顔を見せた。

ぼくはその人のことをとても尊敬していた。同世代の異性を「尊敬する」ということは、難しい事だと思う。みんなはどうだろう? 威光や畏怖や恐怖ではない尊敬は、高すぎる相手にも、低すぎる相手にも、努力だけの精神にも持ち得ない。勝ち目のなさや、勝利に対する得心が必要だ、と思うのだけれど。

何年前か忘れたけど、その人にお弁当を作ってもらう約束をした、はずだ。彼女はもう忘れていると思うが、僕は一度誰かが作った「お弁当」を食べることを夢見ていた。それは結局かなわず、今後も叶わないだろう。味けのない給食や給餌だけで生きてきた僕は、誰かが自分のために作ってくれる何か、特別な感情を寄せる人が特別に作る特別に愛を感じていたのだ。

それが叶うことはなかった、というだけだ。いままでに5人の人が「お弁当作ってきてあげようか」といってくれた(5人というのは適当な数字だ)。一度も作ってきてくれなかったけれど。

電話で話をしているうちに、急に記憶によみがえってきた光景がある。その人についてある人が信じられないぐらい低い評価・・・・・・というか罵倒するのを聞いて、突然カッとなって「あなたにそんなことをいう資格はない!」と怒鳴りつけたことがあった。ぼくよりずっと身分の高い人で、一瞬惚けた顔をしてそのあと〈恥辱〉って顔をした。

 それはとてもよくないことだったのだ。〈恥辱〉を受けた大人がどう振る舞うかはみんな知っているだろう。ぼくはそれでいろいろなものを失った。チャンス、未来、そして少なくないお金、それから信頼と信用だ。

もちろんそれを彼女に言ったことはなかった。これからもないはずだ。

***

 LINEで話しているうちに、「その人のこと、好きだったんだとおもいます」と唐突に語って先方をポカーンとさせた。それから叱られた。彼女は結婚して幸せになっているし、あなたよりもずっと身分が高くなった。なにもかもが釣り合わなくなってしまった。それを認めよ。と「努力をしたものと、怠惰なものと。あるいは精神の強いものと、弱いものとの間にかかる橋はない」と言われた。その彼女の近況を聞いて、なるほど、と妙に得心したのだった。

かっこいいなぁ、追いつけないよ、と僕はいった。追いつけないのは、そのLINEをした相手に対しての畏怖であり、LINE越しの会話にでていた彼女についての評価だった。

 僕の不見識だかなんだかを叱られながら、ああ、この好意は、感情の後追いだったのだ、と思い至った。

後追いでなければ、釣り合うこともあっただろう。実らなかった無数の努力や、心弱さを覆い隠すタフネスで、彼女の高みに届いたかもしれない。でもその気持ちに気づくことはできなかった。感情をドライバーにして前に進むことができなかったのだ。それを後悔だというなら、たぶん男子は人生の大概をそうした後追いの後悔で埋め尽くす。そういう愚物だ。

LINEが終わってから、その彼女に電話をしようか半日考えてやめた。やめた理由は単純で、用事がなかったからだ。もう会うこともないかもしれない。あるいは、大きな用事ができて不定期に会うことがあったとしても、以前のような気持ちで話をすることはないだろうと思うのだった。

仕事は溜まっていた。締切りも近づいている。僕は大量の洗濯物を放り出して、酒盛りをすることにした。酒盛りは失敗した。ジャガイモを茹ですぎたのだ。ぐちゃぐちゃになったジャガイモがオリーブオイルに塗れただけの汚物ができただけだった。まずくてまずくて、何もかもがおかしかった。あまりにも惨めであり、あまりにも面白くて、笑って、コンビニにいって買わなくても良いエビスビールを買って、ワインもかって、酒を飲んだ。

***

二人で夜を歩いたことがあった。僕はよく終電を逃すのでいろんな人と夜を歩くことがあった。男とも、女とも、犬とも歩いた。犬に対しても、僕は酔うと歩きながら「人文学者になりたい」とはなした。つまり、人間らしい、そのらしさを手に入れたいと言いたかったのだけれど、それを伝えられたことは今までになかった。

自殺した友人は昼にあっても「夜の中にいるんだ」と言い続けていた。のだけれど、僕も気がつくと夜の中にいた。夜の天蓋にはいつも光があるはずだった。

光のほうで輝く人達は、夜のことなど忘れて欲しい。後追いで読み上げる感情など無いもおなじだ。光のなかにいる人は、いつも鮮やかな幸福に結びついていますように。

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