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ITエンジニア、夕暮れの中で歴史書を編む

私は大学では歴史学を専攻していた。人文学系の知を吸収することにはそれなりの楽しみを見出していた。しかし、研究することへの努力とモチベーションが欠けた学生であった4年前の私は、直接専門性が活きる可能性が高いが新しいことを生み出し続けなければならない職に就くことに怖気づいた。その結果、某大手人材会社の適正テストの結果に従って、ITエンジニアという職を選んだ。

しかし、システムが機械的にはじき出した数値に基づいた行動は、入社後の困難を招いた。自分が属していた世界観とは180度真逆のITの分野に面白みを見出すことは困難を極めたのだ。さらに、この業界には幼少・学生時代からIT技術に触れて育った人も多く、中にはシステムを触るためであれば嬉々として、遊ぶ時間も彼女との時間すらも投げ出す怪物さえいた。

論文を書くときにしかコンピュータに触れたことがなかった私は、視界良好の昼の世界から、怪物たちがさまよう闇夜の世界に引きずり込まれた。安いJ-POPで「明けない夜はない」という歌詞が散見されるが、自分が今身を置いているのは極夜だと思った。

今から考えると、よっぽど目的意識を持って学生時代を過ごして就職に臨んだ人以外は、多かれ少なかれ学生時代までに培った専門性と仕事で必要とされる専門性との間で切断を感じる経験をしているはずで、何も私が特別困難な状況にあったわけではない。しかし、歴史からITへというわかりやす形での切断を目の前にしたことと社会人経験の少なさから、新卒1年目の私はそのことに思い至ることはなかった。

歴史書と違って物語も意味も体系もないように感じられる無機質な記号の羅列とのにらめっこが続く毎日。

「私の仕事とはいったい何なのだろうか」

業務をしている内にすっかり夜が更け、真っ暗になった窓ガラスに反射した自分の顔を延々と眺めていた。

その状況に変化があったのは、当時参画していたプロジェクトの先輩が、プロジェクトを離れた2年目のときのことだった。彼は6年という歳月をそのプロジェクトと共に過ごした最古参であった。

彼が離任するにあたって担当していた業務のほとんどをマニュアル化し、また、その先輩が属人的に対応していた作業もシステムに組み込んで自動化した。引継ぎも問題なく完了した。顧客とのやり取りは主に営業を経由することが多かったため、顧客との信頼関係やコミュニケーションといった対人的な要素にも大きな不安はなかった。業務の遂行に問題はなく、むしろ彼の業務が脱属人化されて誰でも対応可能なものとなったことによって、現場の効率性は向上するはずだった。

確かに、業務は問題なく遂行されており、数値的指標からみても、業務の進捗等に影響は出ていない。しかし、現場に何か違和感があった。うまく言葉にはできない。しかし、業務が少しずつやりにくくなっている感があった。システム化が果たされたはずであるのに、逆に不自由になる。自分が携わっているエンジニア業務の専門性を「システム化による脱属人化・自動化・効率化」と理解していた当時の私には理解できない現象であった。この事態に直面した私は違和感の正体を突き詰めることを通して、自分がエンジニアとしておこなっている業務の本質を問い直してみることにした。

違和感や業務のやりづらさを感じる場面を記録していく内に、ある共通項が浮かんできた。その違和感が生じていたのは、どうやらやるべき業務の範囲に変更が生じる場面だった。しばしば、これまでやっていなかった業務の対応の依頼を顧客から受ける。対応するのが妥当な場合もあるし、明らかに対応する必要がない場合もある。業務範囲の線引きが曖昧な時には、明確な判断を下しがたい場合もある。その判断に影響を与える要素には様々なものがある。契約書はどうなっていたのかや、システムの設計書ではどのようになっていたのか、過去の慣例ではどうであったのか、その変更に伴うコストはどれほどかかるのかなど。

違和感の正体を探っていく内に、その判断に変質が生じていることに気づいた。先輩がプロジェクトを抜けて以来、判断に影響を与える要素の比重が「契約書の記載がどうか」や「設計書の記載はどうか」など、ドキュメントとして残っている要素に移ってきていた。過去の対応事例も履歴ととして蓄積しているが、当然子細なことまで含めた全ての事象を記録することは不可能である。ニュアンスなどの細部はドキュメント外部の「記憶」に依存していた。ドキュメント外の過去の膨大な経緯を記憶してしていた彼が離任したことにより、「記憶」の存在感が薄まっていた。彼は何か特別なことを行っていたわけではない。ただ体験した過去の出来事を記憶している者として存在していたのだ。過去の事例に鮮明なイメージを与える記憶、これがあることが業務の範囲の綱引きを行う際にドキュメント以外の要素に説得力を付与していた。

このことに思い至ったとき、私が作成した顧客への業務内容変更の提案をレビューした際によく先輩が口にしていた「物語がない」という言葉を思い出した。提案の根拠となる記載する客観的データはだれが書いても同じだし、論理の大まかな骨組みも契約書や設計書を元にしているので誰が作っても大きく変わらない。

しかし、それの見せ方はそれを作成する個人の記憶に依存する。どういった観点を顧客が気にするのか、どういった観点からの指摘を受けてきたのか、どういった貸し借りの系譜があるのか。過去の経緯の子細を覚えているかどうかは、その提案を受けた顧客の感情を動かす物語を編めるかどうかに大きく影響する。

「私の仕事とはいったい何なのだろうか」という最初の問いに戻ろう。

私が当初抱いていた「システム化による脱属人化・自動化・効率化」というITエンジニアのイメージは正確ではなかった。その裏面を見落としていた。システム化するということは、顧客や担当者がその業務を意識しなくなるということであり、「記憶の忘却」を伴う。そのことを見落としてしまっていたために、「記憶の忘却」から手痛いしっぺ返しを食らうことになった。

そうならないためには何が必要だったのか。システムと人の境界という立ち位置を自覚し、システム化によって忘却されるものがどのような機能を果たしていたのかを観測者として記憶すること。そして、必要に応じて失われた記憶を元に物語を紡ぐこと、すなわち、「歴史」の中で現在地を確認することが必要だったのだ。この自覚によって、「物語も意味も体系もないように感じられる無機質な記号の羅列」だったものは「歴史」の中の生成物として立ち現れてきた。

「私の仕事とはいったい何なのだろうか」

私が今いるのは視界良好の昼の世界でもなければ、当初感じていた怪物たちがさまよう闇夜の世界でもなかった。私がいるのはその境界だ。少し懐かしい香りがする夕暮れの世界だ。

#PS2021

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