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MASSARAの初見感想 どこまでも澄み渡ったこの世界で

TDCで心身ともに消耗し、ちょっととりあえず舞台のことはホルツが終わってから考えようと思っていた9月4日MASSARA初日。終演するやいなやTLでは絶賛の嵐。私の友達は基本的につまらないものにはつまんねー!という人間ばかりなのでこの評価は信頼できる。そして決め手はれーあ担からのこのLINE「ナナちゃんの好きそうな克樹がいたよ!」
人生思い立ったが吉日、夜中2時、直前でたっけぇなぁ~!と思いながらも東京行きの飛行機を予約し新橋演舞場に向かった。


昼公演後、新橋演舞場前にて




無理してでも来てよかったと心の底から思えるくらい、本当に本当に良い舞台だった。





伏線とか色々ありそうな舞台だから多分全部終わってからもブログ書くと思うけど、今日感じたこの感情を記録しときたいなと思ったので備忘録的に感想を書いていきます。
以下ネタバレありです。










ケイ(矢花)の入院を機に高校時代の友人が集まり青春時代を懐古しながら物語は進む。6人が笑顔で時に赤面しながら青春時代を語らう病室はとても穏やかであたたかな空間だった。

それでいてどこか空虚でつめたい空間だった。

夢をあきらめ就職した新卒会社員のハルキ(嶺亜)とリョウタロウ(今野)、親に言われるがまま進学した院生カズト(本髙くん)、大学卒業後家業を継いだタカ(大光)、親の事情により高卒で働くダン(琳寧)、体が弱く祖母の家に居候中のケイ。
楽しそうに語らう6人の背後には常に“何者にもなれない”自分への劣等感や焦燥感がユラユラと仄暗く揺らめいている。全員そんなに人生上手くいってないわけではないし、きっと普段は気づかない(ふりをしている)それが昔の仲間たちと話すうちに徐々に存在感を増していく。6人全員が心優しく思いやりに溢れる人間であり、高校時代の思い出が甘酸っぱくって青臭くキラキラしたものであればあるほど、真っ白な空間に黒い影を落とすそれは社会人二年目の私には心当たりがありすぎた。

物語は終盤を迎え、“何者にもなれない”ことに6人が向き合い始め、なんとなく明るい感じで話は展開されていく。6人で病室を抜け出し星を見ながら語り合う場面、ハルキの「なんか俺たちも新しいことはじめてみる?」このセリフを聞いて、私はあ!またみんなでバンドやろうってなって新曲演奏しながらカテコに行く感じね!とメタなことを考えてしまったが、予想に反して5人はちょっと笑うだけでそのままラストシーン(概念)に突入した。

そう、現実はなにも変わらないのだ。
明日からもきっと6人はいつもと同じように通勤(通学)して、働いて、家に帰る。
どれだけ何者かになりたい!なれない!と喚いても、何か行動するわけではない。現実ってそんなもん。ハルキとリョウタロウの休憩時間と結局同じなのだ。

でも必ずしもそれが悪いことというわけではなく

そこにあったアレコレ
全部なくなったと考えるのか
余白ができたと考えるのか

劇中歌MASSARAより

確かに状況は何も変わっていないかもしれないけれど、まっさらなこの空間を余白と考えられるようになったのならそれはそれで少し前に進めたってことなんじゃないかと思う。

穏やかなのに渇いていて、真っ白なのに薄暗くて、どこまでも澄んだ空間で
結局なにもしないし変わらないという現実と捉え方ひとつで世界は変わるという希望を見せてくれる、MASSARAはそんな作品だと私は思った。


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え、こんな素晴らしい舞台をまかせてもらえて、そして演じきれるグループを好きになって本当に良かったって思ったよね?!侍って全員外部舞台の経験がそこそこあって、内部舞台でよくある自分を魅せる演技ではなく舞台の一要素になる演技をみんな出来るからこそのMASSARAだったと思う。脚本、振り付け、演出、演者全ての歯車が嚙み合って初めてあの相対するものが同居する空間が完成するんだよ。さすが当て書きなだけあってそれぞれのプリティーポイントをうまく使ってたと思うし(主に青春の煌めき部分に)。

前述の通り演者はあくまでも舞台の一要素だから、本髙くんメロメロ~♡みたいなのはなかったけど、久しぶりに一言一句聞き逃さないし見逃さないぞと目をかっぴらいて手に汗握りながら全集中で観劇することができて本当に楽しかった!
ホルツがあるからそんなに通えないけど、逆にそれが良かったと思えるくらい一回一回を大切に噛みしめて見たい作品だったよ。


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