新章・魔王の娘だと疑われてタイヘンです! 2巻第1章 美形の皇子様がやってきました!②


「ふむ……。ルナルラーサの養女に、ロミリアの愛弟子か。あまり子供に話す内容でもないが、魔神を倒した者たちでもある。君たちを一人前の者として話を進めよう。ただし、絶対に他言無用だ。万が一にも話してしまう可能性があるというのなら、今この場から出ていってほしい」

 ラティシアが神妙な口ぶりで言う。

「フランもカナちゃんも秘密はちゃんと守ってくれるから絶対に大丈夫! っていうか、わたしが一番うっかりする可能性が……」

 苦笑するエリナにラティシアは小さくため息をついた。

「う、うっかりしないように気をつけます! 大丈夫!」

「そう願いたいものだ。……ロミリア、リエーヌ。念のため、結界を張ってもらえるか?」

「魔術的な結界でしたらすでに張っております、将軍閣下」

「対魔結界と悪意を感知する結界も張っているわ。安心して、ラティシア」

 リエーヌとロミリアのそれぞれの応えにラティシアはうなずく。
 そこまでして他の人には聞かれたくない話か、とエリナたちは背筋を正した。

「まずはどこから話したものか……。そうだな、リエーヌ。ブレナリアの王宮にいた君なら耳にしているかもしれない。我がヒュペルミリアス皇国の情勢についてだ。君はどのように聞き、どのような情勢だと把握している?」

 一人席に着かず、エリナの後ろで待機していたリエーヌが最初に名指しされる。
 だが、リエーヌはそれにたじろぐ様子も見せずに一礼し、口を開いた。

「一メイドの私見となりますが、それでよろしいでしょうか」

「それを聞かせてくれ」

「はい。――ヒュペルミリアス皇国は魔王軍との戦いにおいては大国の中では被害も比較的少なく、魔王討伐後の復興も早期に済んだ国の筆頭です。そのこともあり、復興が進まず情勢が不安定だった国々への支援を多くおこなった国でもあります」

「へー、すごいんだ……」

 リエーヌの言葉にエリナが感心したように言う。

「エリナ、ここ授業でやったよ」

「え、そうだっけ?」

 フランからのツッコミに目をパチクリとさせるエリナだが、すぐに背中に冷たい空気を感じて慌てて背筋を伸ばした。

「――ですが、支援の為に送られた騎士団が未だに各国に残り、拠点ともいうべきものを作っていることが問題となっております。ヒュペルミリアス皇国は支援の振りをして領土を広げるつもりなのかと。実際に皇国の騎士団が国境周辺に兵を集めているとの情報も入っており、皇国の支援を受け入れてしまった国々はその威圧行為に恐怖し、騎士団を引き上げてくれとも言えない状況になっていると聞き及んでおります」

 エリナはその内容がよくわからず、小首を傾げる。
 支援に来た騎士の人たちが居座って困る……?
 相手が困っちゃうんじゃ支援に来た意味なくない? 支援が終わったなら早く帰ればいいのに。
 もっとも、リエーヌの話した内容が理解できなかったのはエリナだけ。
 フランやカナーンも、その意味を理解し、表情を硬くしていた。
 国の領土争いは非情なものとはいえ、大陸一の大国が魔王軍との戦いでは手に手を取って戦った仲間であった国々に対して、まるで大義のない、詐欺のような手口で侵略行為をしているという話なのだ。
 そして、このテーブルにはその国の(元)将軍と皇子が着いている。

「リエーヌ、感謝する。やはり君は聡明だな。度胸もある。リーク殿も鼻が高いことだろう」

 リエーヌの出自を改めてロミリアから聞きでもしたのだろう。ラティシアがそんな風にリエーヌを褒めた。

「過分なお言葉、恐悦にございます」

 そう言って一礼し、リエーヌは一歩下がる。

「皇国のよくない噂は私の耳にも届いているわ。近いうちに侵略戦争を起こすだろうって……。それは本当なの、ラティシア?」

 ロミリアの言葉にラティシアは重くうなずいた。

「本当だ。……いや、本当だったというべきか」

 その言い様に、一同は首を傾げる。

「皇国も一枚岩ではないのでな。侵略すべしという強硬派もいれば、戦争などしたくないという穏健派もいる。だが、魔王軍との戦いによって、生き残った多くの騎士たちが地位と名誉を得ることになった。『凱旋将軍』などと呼ばれたこの私がその筆頭だ」

「我が国では今、魔王軍との戦いで功績を挙げた者たちの発言力が非常に大きなものになっているんです。そして、その者たちの多くが強硬派、ということになります」

 ラティシアの言葉をマリウスが補足し、申し訳なさそうに目を伏せた。

「えーっと……『本当だった』って言うのは? 戦争にはならなくなったってこと……?」

 中途半端な理解ながら、わずかな希望を込めてエリナがおずおずと言う。

「そうだ」

 その短い返答にエリナがパッと顔を明るくさせたが、ラティシアの表情は尚も硬かった。

「だが、それも長く続くものではない。いつ戦争が起きてもおかしくないところに、皇国の強硬派も想定していなかった大きなアクシデントが起きたというだけのこと。そして、そのアクシデントも強硬派の力を増すのに一役買ってしまうことだろう。だからこそ、その混乱が収まらぬうちに戦争を食いとめるための一手を打たなければならないのだ」

「ラティシア、そのアクシデントというのを教えてちょうだい」

 ロミリアの苦言にラティシアは小さく頭を下げる。

「すまない。もうこの情報も届いているものだと思っていた。というのも、そのアクシデントというのは、魔神の出現に他ならないからだ」

「魔神が!?」

 驚きの声をあげたのはロミリアだったが、エリナたちもまた驚きに目を見開いていた。

「まさか、ヒュペルミリアス皇国にまで魔神が出現していただなんて……。というかあなた、昨日『小耳に挟んだ』みたいな言い方をしていなかった?」

「私自身が直接目にしたわけではないからな。それにだ、皇国の騎士としてこういう言い方は憚れるのだが、魔神が皇国に出現していたのなら、まだよかった。それこそ戦争をしかけるどころではなくなり、各国に送っている兵力も呼び戻さざるを得なくなるだろうからな」

「魔神が出現したのは皇国と隣接するチャウチェスターとオライデンになります。チャウチェスターには『激流公』ハイアーキスと思しき魔神が、オライデンには『死なずの王』アタナシアと思しき魔神が現れたとの報告を受けています。どちらも復活した魔神の力を誇示するかのように一帯を破壊する規模の魔法を行使した後に姿をくらましたとのことです」

 感情的になりがちなラティシアの言葉を、マリウスが整理された情報だけで補足する。

「ハイアーキスとアタナシア……。ガビーロール、ロウサー、フェルミリアにプロシオン。やはりこれは残りのヘルマイネとスールトも復活していると見るべきね」

 ロミリアの口から八柱の魔神将の名が羅列された。

「あの……それで戦争が食いとめられたというのは? 魔神が現れたのなら、皇国はそれを理由にチャウチェスターとオライデンに兵力を送りこみやすくなると思うんですが」

 今まで真剣に聞いていたカナーンが口を挟む。

「ふむ、さすがルナルラーサの養い子だな。まったく君の言うとおりだ。だが、状況があまりにも皇国にとって都合がよすぎたのだ。以前から皇国の騎士たちに不信感を抱いていた国々は、魔神の出現自体、皇国が仕向けたものではないかと疑いはじめた。こうなってくると騎士とは面倒くさいものでな。特に今息巻いているのは魔王軍との戦いで功績をあげた者たちだ。魔王軍の幹部たる魔神と与していると疑われるなど以ての外。この機に乗じればその誹りは免れないと、戦争強硬派の中に今戦争を起こすべきではない派が生まれ、戦争の機運に待ったがかかったというわけだ」

 その説明に合点がいき、カナーンはうんうんと大きくうなずいた。

「ふふふっ、ラティシア。騎士が面倒くさいなんてあなたが言ってしまうのね」

「笑ってくれるな、ロミリア。魔王を討伐し、皇国に戻って十二年。それまで剣ばかりを振ってきた私が凱旋将軍などと祭りあげられ、名誉と名声をチップに変えて政治闘争などというくだらない賭け事に身を投じなければならなかったんだ。騎士の有り様に疑問を抱くことくらいあるさ」

 ロミリアの笑いをラティシアも笑って受ける。
 緊張感のある話の中で、二人の仲のよさが見られてエリナはホッと息をついた。

「あれ? でも……」

「どうした、エリナ? 疑問があるなら言ってほしい」

「えっと……ヒュペルミリアス皇国と魔神のことはなんとなくわかったんだけど……それと、ラティシアさんがりっくんと結婚することとどう繋がりがあるのかなって」

「リクドウさんとラティシアさんが結婚!?」

「リクドウ先生とラティシアさんが結婚!?」

 エリナの言葉に驚いてフランとカナーンが同時に声をあげた。

「あ、なんか例えばの話らしいから大丈夫――なのかな?」

 と、フォローになっているのか怪しい台詞でエリナは二人を落ち着かせる。
 チラリとリエーヌの方も振り返ってみたが、「なにか?」という表情だけが返ってきた。

「そう言えばその話をしていなかったな。先ほども話に出たように、私は魔王軍との戦いにおいて功績を挙げた騎士の代表格だ。だが、『凱旋将軍』などという称号はお飾りに等しいものだった。というのも、我がホーエスシュロス家自体が騎士家としては一度没落している、なんの権威もない家柄だからだ。特に穏健派には出自や家柄にうるさい貴族が揃っていてな。強硬派の騎士たちは旗印として私を立てようとして、とんでもない奇策を思いついたのだ」

 ラティシアはマリウスに少し投げやりにも見える視線を投げかけた。
 マリウスは小さなため息でそれを受ける。

「すなわち、先生と僕を結婚させようという動きがあったのです」

「あら、素敵な話じゃない」

 とロミリア。
 ラティシアは憤慨して鼻をならす。

「フン、なにが素敵なものか」

「だって、マリウス殿下と言えば、皇位継承権第一位のヨハン殿下のご長男でしょう? ゆくはヒュペルミリアス皇国の皇后陛下ということじゃない。戦争だって止められるんじゃないの?」

「うわぁ、大陸一の玉の輿だ……」

 ロミリアに賛同するようにフランも呟いた。

「今の話を聞いていてわからなかったのか? ヒュペルミリアス皇国は皇族はシンボルであって、政治に口を出せることなどほとんどない。すべては上院と下院からなる評議会によって決められるんだ。殿下と結婚して戦争が止められるなら、私だってそうしている!」

「怒らないでちょうだい、ラティシア。それでも権力や権威がまるでないということはないと思うわ。やりようはいくらでもあると思う。それに、マリウス殿下だって、ラティシアからすれば多少歳下ではあるけど、聡明だし、性格もよさそうだし、ラティシアにもよく懐いてる。その上、とっても美形だわ。なんの不満があるというの?」

「そ、それは……」

 焦るラティシアに対し、マリウスは落ち着いた様子でティーカップを手に取り、お茶を啜った。

「これはいいお茶ですね……。皇国では味わえない独特の清涼感がある。これはブレナリアで採れるお茶ですか?」

 その言葉にリエーヌはエリナの傍に近寄り耳打ちする。

「え、それはわたしが言うの?」

「今はエリナ様がこの家の主ですから」

「あ、あるじ……」

 エリナは今聞いたばかりの言葉を二回ほど反芻してから、背筋を伸ばして口を開いた。

「え、えと、ブレナリア王宮御用達の茶葉でブレナリア北方のとくさん? だそうです。リエーヌが――じゃなかった、まだたくさんあるのでよかったらおみやげにお持ちください」

「ありがとうございます、ミス・ランドバルド。ええ、とても気に入ってしまいました。よろしくお願いいたします」

「だって、リエーヌ」

「かしこまりました。ご用意いたします」

 大役を済ませたとばかりにエリナはふぅと息をついて椅子に座り直す。

「あなたより落ちつきもあるじゃない。マリウス殿下のなにが不満なのよ」

 執拗に聞いてくるロミリアにラティシアは忌々しげな視線を投げた。

「……こちらにも事情というものがあるんだ。さっきも言ったが、そうできるようならそうしている」

「事情? あなたが殿下と結婚できない事情ということ?」

「そうだと言っている。それにな、もうこうして私は殿下と共に皇国を出てきてしまっている身だ。現状の私はマリウス殿下の誘拐犯と言ったところか。殿下と結婚もなにもあるまい」

 ムスッとして答えるラティシア。
 マリウスはまた静かに茶を啜った。

「う~ん……」

 なぜかエリナも難問にぶち当たったように呻く。

「やっぱり女の子同士の結婚って難しいのかなぁ……」

「「は!?」」

「ぶふぉっ」

 エリナの言葉にフランとカナーンがギョッとして振り向いた瞬間、マリウスが啜っていた茶を思い切り吹き出した。

「けほっ、けほっ、けほっ、けほっ」

「殿下、大丈夫ですか?」

 むせるマリウスにリエーヌが慌てて駆けより、その背をさする。
 マリウスはしばらくむせていたがやがて「ありがとう」と言ってリエーヌを下がらせた。

「ご、ごめんなさい。でも、わたし、そんなになんかヘンなこと言っちゃったかな……?」

「なんかヘンもなにも、なんで女の子同士の結婚なんて言葉が出てくるのよ!」

 謝るエリナにむしろカナーンが慌てる。

「でもさ、ラティシアさんがマリウス殿下と結婚できないのってそういうことじゃないの?」

「ごめん、エリナ。私にもわからないわ。そういうことってどういう――」

 フランもエリナの言うことに疑問を抱いていたが、言っている間にエリナがなにを言おうとしているのかに気がついて、ゆっくりとマリウスの方に首を向けた。

「え……。まさか……本当に?」

「え? うそ……」

 ついでカナーンも。
 大人しく成りゆきを見守っていたマリウスだったが、二人のその視線に両手を挙げて笑う。

「アハハハハ、どうしましょう、先生。僕が物心ついて以来、母と乳母と先生しか知らなかった秘密があっさりとバレてしまいました」

「……どうしましょうではないでしょう、殿下。そうやって認めてしまわなければ、まだ誤魔化しようもあったはずですのに」

 ラティシアはため息をついて首を左右に振った。

「お言葉を返すようですが、それは難しいかと思います。ミス・ランドバルドの瞳から、自分の言葉になんの疑いも持っていないことが見てとれました。よかったらミス・ランドバルド、いつ、どうして、僕が女だと思ったのか教えていただけませんか?」

 そう言われて、エリナはどの時点でそう思っていたのかを思い出す。

「昨日の夜、最初に挨拶してもらった時……かな」

「はじめからですか!? そ、それで、どうして……」

「……匂いで」

「匂い!?」

 マリウスは慌てて自分の身体の匂いを嗅いだ。

「先生! 僕はそんなになにか匂っているんでしょうか!?」

「いや、そんなはずは……」

 ラティシアもマリウスの体臭を嗅いで首を傾げる。

「あー……今はわかんないかも。香水とかつけてると思うし。でも昨日の夜は、汗かいてたみたいだったから」

「汗……」

 昨夜のマリウスはウィンザーベルからノクトベルまで馬を飛ばしていた。
 エリナを心配して馬を急がせるロミリアと、それに続くラティシアに遅れじと必死に。
 確かに汗をかいていないわけがなかった。

「男の人の汗の匂いと、女の人の汗の匂いって全然違うでしょ? だから」

「カナちゃん……知ってた?」

「……そう言えば、ルナの汗の匂いは気にならないけど、他の傭兵の人のは臭いなって思ったことはあった……けど」

 確かにエリナの五感は優れているとカナーンは思う。
 昨夜はプロシオンと相対したこともあって、緊張からさらにその感覚が研ぎ澄まされて可能性もあるだろう。
 だからといって、そんな……いや、それよりも。

「え、エリナ! 私の汗、臭くない!? 大丈夫!?」

「そうよ、私の汗も! ううんっ、汗かいてないときでも、気になったりしない!?」

 カナーンに続いてフランもエリナを問いただす。

「二人の匂いはとってもいい匂いだよ。すっごく落ち着くし、ずっと嗅いでたいくらい」

「ず、ずっと嗅いでたいって……」

「もぉ、エリナはすぐそういうえっちなことを言うんだから……」

「えっちなことは言ってないよ!?」

 二人が赤面しつつもホッと胸を撫でおろしていると、ラティシアが高らかに笑った。

「ハッハッハッハッハ、まさか汗の匂いでとはな。いや、確かにそういうこともあるか。素晴らしい臭覚だ」

「笑い事じゃないでしょう、ラティシア。ヒュペルミリアス皇国の皇位継承権に関わる重大事じゃない」

「ロミリア、それは今にはじまった話じゃない。それにな、マリウス殿下は女児であったがために、死ぬ運命にあったらしい。男児として育てるしかなかったのだとマリウス殿下の乳母から聞いている」

「ふぅ……なるほどね。どうやら、まだまだ複雑な事情がありそうね。それで? あなたたちはどうするつもりでヒュペルミリアス皇国を出てきたの?」

 ラティシアに話の続きを促すロミリア。
 一方、フランとカナーンは失礼と思いつつも、マリウスの顔を凝視してしまっていた。
(確かに美形だけど、よく見れば女性的で柔らかな輪郭かも……)
(睫毛も長いし、唇も――)

「フフッ」

「「も、申し訳ありませんっ」」

 マリウスに微笑まれて慌ててフランとカナーンは謝罪する。

「こちらこそ、男だなどと騙していて申し訳ありませんでした」

 やはり男として育てられたからだろうか。
 マリウスの言葉も仕草も女とバレた今でもなにも変わりはしない。
 だがやはり、女として見ると女性的な部分が垣間見えるような気がしてくるフランとカナーンだった。
 そこに聞き捨てならない言葉が飛び込んできた。

「我々はヨーク・エルナに向かおうと思っている」

「「「ヨーク・エルナ!?」」」

 エリナたちが驚きの声をあげる。
 ヨーク・エルナは、ガビーロールの情報を求めてリクドウたちが向かった国の名だ。

「強硬派の首魁は皇帝陛下の従弟君であらせられるアウグスト公だ。皇位継承権も持ってはいるがアウグスト公自身が皇帝に成り代わる気はないと聞く。だが愛国心の強い方故、皇国の領土拡大に非常に関心を持っておられてな……。今回の件、アウグスト公を説得できれば回避できる可能性があると踏んでいる」

「それが、どうしてヨーク・エルナになるの?」

 ロミリアはそれがリクドウたちが向かった先であることは伝えずに質問を重ねた。
 ラティシアもなにかあるのだと理解しつつ話を続ける。

「ヨーク・エルナにはアウグスト公のご母堂アウレリア様がお住まいになっているんだ。アウレリア様は人格者であるが故に政治闘争を嫌い皇国を離れることになったのだと聞く。もし、アウグスト公を説得できるとしたら、その相手はアウレリア様しかいないだろう」

「そういうことね……。あら? でも、あなた、私やリクドウに用があると言っていなかった?」

「ああ、もちろんだ。リクドウがいないのならば、ロミリア、おまえに頼みたい」

 ロミリアがうなずく。

「なにかしら」

「私がヨーク・エルナに行っている間、殿下をおまえの元で匿ってもらいたいんだ。あいにく私には他に頼れるような知人がいなくてな」

「!? そんな話、僕は聞いていませんよ、先生!」

 それを耳にしたマリウスが叫んだ。

「比較的平穏なはずのブレナリアでさえ魔神が出現したのですよ? 情勢不安定と言われるヨーク・エルナにはどんな危険が待っているかわからない。それに、そのヨーク・エルナでも魔神の目撃情報が出ているのです。殿下を連れていくわけにはまいりません」

「ですが、僕はっ――」

 エリナはその成りゆきを我が事のようにハラハラとして見ていた。
 リクドウがヨーク・エルナへ向けて旅立った日のことが、昨日のことのように思い出される。

「殿下、あなたは将来、ヒュペルミリアス皇国を率いていく御方だ。こんなところで、負わなくてもいい危険を負うべきではありません」

「僕はもう十四です! 『月輪の戦乙女』ルナルラーサ・ファレスが先生方と一緒に魔王の居城に乗り込んだのと同じ歳だと、先生が言ったんです! 僕になんの不足がありましょう!」

 一緒にいたい。
 置いていかれたくない。
 マリウスの気持ちが、その切なる想いが、エリナには痛いほどに伝わっていた。
 だが、ラティシアはそんな想いなど届いていないとばかりに冷酷な一言を放った。

「強さが、まるで足りません」

「ッ!」

「これまで殿下に剣を教えてきた私が、殿下の強さを見誤るとでもお思いですか? 殿下を連れていくのは危険過ぎる。物理的な剣や槍が相手であれば私一人でも殿下をお護りすることはできるかもしれません。ですが、魔神が出てくるとあっては、その保証もできはしません。なにより、ご高齢でいらっしゃるアウレリア様もお連れしなければならないのです。どうか、このノクトベルで私の帰還をお待ちください」

 ラティシアの言葉を受けて、マリウスは絶句し、拳を握りしめて震わせる。
 だが、搾り出すようにその言葉を発した。

「ならば……ならばちゃんと、今の僕の強さを見てください! 先生に教わった剣で、僕がどこまで強くなっているのかを、先生自身がちゃんと、受けとめてください!」

「そうすれば、諦めてここに残っていただけると?」

「……それで尚、僕に強さが不足していると先生が判断するなら、そうしましょう」

 マリウスの真剣な言葉にラティシアが相応の重さを持ってうなずく。

「いいでしょう。改めて、明日の正午に立ち会うということでいかがですか?」

「承知しました。よろしくお願いいたします、先生」

 マリウスはラティシアに対してきっちりと礼をし、そして今度はエリナに向きなおった。

「食事の席でお恥ずかしいところを見せてしまい、大変失礼いたしました。僕は先に部屋に戻らせていただきたいと思います。ごちそうさまでした」

「ううん。わたし、マリウス殿下の気持ち、すっごくわかるから……。心から応援します。がんばって」

「ありがとうございます、ミス・ランドバルド。あなたの応援は、勝利の女神の祝福に等しい。必ずや先生に僕の実力を認めさせてみせましょう」

 そしてまた深々と一礼し、マリウスは食堂を後にした。

「さて、ロミリア。今度はおまえの話を聞かせてもらいたいのだがな。ヨーク・エルナでなにがあった?」

 ラティシアの質問にロミリアが小さく肩をすくめる。

「ヨーク・エルナでなにがあったかは、私は知らないわ。でも、リクドウたち――リクドウとルナルラーサとレイアーナがヨーク・エルナに向けて旅立ってから一週間が過ぎたところよ」

 そうしてロミリアは、ラティシアにガビーロールの襲撃から起きた事態を説明していった。

「となると、ヨーク・エルナで目撃された魔神はガビーロールということか?」

「それはどうかしら? 他の魔神と違って、ガビーロールは憑依した人形の姿で現れるのが常だわ。ヨーク・エルナでの目撃情報がどういったものかわからない以上、その他の可能性も視野に入れておくべきよ」

「フン、確かにそうだな。以前の時も、結局その正体を現すことはなかった。元々精霊の様な物理的な身体を持たない存在だという可能性もあるか……。ますます殿下を連れていくわけにはいかないな」

 その時、それまで大人しく聞いていたエリナが急に席を立ちあがった。

「それでも!」

「ん?」

「……それでも、マリウス殿下が強いって思ったら、ちゃんと連れて行ってあげてください」

 エリナの真っ直ぐな瞳を見返してラティシアはうなずく。

「騎士に二言はない。将軍を辞しても騎士の矜恃まで捨てたりはしておらん」

「よかったです。それでは、お先に失礼します。リエーヌ、ごちそうさまでした」

 エリナのその言葉にリエーヌが小さく頭を下げ、フランとカナーンも慌てて立ちあがった。

「私たちもお先に失礼します。ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 そして三人もまた食堂を後にしていく。

「フン、あの頃のリクドウそっくりじゃないか。あれは魔王の娘なんかじゃないな。勇者の娘だ」

「あら、あの時、殺すのもやむなしという立場だったように記憶しているのだけど?」

「当たり前だ。私は今も昔も騎士だからな。邪悪の芽があれば摘み取るまで。だが、それが常に正しいとは限らないと今では知っているし、エリナがその一例であることも認めよう」

 クスリと笑うロミリア。

「さっきも思ったけれど、ずいぶんと丸くなったわよね、あなた」

「フン、それはきっとおまえたちのせいだ。どんな豪勢な祝宴に招かれても、おまえたちと囲んだ野営の火の暖かさを思い起こしてしまう。あんなに無礼だ無作法だなどと喚いていたのにな」

「あなたがいい方に変わったのなら、それはそれで必要な経験だったということなのでしょうね」

「……だと、いいがな」

 そうしてラティシアも笑った。


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