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新章・魔王の娘だと疑われてタイヘンです! 2巻第1章 美形の皇子様がやってきました!③

 様々な商店が賑わうノクトベルの中央通りを二人の少女が足早に歩いていた。

「昨夜の騒ぎ、エリナ絡みのことに違いありませんわ」

「エリナたちになにもないといいんですけどー」

「わたくしは、昨夜いったいなにがあったのかを確かめに行くだけです!」

「ですです。エリナたちになにかあっちゃってたら、それも聞けないかもしれないですしー」

「…………」

 プルムの言葉に思わず口をつぐんでしまうペトラ。
 ペトラの言う「昨夜の騒ぎ」とは、昨日の夕暮れ時に街外れの方から鳴り響いてきた複数の爆発音のことだった。
 それがランドバルド邸のある方向からだと気がついた段階で、ペトラは直感的にそれがエリナに関する事件だとの見解に至っていたが、父パヴェル・プレツィターによってプルム、パニーラと共に部屋に閉じこめられ、「今は決して外に出てはいけない」と言い含められた。
 そのことでむしろ自らの直感が裏付けられたとペトラは考えたが、結局部屋から脱出することはできなかった。
 窓は固く施錠されており、見張り役の用心棒を懐柔しようにも「今回ばかりは勘弁してください」と頭を下げられる始末で、結局日が明け朝食の時間になってようやく解放されたのだ。
 だが、街は昨夜は何事もなかったと言わんばかりの日常的な光景で溢れていた。
 あの街外れから聞こえたいくつもの爆発音はいったいなんだったのか。
 プレツィター商会の者たちに聞いても知らぬ存ぜぬの一点張り。
 ペトラたちを閉じこめた父に至っては早朝から仕事でノクトベルを発っており、なにかを聞くことすらできなかった。
 もっともパヴェルが早朝からいないのも、日常的な話ではあったのだが。

「パニーラ、確かあなたは今日もベルンハルト先生のところに剣の稽古に行くはずでしたわね」

「はっ。ですが、お嬢様のご命令とあらばその約束を反故にしてでも――」

「その必要はありません。あなたは予定通りにベルンハルト先生の元で修練に励むのです」

 パニーラはその言葉に胸を撫でおろしつつも、ペトラに疑問を投げかける。

「お嬢様のお命じとあらばそのように。ですが、昨夜の件については……」

「なにかがあったことは確か。わたくしたちはエリナに直接問い質しに行きます」

「では私もお連れください!」

「落ち着きなさい、パニーラ。商会の者たちは何事もなかったなどとうそぶいていますが、その緊急事態はもう過ぎ去っているということなのでしょう。ならば、今ランドバルド邸に赴いてもなんの危険もないはず。それにパニーラ、あなたにはやってもらいたいことがあるのです」

「なんなりと」

 こうべを垂れるパニーラにペトラは満足そうにうなずいて言った。

「お父さまの厳命もベルンハルト先生には関係ないはずです。あなたは修練のかたわらにでも、先生から昨夜の件を聞き出しなさい。情報は複数から得て真偽を見定めるのが鉄則ですわ」

「感服いたしました、お嬢様! では、私はベルンハルト先生の元に向かいます!」

 そのような事情で、今はペトラとプルムの二人だけでランドバルド邸に向かっているところだ。

「まったく、お父さまもお父さまですわ。わたくしたちもいつまでも子供というわけではありませんのに」

 そうぶつくさとぼやくペトラだったが、ペトラの父パヴェルは決して、幼いからなどという理由で娘を甘やかしたり、過保護にするタイプではない。
 そのことをよく知っているプルムは、事の真相が、本当に自分たちでは手に負えないほど危険なものだったのではないかと考えていた。
 そこにペトラの推測を加えた時、プルムの脳裏には、かつて目撃してしまった幾多もの魔法陣と紋様をその身に浮かび上がらせたエリナの姿が思い起こされた。

「魔王の娘……」

「プルム? 今なにかおっしゃって?」

「あ、いえー、なにもー」

 エリナはあの時、あのすごい魔力を自分とパニーラを助けるために使おうとしていた。
 エリナにはなにか不思議な力があり、秘密がある。
 だけど、エリナはいじめっ子だった自分たちのために怒り、その身代わりにさえなってくれたのだ。
 我ながら単純だとは思いつつもプルムはもう、エリナのことをかなり好意的に見るようになっていた。
 とは言え、エリナをいじめの対象としてきた自分が、今さら友達付き合いしてもらうのも烏滸がましすぎるので、陰ながらエリナの助けになろうというのが今のプルムのスタンスである。
 それ故に、エリナの秘密に関わるであろうことは、誰にも、ペトラにすら話してはいなかったのだ。
(それにー……今のお嬢様を見てると、あんまり余計な情報耳に入れない方がいい気もするー……。もっとエリナに対して自分の素直な気持ちをさらけ出してほしいって言うかー……)

「わたくしになにか言いたいことがあるなら、はっきりおっしゃいなさい」

 ため息混じりのその言葉に、プルムはペトラの顔をじっと見つめてしまっていたことに気がついた。

「あ、いえー――」

 先程と同じ返事をしかかって、プルムは思い直す。

「じゃあ言っちゃいますけどー」

「……なに?」

 それをプルムの口答えだと感じて、ペトラは不機嫌そうに睨めつけた。
 が。

「お嬢様もエリナにはっきり言っちゃえばいいのにーって」

「――ンなっ!? えっ、えっ、エリナになにを言えとおっしゃるの!?」

 エリナの名が出た途端にペトラはあからさまに慌てたような声をあげてしまう。
 これが本当にあのペトラお嬢様なのだろうか。
 プルムも出会った当初は苦手だった、あの、幼い頃から自信の塊のようであった尊大なお嬢様なのだろうか。

「わたくしはべべべつにエリナのことを心配しているわけではなくて、ただ昨夜の事件について問いただしたいだけでっ」

(今まで知らなかったけど、お嬢様にこんなにかわいらしいところがあるってわかって、その辺でもエリナには感謝だなー)
 などと思ってしまうプルムだった。

        ◇ ◇ ◇

 エリナたちは一人食堂を出ていってしまったマリウスを探していた。
 客室はもぬけのからで、屋敷内の方々を探し回ったがどこにも見当たらなかった。

「あっ」

「カナちゃん、マリウスさんいた?」

 その気づきにエリナが素早く反応する。
 カナーンは、静かにしろと人差し指を口元に当ててみせた。

「あ……」

 するとエリナもすぐに気がつき、カナーンとうなずき合う。

「えっと、ごめん……。私、わからないみたい……」

「にゃはは、ごめんね、フラン。たぶん屋敷の裏手の方。あんまり大きくないし、すごく短いけど、掛け声みたいのが聞こえるの」

 エリナにそう言われて、改めて耳をそばだててみると、確かにそんな声がフランの耳にも聞こえてきた。

「あ……うん。でも、殿下の声かどうかまではわからないかな……。それに、なにをしてる声なんだろう……」

「剣の稽古だと思うわ」

 カナーンの答えにエリナとフランは、それは納得とばかりにうんうんうなずく。

「それじゃあ邪魔しちゃ悪いのかな……。エリナはどうするつもり?」

「う~ん、そっかぁ……邪魔しちゃ……でも……」

「私は」

 悩み出したエリナの台詞を遮って、カナーンが口を開いた。

「……私は話をしてみたい。それに、剣の腕前も見てみたいわ」

「カナちゃん……。うん、わたしもそうかな。それにマリウスさんも一人で稽古するより、カナちゃんと手合わせとかした方がいいかも。やっぱりラティシアさんってものすごく強いんだろうし……」

「魔王討伐の英雄の一人、気高き皇国の騎士だもんね……」

 エリナとフランの視線が向けられると、カナーンは急に顔を赤くして、ぶんぶんと両手を振る。

「さ、さすがに私にルナたちのレベルを求められても困るわよ!?」

「にゃはは、そんなことないって。カナちゃん、あの爆発にも跳ね返されずに魔神の腕、斬り落としちゃったじゃん。あれ、ホントにすごかった!」

「魔神と遭遇する可能性があるから殿下は危険だって言われてるんだもんね。カナちゃんと同じくらい強いってわかれば、ヨーク・エルナ行きも許してもらえるかも」

「フランまでなにを言い出すのよ、もぉ……」

 二人にそう言われて悪い気はしていないカナーンだったが、マリウス皇子改めマリウス皇女の実力に関してはやや懐疑的だった。
 初っぱなでエリナに言い寄った(カナーンにはそう見えた)軟派な皇子の印象が未だに拭いきれてはいなかったからだ。
 それ故に『凱旋将軍』ラティシアに立ち会いを求めたことには驚きを禁じ得なかった。
 ルナルラーサたちがヨーク・エルナに向かった時は、エリナを護るという使命があったからノクトベルに置いていかれるのも納得ずくのことだったが、果たして、同じ立場だったとしたら、自分はルナルラーサに立ち会いを求めたりしただろうか。
 ルナルラーサの評価に口を尖らせることはあっても、それを覆そうと歯向かう事があっただろうか。
 そのような時、修練を積むことで少しでも成長に繋げてきた自信はある。
 だが、そこまでだ。
 カナーンにとってルナルラーサは絶対であり、もちろんその評価も絶対だった。それを覆そうと自らルナルラーサに立ち会いを求めるなど考えたこともなかったのだ。

「ふっ! はっ! やっ!」

 屋敷の裏手に回るとかなりはっきりとその声が聞こえてきた。
 それに地面を擦るような足音や剣が風を切る音も。

「あ、いたいた」

 そしてすぐにその姿が見えてくる。
 マリウスは長剣と皇国の紋章が刻まれた金属の盾を構えていた。
 盾を構え剣を突き出し、左足を軸に半回転して逆を向き、また盾を構えて剣を突き出す。
 その単調な動きを真剣に真摯にただひたすらに繰り返していた。
 端整な顔立ちに汗が流れ、動きにあわせて弾け煌めく。
 大仰で甘やかな台詞よりもよほど魅力的だとカナーンは思った。

「……ずっと同じ風に動いてるけど、あれで強くなれるのかな」

「なれるわ。あれだけ続けていれば強くなれるというわけではないでしょうけれど」

 エリナの疑問にカナーンは即座に答える。

「ベルンハルト先生の授業でも素振りはやるでしょう? あの一連の動きはそれと同じ。それに、私がこの声に気がついた時から、ずっと同じリズムだったわ。もうずっとこの動きを続けているんだと思うわ」

「も、もしかして、私たちがお屋敷の中を探してる時もずっと……? それって何回くらいになるんだろう……」

「え、えぇっと……百回とか……二百回とか……?」

「その程度の数で済めばいいのだけどね」

 そう言いながらカナーンは不意に下を向き、地面に手を伸ばした。

「カナちゃん、どうしたの? ――って、ちょっ!?」

「え? なに?」

 カナーンがなにをしようとしてるのかに気がついて、驚くエリナと驚きすぎて目をパチクリさせるだけのフラン。
 二人が止める間もなく、カナーンは拾いあげた小石をマリウスに向かって投げつけた。
 折しもマリウスは旋回する途中で、カナーンが石を投げる瞬間には背を向けていた。
 ――はずだったのだが。
 マリウスが撫で斬るように盾を横に振ると、小石はそこに当たって真上に跳ねあがった。
 そして、落下してきた小石を長剣の鋭い一撃が捉えて砕き割る。

「ふわぁ……すごい……」

「それくらいはやってくれないとね」

 エリナの感嘆をカナーンは苦笑して斬り捨てた。
 そして、マリウスの前に歩み出る。

「失礼しました、殿下」

「これはレディ・カナーン。失礼はこちらの方です。レディたちがお見えになっているにも拘わらず、剣に夢中になってしまっていました。石を投げられるのも当然というものでしょう」

「お言葉を返すようですが、殿下もレディのお一人では?」

「ハハハ、これは一本取られましたね。泣き言を言うようですが、僕にとっては王侯貴族の男子として振る舞うことの方が当たり前であり、そうなるように育てられてきたんです。そこを斟酌いただけると幸いです」

 カナーンは深々と頭を下げた。

「無礼な口を聞いてしまい、大変申し訳ありませんでした殿下。お詫びになるかはわかりませんが、実戦的な訓練をお求めなら私がお相手させていただきます」

「いえ、それは――」

 断ろうとするマリウスにカナーンは続けて言う。

「私たちはレディ同士、よもやレディに刃を向けられないとは申しませんよね?」

「う、しかし――」

「加えて……昨日現れた魔神プロシオン。その右腕を斬り落としたのは私です。ラティシア閣下には遠く及ばずとも、練習相手として不足はないと思います」

 いつにないカナーンの強い口調に、エリナとフランは少し動揺していた。
 だが、よく思い返してみれば、スカウティア以前のカナーンはこんな感じではなかっただろうか。
 それにクラスでも、ペトラたちや男子に対する態度はこんな感じだったような……。
 そう考えると、自分たちはずいぶんカナーンと仲よくなったのだなぁとエリナは思ってしまう。
 フランもまた、最近カナちゃんのかわいいところしか見てなかった気がする、などと考えてしまっていた。

「かの魔神の腕を……! 確かに、それは……」

「魔神の腕を斬り落とした魔剣は使いませんのでご安心を」

 その言葉にさすがのエリナもピンと来て、フランに耳打ちする。

「カナちゃん、もしかしてマリウスさんのこと挑発してる?」

「う、うん……。私にもそう聞こえた……」

 もちろん、それを直接投げかけられているマリウスも小さく笑って受けとめた。

「そこまで言われては騎士として退くわけにはいきませんね。いいでしょう、レディ・カナーン。あなたの挑戦、受けて立ちます」

「マリウスさん、いいの!? ラティシアさんとの立ち合いだってあるんだよ!?」

 思わずそんな声をあげてしまったエリナにマリウスは優しげに笑う。

「こう見えても僕も騎士ですから。そして……ラティシア先生の教え子でもあります。ここで引き下がるわけにはいかないんです。それに――」

 マリウスは再びカナーンに向きなおった。

「『月輪の戦乙女』ルナルラーサ・ファレスの養女の実力、僕にも多少の興味はあります」

「失望はさせないつもりです。では、さっそくはじめましょうか、殿下」

 大剣を構えるカナーン。
 それは普段使っているもので、プロシオンの腕を斬った魔剣アリアンロッドではない。

「こちらも、レディに失望の表情はさせられません。先生と共にヨーク・エルナに向かうためにも、ここは勝たせていただきます」

 マリウスがそう言うと、カナーンはエリナを見てうなずいた。

「え、えっとわたしが合図したら仕合開始ね? 二人とも準備はいい? それじゃあいーい? いいよね? いくよー? …………仕合ぃぃぃ、はじめっ!」

 最初は序盤から大技であるアルグルース・セレネーを見せたカナーンが圧勝した。
「最初は」というのは、アルグルース・セレネーをくらったはずのマリウスが、すぐに復活して再戦を希望したからだ。
 意図的に盾の上から叩いたのだが、それでもすぐに復活されるとは思っていなかったカナーンは、勝負はまだついていないと判断して、再戦を受諾した。
 二戦目もカナーンが勝利したが、一戦目ほど決着は早くはなかった。
 マリウスは早くもアルグルース・セレネーを盾で受け流すことに成功しだしたのだ。
 だが、アルグルース・セレネーの威力は半端な受け流しで消しきれるほど弱くはなく、最終的にマリウスは盾ごと吹っ飛ばされた。

「はぁっ……はぁっ……まだです! まだ……! もう一戦! もう一戦お願いします!」

 ぜえはあと息をつきながらも、人差し指を掲げてマリウスはさらなる再戦を希望した。

「し、しぶとい……。私の……アルグルース・セレネーじゃ……仕留め……きれないって……言うの……? はぁぁ……」

 カナーンの方もぐったりとして、息も絶え絶えである。

「まさか……。こんな威力のある攻撃を受けたのははじめてですよ……はふぅ……。おかげで盾を支える左腕はもうくたくたです……」

「私は……その左腕ぐらいもいでやるつもりで……打ち込んでいるんです……」

「僕だって、その打ち込みを完全に受け流してやるつもりで……ごほっごほっごほっ……はぁぁぁ……ふぅぅぅ……」

 そんなやり取りの中、台車を押す音とリエーヌの声が聞こえてきた。

「エリナ様、喉が渇く頃かと思いまして冷たいお飲み物を用意いたしました」

「わーい、リエーヌ、ありがとう! カナちゃーん、マリウスさーん! ちょっと休憩しよー?」

 そんなエリナに、カナーンとマリウスは視線を合わせてからがっくりと脱力する。

「ふぅ、そういたしますか……」

「はぁ、そうですね……」

 そうして二人はふらふらとした足取りでエリナたちの元に歩いていき、数種類の果実が混ざっているらしい冷たいジュースで喉を潤した。
 それは甘いが酸味が強く、それでいて濃すぎない味で、ぐいぐいと飲み干せてしまうようなジュースだった。

「まだありますから、おかわりがほしい方は遠慮なくおっしゃってください」

「あ、わたしほしい!」

 別に激しい運動をしたわけでもないエリナが真っ先に手を挙げると、カナーンとマリウスもおずおずと手を挙げ、お互いにその様子を見て吹き出すように笑った。

「それは僕だって喉くらい渇きますよ」

「私だって渇きます。アルグルース・セレネーの運動量を舐めないでください」

「舐めてません。というか、毎度毎度生きた心地がしませんでしたよ、あんなすごい技……」

「毎度毎度と言いましたけど……ルナルラーサ・ファレスはあの技を連撃で放ちますよ?」

「……は? あれを……連撃で……?」

「しかも二発や三発どころじゃない数で。細切れになったトロールとか見たことあります?」

「そんなの見たことあるわけないじゃないですか!」

 思わずツッコんでしまったマリウスだったが、カナーンはボケた覚えはない。
 すべてその目で見てきた事実だ。

「もうカナちゃん、すっかりマリウスさんと仲よしだね」

「ねー。いいなぁ。やっぱり私も剣振れるようになった方がいいのかなぁ」

「レディ・フランソワーズ! 僕と仲よくなるために剣など必要ありませんよ!」

「あ、そういうのじゃないんで大丈夫です、殿下。お構いなく」

「これは手厳しい!」

「ふふふふふ、ごめんなさい、殿下」

「にゃははははっ、マリウスさん面白いっ」

「うふふふふふふ……はぁ、参ったわ。あれだけやっても、まだこんなに余力があるんですもの」

 カナーンがそう言うと、マリウスは笑いをピタリと止めた。

「……ですが、僕では勝てなかったこともまた事実です」

「そんなこと言わないでください。私としてもアルグルース・セレネーでまったく仕留められなかったの、結構ショックなんですから」

「カナちゃん結構負けず嫌いだもんね」

「エリナ」

 むくれて言うカナーンにエリナが慌てて謝る。

「ごめんなさいっ」

「ぷくくくっ」

 その流れはフランを吹き出させてしまい、カナーンは今度は彼女をジト目で見ることになった。

「もう、フランまで笑わないでよ」

「ご、ごめんね、カナちゃん……でも、そのジト目もかわいくて……ぷくくくっ」

「にゃははははっ」

「むぅぅぅ、もぉ……ふふっ」

 そして結局カナーンもそのむくれ顔を崩して笑う。
 もはやエリナたちの当たり前になったそんな笑顔を、マリウスは目を細めて眺めていた。

「いいなぁ、羨ましいです」

「え、マリウスさん、なにがですか?」

 それを聞きつけたエリナが目をパチクリさせて言う。

「それはもちろん、あなた方の会話がですよ。とても自然体で、本当に仲がよさそうで、聞いているだけでこちらもつい頬が緩んでしまいます。本当に羨ましい」

 そんなマリウスの言葉に三人は目と目を合わせた。
 そして、エリナが口を開く。

「じゃあ、敬語とかやめちゃいます? 殿下とかマリウスさんっていうのもやめちゃってぇ……えーと……マリちゃん!」

「マリちゃん!?」

 はじめての呼ばれ方にマリウスは目を白黒とさせた。

「エリナっ、それはさすがに殿下に対して失礼よ」

 その愛称にはカナーンも慌てる。

「マリちゃん……マリちゃん……マリちゃん……」

「ほら、エリナ。殿下、その呼ばれ方になんだかショックを受けちゃってるみたいだよ?」

「ええー? いいと思うんだけどなぁ、マリちゃん」

 自信があったエリナはフランの指摘にも不満げな顔を見せた。
 だが。

「マリちゃん……そうかぁ、僕がマリちゃん……マリちゃん♪」

「やっぱりこれ、気に入ってるように見えるんだけど……。ね、マリちゃん?」

「はい! ありがとうございます、エリナ嬢! あなたこそは僕の第二の名付け親! 皇国では名付け親は霊的指導者としてその子を導き、その子は親と同等の敬意を名付け親に払うのです!」

「待って待ってマリちゃん。それじゃあ全然敬語やめられなくなっちゃうよ? わたしの呼び方もレディ・エリナとかエリナ嬢とかじゃなくて、エ・リ・ナ。ほら、言ってみて?」

「そ、それでは失礼して……え、エリナ……」

 マリウスはなぜか顔を真っ赤にしてエリナの名を呼ぶ。

「ああ、ダメです! やっぱりエリちゃん! エリちゃんで!」

「エリちゃん!? わぁっ、わたしエリちゃんなんてはじめて呼ばれたかもっ! それいいよ、マリちゃん!」

「喜んでいただけて僕も嬉しいです! エリちゃん!」

「なんか敬語はとれてないけどそれはそれでいいや。にゃははははっ」

 フランとカナーンは盛りあがるエリナとマリウスに白けた視線を送っていた。

「エリナって……こういう言葉で合っているのかわからないけれど……女たらしなところ、あるわよね?」

「カナちゃんはすっかりたらされちゃったもんね?」

「そっ――そういうことを言ってるわけじゃ……あるのかもしれないけどっ」

「ふふふっ。私もエリナのこと大好きだから同じだよ、カナちゃん」

 そんなフランの言葉をマリウスが聞きつける。

「僕もエリちゃんのことがすっかり大好きになってしまいました!」

「にぇひひひっ、わたしもマリちゃんのこと大好きだよ~」

「なんたる光栄! 恐悦至極に存じます!」

 フランとカナーンは改めて目を合わせてから、がっくりと肩を落とした。

        ◇ ◇ ◇


「なんだかずいぶんにぎやかですわね……」

「お屋敷の中じゃなくて裏の方かもー」

 プルムの指摘にペトラはうなずき、屋敷の裏手へと向かう。
 にぎやかな声は建物の角を曲がったその向こうから聞こえているようだった。
 その中で一番響くエリナの声。
 その声を聞きわけて、ペトラはホッと胸を撫でおろす。
 その時だった。

「それではすぐに戻って参りますので!」

 そんな声が聞こえたかと思うと、急に誰かが建物の角から飛び出てきて、運悪くペトラと正面衝突してしまった。

「うわぁっ!?」

「きゃっ!?」

 予期せぬアクシデントに倒れこみそうになるペトラ。
 だが、ぶつかってきた相手の方は余裕があったのか、咄嗟にペトラの腕を掴み、軽やかにそれを引き上げて、その転倒をしっかりと防いだ。

「これは失礼しましたレディ。お怪我はございませんか?」

 その不躾な人物に文句を言ってやろうとキッと視線を向けたところで、ペトラは毒気を抜かれたようにポカンとなって静止する。
 その開かれた口からは辛うじて

「は、はい……おかげさまで……」

 という言葉が零れた。

「それはよかった。あなたもミス・ランドバルドのご友人でしょうか? 彼女の友人ならばそれは僕の友人と同じこと。あなたのような美しい人を怪我させなくて本当によかった。またお目にかかれた時にはゆっくりとお話いたしましょう。それでは僕は少々急いでいますので、これで」

 その人物はペトラをしっかりと立たせると、踵を返して走り出す。
 赤みを帯びた艶やかな金髪がペトラの意識を捕らえて放さなかった。

「あ、あのっ! せめてお名前を!」

 ペトラの呼びかけにその人物は五メルト先で振り返る。

「それは大変失礼しました。僕の名は……そうですね……マリちゃん! マリちゃんと覚えておいてください。それでは、今度こそ本当に」

 そしてまた振り返り、すぐに建物の陰へと消えていった。

「……マリチャンさん」

「はー……なんかすっごいイケメンだったー。まるで絵本から抜け出してきた王子様みたいなー。ね、お嬢様? ……お嬢様?」

「えっ!? え、そ、そうね」

 プルムの声に辛うじて返事をするペトラ。
 だが、そこへ。

「マリちゃーん? ヘンな声聞こえたけどなんかあったー?」

「ふひぇっ!?」

 突然現れたエリナに、ペトラは意味不明な声をあげた。

「あれ? ペトラとプルムだ。どうしたの――」

「違いますのっ!!」

「へ?」

 ペトラの被せ気味の否定にエリナは目をパチクリとさせる。

「あれはっ、今のはっ、そういうことではありませんのっ! わたくしはっ、わたくしは本当にエリナのことが――」

「わたしのことが?」

 そこで自分が何を言おうとしていたのかに気がついて、ペトラは引きつけのような音を出して息を吸いこんだ。
 そして――

「あっ、あっ……あなたのことなんか大っ嫌いですわッ! 行きますわよ、プルム!」

「ええええー、お嬢様ー?」

「な、なんなの……?」

「ご、ごめんね、エリナ。お嬢様の今のはナシでー。全然本気じゃないから気にしないでー。あ、お嬢様ー、待ってくださいー」

 プルムは精一杯のフォローをして、ズンズンと先に行ってしまったペトラの後を追いかけた。
 その背中を眺めてエリナは首を傾げる。

「え、えぇっと……今のを言いにうちまで来たの……? でもプルムは本気じゃないから気にしないでって……んん~? んんんんん?」

 いくら考えてもわからなかったので、エリナはペトラについて考えるのをやめた。


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