20200121「私をほめてくれる人の話」

ほめられるのは嬉しい。
ほめられて伸びたい。叱らないでほしい。
すごいねー!偉いねー!上手だねー!と拍手してほしい。
自分の欲望に忠実に従えばこの欲求が根底にあって、仕事でも日常生活でも出来れば叱られたくはない。

だって、ほめられるというのは、自身を肯定されることと近しい。

何故急にそんな話を始めたかというと、今日、ひょんなことから「私を全部肯定してくれる友人」の話になったからだ。言葉足らずな説明をしてしまえば、大体この友人のことは「それって嘘っぽくない?」「絶対本心じゃないじゃん」ということを言われる。
うるせえ黙れ何を知っているそこになおれーーーー!!!!!!!

彼女とは職場で知り合った。
正確には組合。だから実は一緒に仕事をしたことはない。
よく、互いを知る同僚や先輩、上司、後輩なんかには「似てるよね」と言われた。私も彼女も比較的元気よく誰とでもコミュニケーションを取るタイプで、何となくジャンル分け(?)すると同じ括りになるのだと思う。

正直なところ、多分性格はあまり似ていない。
彼女は私ほど臆病ではないし、私は彼女ほど人見知りをせずに話しかけたりはできない。
彼女は理系で私は文系。
私は4人兄弟の長女だけれど、彼女は3人兄弟の末っ子。
こんな風に境遇は似ていない私たちだけれど、共通していることがあった。

「周囲に対する自己の見せ方」である。

例えば。
自信なんてないけれど、それをぐちぐち言ったところでどうにもならないし、周囲に不快な思いをさせるだけなので、基本はポジティブに見せるところとか。
私だってあの上司のことは苦手だし話したくないけれど、自分より立場の弱い後輩にはそんなところは見せないようにするとか。
お酒がそんなに強くはないので出来れば会社の飲み会には行きたくないけれど、下っ端だから元気についていくところとか。

結局例に挙げたどれも、「どうしてもどうしても我慢ならないこと」ではないので、求められる像または理想像に従って行動する。
そうやって言動や行動で示すことで、気持ちが下を向かないことを知っている。どうせなら上向きでいたい。
そういう気持ちが元となっているから、信用できる。

だから、私も彼女も、互いのことを「全肯定」する。
今日も好き!考え方が良い!そうやってお互いのことをほめていく。
彼女の「ほめ」が私をちょっとだけ前向きにさせてくれる。

外野が「嘘っぽい」「全部本心じゃない」とどんなに言おうと、私はこれまでも支柱となってくれた、彼女の誉め言葉をこれからも握りしめていきたいと思う。

でもひとつだけ言いたい。
「私が死んだら私の旦那と結婚してね。大丈夫!」と言うのはやめていただきたい。
旦那がすごい顔で私のことを見てたから!!!!!!!!

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