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なんで播州赤穂?「かわかつさんがな、」

おてんとうさん

ご無沙汰しました。赤穂のウチに、ちょっとずつ手を入れ始めてなんだかドタバタしている間に日が過ぎてしまいました(^^)

赤穂・御崎に「ピン!」と来てから、何度も赤穂に通うようになりました。慎重家の僕には、「ほんまにここか?」と何度も自分に聞き続けるプロセスがいつも必要なんです(^^;

御崎のウチから海に向かって左手に、岬沿いをずーっと行くと「坂越湾」に出ます。車ならほんの10分。

その坂越湾に、ポッコリ浮かぶ島が生島(いくしま)。冒頭の写真に写ってる島です。

ここに、かの有名な秦河勝(はたのかわかつ)が眠っています。それを知った時、京都育ちの僕はより一層ここに縁を感じたんです。

秦河勝。おてんとさん、覚えてます?そう、聖徳太子に従って物部守屋を打倒した人。四天王寺や広隆寺を建て仏教を広めることに尽力した人。

京都に育った僕にとっては、太秦が秦氏の切り拓いた土地であり、松尾大社が秦氏の氏神で広隆寺が秦河勝の建てたお寺さんだってことはまぁ身近な話。京都の実家は下鴨神社の氏子で、下鴨神社を祀ってきた賀茂氏と秦氏は京都の2大豪族で親戚関係ってことで勝手になじみ深いわけです。その秦河勝の終焉の地が、ここ坂越だってことに不思議な縁を感じて、より一層心が引っ張られていったんですよね。

赤穂に至る旅の途中で通り過ぎた坂越の街並みがとても気になっていたこともあり、何度目かの赤穂訪問の折に坂越に行ってみることにしました。

坂越 駅

赤穂線で播州赤穂のいっこ手前の駅が坂越。古い街並みをイメージしてワクワクしながら駅を降りて、ビックリ。なんもない(^^;

そりゃそうか、坂越は湊で電車は後からできたんやからと独り言ちつつ、てくてく千種川にかかる橋を渡って歩くこと10分。

坂越街並み

坂越の街並みが(^^)

一本の大通りが坂越湾、そして生島に向かってずずんと突き抜けています。両側に昔の旅籠や商家っぽい家や蔵が立ち並びます。

坂越街並み2

そして家々の隙間に、いい感じの路地。

坂越 路地

路地を抜けると裏の茶臼山、宝珠山に続きます。

この宝珠山に抱かれて海に向かって建っているのが大避神社(おおさけ)。秦河勝を祀った神社。

大避神社

陸に大避神社、海に墓所。この街が、秦河勝を中心に続いてきたことを強く感じます。

そんな坂越の「坂越街並み館」に立ち寄った時のこと。近所のおばちゃんっぽい人に「こんにちは~」って挨拶するとなんとなく会話が始まりました。話の中身はほとんど秦河勝のすごさ(^^)

「かわかつさんはなー、」「かわかつさんがなー」まるで親戚のおっちゃんのことを話すように話しているおばちゃん。話を聴きつつ、不思議な感覚が湧きました。1500年も前の人のことを、親戚のおっちゃんのように感じ続けるこの土地の感覚。大きな時間の流れの中に、おばちゃんも秦河勝も同居してて一緒くたに捉えているような感覚。

「私の、私の」といった「個」を切り出した感覚じゃなくて大きな流れの中で繋がったもしくは混ざり合ったような感覚が日々の生活の中で育まれるってどういうことなんやろ?って関心が湧きました。同時に、そういう感覚を大切にしたいと思っている自分がいることにも気づきました。

個としての自分、自分の人生を大切にすることは僕にとって重要なことなんですが、その「大切にする」視点が単に自分一人の「揺れ動く我」を起点としているだけでは浮草のようで弱く空しい気がします。何か自分を超えた大きな時間や集団との関係に拠り所や居場所を感じながら、同時に個としての自分や人生を見つめる・大切にすることができれば、少々「我が揺れ動いても」折れない根っこがある安心感を感じ続けられるように思います。

そんな事にひとり頭を巡らせながら、せっせと宝珠山に登ってみたらおてんとさんのご褒美が(^^)

坂越 宝珠山から生島5

ね?生島に何かが降りてくる感じ。もしかして「かわかつさん」?(^^)

そんな坂越訪問から数年。

先日、「かわかつさん」と愛情たっぷりに話す人に出会いました!そして彼の物語を聴きつつ、かわかつさんの偉大さを再認識しました。

「そうかぁ、かわかつさんは道を繋いだ人やったんやな。」と。

千種川沿いには、かわかつさんを祀った大避神社が「12社」あるそうです。つまり、千種川はかわかつさんが拓いた川の道。一つ一つの社がある地点は、もしかしたら古代の川の湊。日本海側から瀬戸内海側へ川の道を拓くことで坂越は海の道に繋がる結節点となりました。実は太秦も同じ。かわかつさんは保津川・桂川を拓き丹波から大阪湾に至る川の道を作り、京都盆地を琵琶湖を介した湖の道と丹波からの川の道の合流地点としました。

道ができれば人・モノ・情報が流れる。その結節点には人・モノ・情報が集積される。人・モノ・情報が大量に集まるところで文化が生まれる。

偉大なディベロッパー「かわかつさん」は、だからこそ猿楽・能楽の始祖とされいまや芸能の神となったんだなと(^^)

そして、そのかわかつさんの物語を僕に熱く語ってくれた仲間たちとこれから赤穂・御崎で始まる物語が楽しみです!

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