コロナさん、私たちから「乾杯」を奪わないで!

乾杯~!そう言いながら、カチャンとグラスの音が響く。
だれかとお酒を飲むときには、ごく当たり前の行為だろう。

しかし、お酒を飲めるようになって8年、乾杯をする理由なんて誰も教えてくれなかった。

私にとっての乾杯は、朝起きたら「おはよう」と言うのと同様
「飲む前の挨拶」という無意識の下に行っているもの。

「乾杯」という無意識に行っていた行動を見つめ直すにあたって、
以前大河ドラマで今と変わらない乾杯のシーンを観て驚いたことを思い出した。

何百年と続いているのであれば、その「起源」はなにか。
強い好奇心に駆られて「なぜ人は乾杯をするのか」という問いを探ることにした。

すると、全く予想にもしなかった回答がネット上で掲載されていたのである。

<乾杯する理由>
・お酒に宿っている悪魔を追い払うため。
・お互いのグラスをぶつけることでお酒が混ざり、毒が入っていない証明となった。

諸説あるようだが、昔の「乾杯」=「自分の命を守る」行為であったらしい。この説には、リビングで一人驚きの声を発した程だ。

現代では「乾杯」を通じて、命を守ろうと考えている人は皆無だろう。

むしろ乾杯は、みんなを笑顔にしてくれていると思う。

ちなみに、仕事終わりの乾杯は特段なにもなかった日でさえ「達成感」を感じさせてくれるから不思議だ。
気持ちが高揚し、つい会話にも花が咲く。

さっきは「無意識の下で行っている挨拶」と書いたが、
よくよく振り返ってみると、人と人をつなげる「コミュニケーションの入り口」になっていることに気がついた。

しかも乾杯は言葉さえ異なるが、世界共通で行われている。
欧米人との乾杯では、「チアーズ」と言い合ったものだ。

この一言で世界の人々と時間を共有できると考えると、日常の中で何気なく交わしていた言葉をとても素敵に感じる。

一方で、すでに始まっているWithコロナ時代ではソーシャルディスタンスが必須となり、昨今は乾杯の機会が失われている。

すなわち、乾杯を通じたコミュニケーション機会・人々の笑顔が奪われている危機と言える。

もちろん少し言い過ぎで、グラスを重ねない乾杯方法は容易に思いつく。

しかしながら、自分の命を守る乾杯を過去の偉人たちが世の中を平和にしてくれたからこそ、何気なく笑い合いながらできる乾杯へ変われたのではないでだろうか。

それを、コロナなんかに奪われてたまるか。
未来の乾杯もこれまで同様に笑顔でグラスを重ね合いたいと強く思う。

今となっては、グラスの響く音が「平和の鐘」のような気さえする。
一刻も早く、これまで同様に乾杯ができる日常を取り戻せますように。

#また乾杯しよう #エッセイ #日常 #新型コロナウィルス  

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