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市村正親さんの「市村座」を泣きながら、観た。

役者生活50周年記念公演は、号泣だった。

思い出の多い日生劇場での公演に行こうとしていたのだけれど
ふと公演リストを見ると、市村さんの故郷である川越での公演が目に留まり
こちらでチケットを獲ることにした。

市村正親さんの公演は数十年間、数々観てきたけれど、こんなにも胸熱くなったのは、久しぶりだった。もちろんコロナ禍でなかなか観劇ができなかったこともあるけれど、しばらく家庭の事情などいろいろあり、
ここ7−8年、観劇から離れていたから
尚更だったのかもしれない。

故郷の川越、地元ということもあり、市村さんはいきなり客席から現れ、
通路でない座席の隙間を通ったりして、観客とハイタッチしながら、
めっちゃくちゃ楽しそうにステージに上がった。
こういう屈託のない明るさも、市村さんが長年愛され続ける理由の一つだろう。

「ああ、いっちゃんだあ!泣」
思わず、心の声が漏れる。
幕が上がったばかりだというのに、もう私の涙腺は崩壊が始まってしまった。
間近で市村さんを観れることだけで、こんなにも胸がいっぱいになる。

それは、私の人生や感性に、市村正親という役者さんがどれだけの
影響を与えたか、
その深さを思えば至極当たり前の熱さなんだと思う。


公演地であるウェスタ川越に置かれていた公演バネルと市村さんがある番組で購入した酒樽


13歳で、ひとりの役者にマジ惚れ!

中学生になってまだまもない頃だったと思う。
父の書棚の片付けを言いつけられて、私は渋々、父が読みかけて置いている文庫本や雑誌の整理を始めた。
たまたま手に取った雑誌の1ページ。
ある若い役者のこれからの活躍を期待する記事の
グラビアに一瞬で釘づけになった。

<市村正親、26歳。>

確か、劇団四季の新作ストレートプレイ「エクウス」の取材記事だったと記憶している。
「この人、なんかすごい。。。。どんな人なんだろう・・・・」
稽古場で鋭い眼差しで汗を流す彼の写真から放たれるエネルギーは、
まだ13歳だった私の心を一瞬で奪った。

当時、私は演劇部に所属していて、「役者」というものになりたいという
夢を、少からず抱いていた女子だった。だからなのか、その写真に衝撃を受けたのは今考えても当然のことだったのかな、と思える。

私が見た写真とはちがうけれどこんなグラビアでした。検索したら出てきました。

それからしばらくして、中学校の演劇部の顧問の先生が、
近くに劇団四季が公演でやってくるので観に行かないか?
と部員を誘ってくれた。
演者の中に「市村正親」の名前を見つけ、歓喜した覚えがある。
その頃はインターネットなんて世界はどこにもないし、事前にどんな俳優が出演するのかさえ調べることもできない。市村さんがその作品に出ていたことは、今思えば物凄く運命的な偶然だったのかもしれない。

「あの役者さんを観れる!!」
そう思っただけで、中学生の私は、心臓が破れんばかりにドキドキしたのを
今もよく覚えている。

その作品は、シェークスピアの「ヴェニスの商人」で、
名優・日下武史さんが主演されていた作品だった。

真っ白な傾斜舞台に、彼は舞い降りてきた!

「ヴェニスの商人」は、ステージの奥から客席に向かって下ってくる
真っ白な傾斜舞台の上で物語が展開するのだけど、
妖精役の市村さんはその傾斜舞台の上を縦横無尽にバック転で動き回り
華麗で繊細で、そして、強烈な印象を残した。

もう、虜になるのに時間は必要なかった。

それ以来、劇団四季在籍時代の市村さんの出演作品は、おそらくほとんど観たし
いつか市村さんと同じ板の上に立てるような役者になることが
私の大きな夢になった。

また当時、劇団四季の公演をよく上演していたホールでは
役者さんとの交流会やサイン会など、地方公演の度に催しがあって、
度々、タカラヅカファンだった母と一緒に出かけた。
本当にありがたいことに、
何度も市村さんとお会いするチャンスがあり、お会いするたび
鬼緊張しながら、お話しした記憶が今も鮮明にある。

いつも母と一緒に出掛けていたものだから、
そのうち「親子ファン」として認識していただいて、
たまに私だけ一人で参加すると
「今日、ママはいないの?ww」
と、温かい笑顔で、声をかけていただくようにもなった。

そんな気さくな市村さんの対応にも、いつも心を温めてもらい、
どんどんファン心は育っていった。

「市村座」の第2幕は涙涙だった!


市村さんの役者生活50周年の記念公演である今回の「市村座」の
第2幕は、市村さんが過去出演してきた42作品の楽曲を
ある作品は1小節、ある作品はフルコーラス
多少差があるものの、生バンドを従えて、
全曲披露された。

特に、四季時代の楽曲は、ほとんど忘れていたはずなのに
脳の中、記憶のフタがパーンと突然開いて、歌詞が一言一句
間違いなく口をついて出てくる!

「ジーザス・クライスト・スーパースター」のヘロデ王の歌
「青い鳥」のチルチルの歌
「オペラ座の怪人」のファントムの歌

もう、、たまりませんでした。
すっかり記憶の引き出しに仕舞い込んでいた
幼い頃の夢や、夢を夢のまま終わらせてしまった自分の人生のことや
母との想い出まで付いてでてきてしまい、
涙が溢れて溢れて、マスクが酷いことにww

中でも「コーラスライン」のポールの歌を
ご子息で俳優デビューした市村優汰くんが歌ったのことも
感動でした。お父さんのほどの毒気と色気にはまだ至らないものの
同じ血の流れを感じさせる繊細さのある魅力が放たれて
ステキでした。

やっぱり私の人生、市村正親さんの役者人生に
影響を受け続けて来たんだな。。と改めて実感でした。

47年という時が過ぎて、なお、出会える奇跡

市村正親 という一人の役者さんに出会い、人生にある光をもらった少女が
47年というとてつもない長い時間を生きて、
またその光の主と出会う。

ファンでいることはもしかしたら容易いかもしれない。
でも、役者さんがずーーーーーーーーっと、50年もの間
第一線での活躍をキープし続けていることは、
決して容易くはない。
いや、物凄く、壮絶なことだと思う。

その大変な人生を、市村さんは駆け抜けて来られた。
だからこそ、あの日、私はまた市村正親という光に
出会うことができたんだと思う。

それは、やっぱり、奇跡
なんだと思う。

終演後、私の心は、
あの13歳の時、初めて市村さんのグラビアを見た時のような
鼓動が沸き立つような感覚を憶えて、帰路についた。


市村さん、今年74歳。
でもまたここから、彼の新しい挑戦が始まっていくような?
そんなワクワクした未来が見える舞台だった。

ファンも頑張らねば!!!
頑張って、生き抜いていかねば!!!

市村正親さん、本当にありがとうございました。
また、お会いしましょう。

#市村正親 #市村座  







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