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女心と秋の空【短編完結】

ため息と共に始まったいつもの仕事も、終わってみればまた違うため息が漏れる。
まる1日、仕事という社会人の箱に閉じ込められていた鉛のような重い体と、棒のような足は少しむくんでいるのか。座って肘を突いてしまおうものなら、そのまま瞼が閉じてしまうかもしれない。
もうひと分張りと、帰宅のための鞭を体に入れる。
決して職場が暗いわけではないのだが、それでも屋外に出た瞬間の朝日のまぶしさには少し困惑させられるのだ。
トボトボと歩く駐車場までの道のり。決して仕事がうまくいっていない訳でも、今の仕事に満足していない訳でもない。
車のドアに手をかけ、またひとつため息。これで何度目のため息だろう。嘲笑にも似た笑みを自分に投げかけ、口角を上げながら軽く自己嫌悪する。
乗り込んだ車はうたた寝にブランケットを掛けてくれるかのように、優しい温もりでそっと私を包み込んでくれた。しかし、それとは裏腹にエンジンを始動させると無機質にも聴こえる車のBGMが流れてくる。その楽曲が「Taylor Swift」のものと認識できたとき、そのときやっと自分のため息が安堵のものだということに気付かせてくれたのだった。
車窓から見える秋の様相をかもしだす山の朱色が、目の奥に、それも優しく飛び込んでくる。
昔から変わらないその優しい朱色は私を活動的にさせるのだが、それと同時に寂しい気持ちにもさせたりもする。
パワーウインドウのボタンを押し、軽く窓を開ける。優しかったアルト調の温もりは無造作に入ってくる風に少しずつ私のそばを離れていく。そんな温もりと冷たさが交錯するなかで「彼」の存在を思い出し、どうしようかと思案するのだった。


いつからだっただろうか。
彼との出会いは、もう小学生の頃からか。
今思うと長い付き合いになるんだと、しみじみと感慨深くなる。無邪気だったあのころは少し背伸びしたかのような、大人の真似事じみた感覚に少し恥ずかしさを覚えた。一つずつを成長に置き換えていたのかもしれないが、ただ甘ったるいだけの感覚を楽しみ飲み込んでいたのだった。
あれはバス遠足のときだったか。長い道中、車に酔わないようにと気分を変えさせてくれる彼の優しさに気付かないフリをして、窓の外を眺め必死に優しさを噛みしめていたっけ。
あのとき車酔いをしなかったのは彼のおかげなのかなぁ…なんて思い出し柔らかな気持ちになる。
あの当時は、あの当時なりに色んなしがらみがあり、好きだという気持ちを表出できなかったりもしたのだ。
恥ずかしいという思いではない。
ただ、気取ってみられたくない「スカした奴」には見られたくなかったのだ。
ただ彼と彼の気持ちを飲み込んでいた私は、確実に子供だったのだろうけれど。


あれから私も変わってしまった。
私自身を確かめるように、そして試すかのように幾人の者達と交わりを持った。そこには不思議と罪悪感はなかった。
新しい「彼」の出現は、私の可能性を引き出してくれるとともに、刺激と風を与えてくれるのだった。それは私の意思とは関係なく、次々に新しく現れてくるのだ。
そこには吐いて捨てるほどの関係があり、実際に吐き捨ててきたのだった。
子供のころに味わった甘酸っぱい果汁の味は、歳を取るとともにその味覚も変わってくるようなもので、その関係はもっとドライに、そして機能性だったり利便性だったりを求めるようになってくる。ときには睡眠欲すら遮断し、食欲すら忘れさせてくれる存在となってくれる。
そこまでして何故彼らと共にすごしてきたのだろうか?その一人一人に依存性があり、その時の感覚で出会いと別れを繰り返してきた。
-もう落ち着いてしまおうか。-
何度も繰り返してきた言葉を反芻させ、また新しい刺激を求めようとする自分はそれほど嫌いではないのだ。
ただ以前に過ごしてきた「彼」に幼馴染のような顔をされるのは始末に悪い。
「以前は愛してくれていたじゃないか」そんな女々しい気持ちをぶつけて欲しくはないのだから。


車のBGMからは、前の曲とフェードアウトするように次の曲が始まる。
Taylor Swift ---『We are never ever getting back together』
彼女の柔らかくも切ない歌声が私に響く。彼女の立場から、決して多くの「愛し愛される関係」があったわけではないのだろうけれど、彼女の中にある出会いや別れを歌詞に乗せて、秋の日差しの温もりみたいに歌い私に届け包んでくれる。
その歌声に昔のことを思い出し、胸の奥が少しくすぐったいような、締め付けられるような感覚に陥る。

<Oooh we called it off again last night
But Oooh, this time I'm telling you, I'm telling you
We are never ever ever getting back together
We are never ever ever getting back together>

<昨日の夜 私たちまた別れたでしょでもね、
今回はあなたに言っておくわ
私たち絶対に何があっても二度と付き合うことはないから>

ただ私にだって昔の「彼」が忘れられなくなることがある。いつも前向きになんて生きていけない時だって。
フロントガラスからは清々しいほどの空の青がいっぱいに広がり写し出される。信号待ちの間に車の肘置きケースの中に入っている「彼」を取り出し包まれた紙を剥がして口の中へ放り込む。

そしてまた車を走らせた。



「Clorets(クロレッツ)オリジナルミント」

クーリング感をフルチェンジしたという「彼」はスッキリしたミント味で、その効果を30分間も持続させてくれる。
しかしまた「彼」を味わうだけ味わい、吐き捨てることになるのだろうけれど…。
悪い女だと思われてもいい。もう子供ではないのだから。
もう飲み込んだりしない…。

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