成長1

「成長したい」という言葉が嫌いなわけ

大学生活を通して、「成長したい」という社会人の方や学生に多く会ったと思います。そんな人たちに会うたびに、得も言われぬ感情を抱いていました。強烈な違和感だったので、そうした人たちとは距離を取っていたように感じます。

就職活動が一段落したいま、なぜ「成長したい」という言葉に抵抗感を感じたのか、考えたことをまとめてみようと思います。

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色々考えた結果、私の考える「成長」とは、
① 後になって振り返った時に感じる自身の変化
② ”したい"ことではなく、"すべき"こと
であり、それが「成長したい」という言葉のもつ世界との乖離を生んでいるのだと考えました。

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いつ/どのような「成長」が感じられる?

よく考えてみると、今まで生きてきて「成長」という言葉をあまり使ったことがない。あまりに漠然とした言葉で、どういつ使っていいのか全く分からないからだと思います。

そこで今までの人生で、今思えば成長?したのかなぁと思う経験を思い返してみました。一番大きかったのは、高校野球です。あれだけ好きな野球で全く結果が出せず、でも諦められなくて毎日何とか気持ちを奮い立たせて練習に打ち込んだ3年間でした。終わったときは、11年野球やってきたけど無駄だったなと感じましたが、人間的には大きく変わった期間だったと思います。(抽象的ですが)他にも人間として変われたなぁという経験はいくつかありました。それらを振り返ってみると、全ての経験を通じて言えるのは、「目標がそもそもあって、それに向かい頑張り終えた後に、成長を感じた」ということです。

またその成長とは、自分が事前に全く予期していなかった自分の変化でした。野球に打ち込んだ結果、周りの人に対して寛容になれるなんて、考えもしませんでした。その「成長」は、未来になってみないと分からないので、時に自分の想像をも超えたものにもなりえます。

以上を踏まえると、私にとって「成長」とは
「未来でのみ知覚できる、過去からの変化」
だと思います。

対して、「成長したい」の「成長」とは、
「現在からも予見できる、現在からの進歩」
のように感じます。「したい」ということは、ある程度どんな成長が待っているかは既知で、それに向かっていきたい、ということだと思います。インターンの募集である、「マネジメントスキル習得で成長!」とか書いてあるのは、マネジメントスキルという既知の能力の習得を求める、まさにこのパターンです。

このように、いつ/どのような「成長」を感じるかという点で、「成長したい」という言葉に、違和感を抱くのだと思いました。

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「成長」は”したい”ことなのか?

また自分の経験を通して、「なぜ変われたのか?」を考える中で、私は、「目標達成のためには、変わらなくてはならなかった」「成長しかなかった」のではないかとも考えました。

成長は”したい”ことではなく、目標達成のために”すべき”こと

野球で結果を残したい → チームマネジメントしなきゃ/自分の技術を向上させなきゃetc...
友達欲しいから → スピーキング頑張んなきゃ/相手の文化理解したほうがいいなetc...
こうしたことの積み重ねで、私は変わってきたと思います。

先に言ったこととも少し被るのですが、私は
目標に向かって、頑張り終えた後に、成長を感じ」ます。つまり、私の認識では、何か目標があり、その達成のために「成長」”すべき”あるのです。いわゆる目的と手段の関係です。私にとっては、「成長は手段」なのです。だから私は、「成長」という言葉を聞くと、その背後にあるであろう、大きな目標や夢を探してしまうのだと思います。

なので、もしただの「成長したい」という言葉を聞くと、背後にあるコンテクストが感じられず、違和感を持ってしまうのだと思います。

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私が、「成長したい」という言葉を嫌いな理由を考えた末に思ったことは、
「また何かに熱中したい」
ということです。

目先のちょっとした小さな「成長」を「したい」と思うのではなく、それよりもはるかに大きな理想を掲げ、そこ目がけて無我夢中に打ち込む。そうした先に「成長」や「達成感」を感じられるそんな生活を送れたらいいなと思いました。

そして成長し続けるには、何かに没頭し続けなければなりません。自分が本当に熱中できるものを見つけ、2~3年後にはそれを形にできると良いなと思います。



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