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ダンゴムシのように

 子どもの頃から、自分の人生を生きていないような気持でいた。
 私は私が置かれた環境で生きるには敏感で繊細すぎた。
 心をうつろな状態にして、痛みを感じないようにしていなければ、とても日々を送ることができなかった。
 喜びもまた感じられなくなったとしても。

 そんな私が社会に出て30歳になるころ、うつ状態に陥った。日常生活をこなすことさえ困難になるほどだった。
 当時は、「どうしてこんなことに」と嘆いたけれど、今振り返れば、小学校の次は中学校、くらいに当たり前のことだった。私はそういう生き方をしてきてしまったのだから。

 35歳になって、通院・服薬しつつ週4日勤務の仕事をこなせるまで回復した私は、友人が貸してくれた育児書を読んだことをきっかけに、「自分を育てなおす」ことを始めた。

 本から得た知識を、実生活の中に落とし込んでいく中で、自分がどう育ってきたのか、なぜうつ状態に至ってしまったのかを考えた。
 自分なりに出した答えが、私は、私を生きていなかった、ということ。
 世の中が私に何を期待しているかを想像して、その期待に添うように生きることが板につきすぎてしまった。

 育てなおしの中で、二歳児のように、自分が損得を超えて「やりたい!」ことをしたとき、どうしても心がモヤモヤ。モヤモヤの正体を見つめたとき、根っこに「見捨てられる!」という恐怖があることに気づいた。
「見捨てられないよ、仮に見捨てられたとしても、私が私を守るよ」
 私はそう自分に語り掛けるようになった。

「やりたい!」ことをするたびに湧き上がるモヤモヤ。モヤモヤに「大丈夫だよ」と言い聞かせれば、いっときは落ち着くものの、また別の瞬間にモヤモヤが湧き上がる。自分の心を静かに見つめてモヤモヤを払いのければ「見捨てられる」という思いがあらわになる。

「大丈夫だと知っているのに、なぜ「見捨てられる」という思いを手放せないのか」

 私は短大時代に友人の家に行った時のことを思い出した。駅から彼女の家に行く途中、立派な家の前にある門のところに大型犬のセントバーナードがいた。

友:「やーっ!」
私:「わぁ~!」

 彼女は恐怖の、私は感嘆の声を上げた。
 そのセントバーナードは友好的で、しっぽをぶんぶん振りながら前足でジャンプをし、こちらの気を引こうとしていた。私は門扉の格子から手を入れてセントバーナードの頭を撫でた。セントバーナードは大喜び。しかし私の友人は大騒ぎ。
「いやぁぁぁぁぁぁ!」
 友人はギャグマンガのワンシーンのように電柱の陰に隠れ、中腰で悲鳴を上げていた。
「大丈夫だよ。とても慣れてるコだよ」
 私が言うと、彼女はこう答えた。
「わかるけど、わかるけど、やーーーっ!」

 その場を離れてから彼女に話を聞くと、ほとんどの犬は怖くないけれど、小さいころにセントバーナードに追いかけられてから、セントバーナードだけはダメなんだと打ち明けてくれた。

 あのとき私は思った。
 怖くないという判断や知識よりも、セントバーナードに追いかけられた経験の方がずっと強いのだと。

 彼女とセントバーナードの関係は、私と親の関係にそのまま当てはめられる。

 親が、幼い私を自分の都合のいいようにコントロールするために「いうことをきかなければ見捨ててやる」とにおわせていただけのこと。現実の世界は「自分がやりたいことをすると見捨てられる」世界ではない。
 それに、今の私は大人で、見捨てられても生きていける。しかし、幼いころに親からもたらされた「いうことをきかなければ見捨ててやる」というメッセージの方がずっと強く私を貫いている。

「自分がやりたいことをすると見捨てられる」という恐怖に「大丈夫だよ」と声をかけ続けて約15年。
 知っているだけでは経験に勝てない。だとしたら「大丈夫だよ」をずっと自分に言い続けなければならないのか。いつまでこれを続けるのかと、暗澹たる気持ちだった。

 2020年3月。私は近所のレンタル畑に空きが出ているのを見つけた。そこは私の散歩コースで、9年近く目をつけていた場所。空きの出た三区画のうちの一区画を、首尾よく1年契約できた。
 三区画のうちの一区画は老夫婦が借り、もう一区画は複数の家族が合同で借りて、初日にはその複数の家族が畑でパーティーを開いていた。
 一緒に畑をやる人がいるのをほんのすこし羨みながら、私はひとりで農作業を始めた。

 知識がない中、手探りで始めた畑には、前年のこぼれ種であろうシソが畑のあちこちで生え始めた。使い道がある植物だけに抜くのがしのびなく放置していたら、となりのトトロの念仏でも浴びたのかと疑うほど育ち、身長166センチの私の目のあたりまでになった。
 10坪あるレンタル畑のスペースは、初心者の私には広すぎた。畑の半分は夏野菜を植えて体裁を保っていたものの、残り半分はひまわりとシソという場ができあがってしまった。

 夏の暑さが落ち着いてから、私は畑を整え始めた。シソとひまわりを抜き、一か所にまとめた。終わった夏野菜と雑草も同じ場所に置くと、牛一頭くらいの大きさの植物の山ができた。次に私がやったのは、夏野菜を抜いた場所に溝を掘り、抜いた植物の山を埋める場所を作った。この作業は1か月くらいかかった。「誰か仲間がいたら」と何度思ったことか。

 10月に入ってから抜いた植物の山を埋めていく作業をした。ひまわりの茎はそのまま埋めると分解されにくいと思い、私はハサミでひまわりの茎を切った。すると手ごたえがあると思っていた茎が簡単に切れてしまった。
 私は想定外の感触に驚いて、ひまわりの茎に切り込みを縦に入れて指で裂いてみた。すると茎の中に数匹のダンゴムシ。茎の中に張り巡らされていた繊維をダンゴムシが食べて茎の中をスカスカにしていた。

「仲間だ!」

 ひまわりの茎の中を食い尽くしていたダンゴムシを見たとき、そう思った。
 抜いた植物の山をすべて自分ひとりで処理するつもりでいたのに、思い違いだった。
 ダンゴムシだけではない。抜いた植物の山の下層からは、発酵しているような匂いが立ち上り、白いカビのようなものも生えていた。

 雨水に濡れ、太陽に温められ、虫が住み着き、菌がはびこり。
 私が抜いた植物の山は、私が放置している間も処理が始まっていたのだ。

 家に帰って農作業で疲れた体をいたわりながら、私はひまわりの茎の中にいたダンゴムシのことを考えた。
 私を滑稽だと笑う人もいるだろう。笑われたってかまわない。私は確かにダンゴムシを私の畑の仲間だと思い、ひまわりの茎の中を食べつくしてくれていたことで感謝の気持ちを覚えた。ダンゴムシからしたら食事をしていただけなのに、仲間認定されて感謝までされる状況だ。

 私は思った。ダンゴムシをそのまま自分自身の在り方に置き換えて考えることができるかもしれない、と。

 ダンゴムシがダンゴムシとして生きたとき、私は幸福感を得た。
 私が私として生きたとき、誰かが幸福感を得る…

 ちょうど「自分がこうした活動をすることで誰かの勇気や希望になれば」というような発言に、違和感を覚えていたタイミングだった。
 私は自分の「やりたい」という気持ちを大切にしたい。損得にとらわれすぎず、誰かの勇気や希望を目的にせず、副産物としてそれらが生じる、くらいの気持ちで生きていきたい。

 あれから私は「やりたいことをやっても見捨てられないよ」と自分に語りかけるよりも、こう問いかけるようになった。

「ねえ、私。ダンゴムシのように純粋に自分を生きている?」

#自分にとって大切なこと

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