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『刺青』 谷崎潤一郎

1910(明治43年)発表。

谷崎潤一郎の「処女作」とされる『刺青』は、女性美への賞嘆と、それを取り巻く絢爛な世界像を見事に描いた短編小説です。

短い作品ながら、その後の谷崎文学に通底する性的倒錯のモチーフと、谷崎特有の鮮やかな文体による描写が凝縮されており、大変読み応えがあります。

清吉によって女郎蜘蛛を背中に宿される女は、まるで谷崎自身のフェティシズムをそのまま宿されるかのようです。
麻酔剤で無理やりに女を寝かせ、一晩をかけて施術に挑む清吉は、作品のなかに「理想の女性美」を顕現させようと文章と格闘する谷崎の姿と重なります。そしてそれは成功し、女は――谷崎文学は――名声と称賛を得るまでに羽ばたいてゆくのです。
谷崎自身がそのような比喩として描いたとは思えませんが、刺青を施され、性情まで豹変する女の様子は、可笑しみすら感じてしまうほど象徴的です。
「お前さんは真先に私の肥料(こやし)なったんだねえ」。
この最後の女の一言には、女の真の性分を切り開いた清吉の達成感という以上に、清吉の、おのれをも支配する(「末喜」的)存在の誕生への祝福が込められている気がします。清吉はすなわち新進の小説家・谷崎潤一郎であり、おのれのフェティシズムを叶える女性の誕生は、谷崎とっては、ひとつの「文学的到達」を示すものなのです。
この作品の完成によって、その後の谷崎文学の方向性は決定づけられます。

「春の夜は、上り下りの河船の櫓声に明け放れて、朝風を孕んで下る白帆の頂から薄らぎ初める霞の中に、中洲、箱崎、霊岸島の家々の甍がきらめく頃、清吉は漸く絵筆を擱いて、娘の背に刺り込まれた蜘蛛のかたちを眺めて居た。その刺青こそは彼の生命のすべてゞあった。その仕事をなし終えた後の彼の心は空虚(うつろ)であった。」

――刺青の完成とともに明けてゆく夜の情景描写も秀逸です。刺青そのものを示す表現はわりあい少なく、この適度に散りばめられた時間経過を伴う自然描写が、展開される世界観をより鮮やかに、きらびやかに表現しています。
上記のパラグラフは、個人的には『刺青』におけるハイライトです。

短い作品で読みやすく、かつ、一つひとつの文は名文で、読み応えあり。近代文学を味わいたい方に、そして谷崎潤一郎の入門書としても、おすすめできます。

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