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【小説】 『兎』(未完)

    一、

 飼育委員の男の子が二人そろって学校を休んだ。おかげで、週一度の兎小屋の清掃を、私がやることになった。

 いつもなら、床中に散らばった糞を一か所に、苦笑まじりに集めている子供の様子を、要所要所で適当に声を掛けながら眺めていればよいのだが、今日はそれを私自身がやらなければならない。

 五年二組の担任としての、責任ある、体を張った仕事。クラスの子供たちがみな下校し終えないうちから、潔癖症でおまけに動物もあまり好きではない(子供の前では言えないが)私は、もうすでに気を重くしていた。

 軽度の注意欠陥多動性障害、いわゆるADHDをもつ弓本くんが、きょうは終日とても落ち着いていて、いつものように母親が待つ、学校を出てすぐの歩道橋の袂のところまで、クラスの皆といっしょに下校するのを安心して見届けることができたのには、ほっとした。学級担任という役職は、客観的な仕事量の多さ以上に、注意を向けておかなければならないことや、気を回さなければならないことが沢山あって、毎日へとへとになる。きょうもテストの丸付けや、校務分掌の些末な仕事が片付いていなくて、残業は決定的なのに、その上さらに兎小屋だ。こちらの仕事は単純作業ではあるけれど、想像するだけで気が滅入りそうになる、小屋の、あの独特の「動物臭」のなかでは、教師としての責任感など雲散霧消してしまいそうだ。

 教員用の更衣室で、用意していたジャージに着替える。朝のはじめから、ジャージ姿のままで一日を過ごすことにして、もういいのではないかと、近頃は思いはじめている。先輩はみな、服装にさしたるこだわりのない人たちばかりだ。――匡彦にいたっては、いつも同じぼろぼろのジャージで、体育の授業中や昼休みの時間でさえも、子供たちと運動場を駆けまわっている。あれはあれで潔くて匡彦らしいといえばそうなのだが、もうすこし、保護者や他人の目を気にしてもいいのではないかと思う。

 匡彦は良くも悪くもこだわりのない人だ。この学校で唯一の同い年の先生で、採用試験に合格した年も私と同じ。お互いに教員生活二年目をむかえた今年、ふたりしてはじめての学級担任を務めている。匡彦とは、同じ境遇としての悩みを共有できたり、男女の視点の違いからか、微妙に違うお互いの教育観についての意見を戦わせたりできる。かれは私にとって、あらゆる意味で、身近な同僚だ。こだわりがないとはいえ、「冷めている」タイプの人ではなくて、むしろ、しっかりと理想の教師像や教育観をもち、それに従って業務をこなす(この言い方は、〝聖職たる〟学校教員の職業倫理に鑑みて、ふさわしくないのだろうか?)、教職への熱意という点では、私には羨ましいくらいある人だ。

 私などより、先生という仕事は匡彦にこそ向いていると、私は思っている。子供たちの前では喜怒哀楽をはっきりと表現するタイプ、褒めるときは心から褒め、叱るときは目いっぱい叱る、要するに子供に好かれるタイプの、明朗闊達な雰囲気の大人で、母親たちからの評判も総じて良いと聞く。一方で私は、子供に対して感情をうまく吐きだせずに、悔しい思いをしたことがこれまでに何度もある。私の感情は匡彦ほど真っ直ぐでなくて、広いグラデーションの間を気弱に躊躇いながら、あっちへこっちへ往き来している感じ。子供のピュアな感性のアンテナは、兎なんかよりもすばしこく、移ろいやすくて、停滞する私の心ではすぐに追いつけなくなるのだ。子供は大人の純粋を意識せずとも嗅ぎ分ける。匡彦がそばにいるとき、私は目の前の子供たちへのイニシアティブを彼の存在にすっと持っていかれるような、教師としての力量の差を感じることが多々あった。とともに、彼に対する敬意も、すくなからず、いだいていた。

 私はジャージの袖を肘下まで勢いよくまくりあげて、更衣室の扉を開けた。戦闘態勢、オーケー、と、自分を奮い立たせる感じ。奮い立たせなければやっていけないのが、私にとってのこの職業だ。おかげでジャージの袖はすっかり伸びてしまった。これではまるで匡彦だ、服装の見た目という負の部分だけが匡彦に似てゆく。

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 匡彦と男女の仲になったのは、夏休みがあけたばかりの、まだ夏の名残りを充分に残した、九月の熱い日のことだった。

 夏休みは、学期中よりは教員は多忙ではなくなるため、普段は仕事のことでいっぱいの私の気持ちのなかに、別のなにかを受け入れる余白が生まれていたのかもしれない。私自身もほとんど意識しなかった、その余白に、すばしこく飛びこんできたのが匡彦だった。

 八月の最後の金曜日、子供のいない学校で粛々と仕事をしていた私のもとへ、匡彦はやってきて、妙にぎこちない調子で話しはじめた。その何気なさを装った会話の途中、おそらくははじめから意図していたのであろう、食事の誘いを私は受けた。「今夜」と言われたので、そのときはなぜか、用もないのに用があると言って断った。普段ならそれで終わるところを、来週の土曜日なら、と言って私は同僚の好意を受け入れた。気持ちの準備ができるなら、乗ってみるのもいいかもしれない、と、子供のように純粋な男の人の誘いに対して、思ったのだ。

 当日は、二人とも週明けまでに終わらせたい仕事が残っていたために、昼間から学校へ行った。日差しは九月というのにまだ夏のそれで、じりじりとして痛いほどだった。校庭ではにぎやかに蝉が鳴いていた。私は重たい疲労をまるで分厚いギプスのように、汗ばんだ体に括りつけて、ぜえぜえ呻いていた。

 疲労の原因は、その週、ADHDの弓本くんが不安定で、席を立ったり、集中力がまったく持続しない場面が多くあったりしたこと。それだけなら慣れたことなのだが、それに加え、弓本くんを意識的に困らせてやろうという、いわば「いじめの種」のような出来事が、クラスのほかの子供から立てつづけに報告を受けたのだ。私はその対処で困憊していた。

 私の、夏のあいだにできた「余白」は、たちまち仕事のことでいっぱいにされたと思った。

〈つづく〉

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