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人生の基準をどこに置くか?

おはようございます。
昨日知り合いに誘われて、体験型脱出ゲームをしてきました。

その感想はまた後々述べるとして、脱出ゲームを体験したことも楽しかったですし、その後初めましての方々と交流したのも楽しかったです。

■人生の価値をどこに置くかはいろいろとある

以前、有名ラノベ作家さんの逸話を聞いたところ、その方は一日中小説を書いているそうです。

ゲームなど他の娯楽もせずに、ただひたすら小説を書いているそうです。

だからこそ、テレビアニメ化やたくさんの連載を得ているそうです。

ですが、その代わり、その作家さんはそれ以外のものを捨てています。
旅行やゲームといった時間の代わりに、全てをラノベに捧げています。

オリンピック選手や人気アイドルもそうですが、何かを得るために他のものを全て犠牲にしています。

それでも夢や目標を達成するために、全ての時間を費やしています。

もちろんそれが彼らの望みである以上、他人は否定などできません。

ただ、ゲームや旅行、友達の飲み会などにも時間を費やした人たちは間違っているのでしょうか?

それはそれで友達との交流やゲームで遊んだ体験、旅行の体験は、特別な時間になったと思います。

例えば、高校三年生の夏休み、受験勉強で志望校合格するためにずっと予備校に通うことと、貴重な高校三年生の時期に恋人や友達と思い出作りすることと、どちらが正しいか?と言われたら、それはその人それぞれだと思います。

■自分の人生はどこを基準に置くかを決めないと、周りに流されてしまう

私自身はやっぱり仕事で結果を残したいですが、それ以外にも時間を費やしたいです。

一度しかない人生で、ひとりで自宅にこもって黙々と原稿を書くだけの人生は嫌です。もっといろんな体験がしたいです。

自分の仕事をきっかけとして、いろんな方々と交流したりいろんな体験をしたりするのが私の楽しみのひとつです。

昨日、脱出ゲームのお誘いを受けて、新しい体験をして本当に楽しかったです。そんな風に誘っていただけたことは、とても光栄です。

興味がない人からしたら時間の無駄に見えるかもしれませんが、自分にとってはとても貴重な思い出となりました。

やっぱり仕事以外にもいろんな体験がしたいんだなと自分は思いました。

あとは、自分は貴重な青春時代に勉強よりも思い出作りに時間を割きたいタイプですね。失った青春は二度と戻ってこないので。

■自分の価値基準を決めないと、SNSに惑わされる

そんな風に世の中には、様々な価値を持った人たちがいます。

小説に興味がある人とない人
絵をずっと描いていないと死んでしまう人
ほどほどに子どもとの時間を大事にする人
推し活を全力で楽しむ人

近年のSNSは「書籍化したい」などとひと言つぶやいたものなら、オススメには作家志望さんやプロ作家さんの「書籍化のためには」とか「アニメ化決定」とかのつぶやきや記事が山のように出てきます。

それで同じような価値基準で話をしています。

そうすると、それが世界の全てのような気がしてしまいます。

でも、昨日出会った方々は異業種の方々で、自分とは違う世界や価値基準で生きている方々ばかりで、お話していてとても楽しかったです。

自分はひとつだけのことに打ち込むだけではなく、もっともっとこの世界をいろいろな角度から楽しみたいです。

もっといろんな業種や考えの方々と交流したいのです。

■最近視野が狭くなっていた

そんなわけで、最近はSNSで同じ業種や似たような考えの意見ばかり見ていたせいで、「こうしなくちゃ」みたいな考えに囚われていた気がします。

みんなが宝石を持っていると、本当はほしくないのに、その宝石がほしくなってしまうみたいな?

あらためて自分の人生をどう生きたいかをよくよく考えて活動していかないといけないなと思います。

そうしないと、自分の人生を振り返った時に、「ほんとにこれが自分がやりたかった人生だっけ?」となってしまいます。

最後までご覧いただきましてありがとうございました。


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