
この映画観た?〜ある男
日本アカデミー賞の最優秀作品賞を受賞した
「ある男」
1番近くの映画館で上映していたのでさっそく観て来た。
解説・あらすじ
映画化もされた「マチネの終わりに」などで知られる平野啓一郎の小説を映画化。死後に別人と判明した男の身元調査を依頼された弁護士が、他人として生きた男の真実を追う。監督は『蜜蜂と遠雷』などの石川慶、脚本は『マイ・バック・ページ』などの向井康介が担当。主人公を石川監督作『愚行録』などの妻夫木聡、彼に調査を依頼する女性を『百円の恋』などの安藤サクラ、彼女の亡き夫を『初恋』などの窪田正孝が演じるほか、眞島秀和、仲野太賀、真木よう子、柄本明らが共演する。
弁護士の城戸章良(妻夫木聡)は、かつての依頼者である谷口里枝(安藤サクラ)から亡き夫・大祐(窪田正孝)の身元調査を依頼される。離婚歴のある彼女は子供と共に戻った故郷で大祐と出会い、彼と再婚して幸せな家庭を築いていたが、大祐が不慮の事故で急死。その法要で、疎遠になっていた大祐の兄・恭一(眞島秀和)が遺影を見て大祐ではないと告げたことで、夫が全くの別人であることが判明したのだった。章良は大祐と称していた男の素性を追う中、他人として生きた男への複雑な思いを募らせていく。
このあらすじからは この映画の本質は見えていなかった。
別人になりすまして生きた主人公の物語りなら宮部みゆきの小説「火車」を真っ先に思い出していたので、なりすまし自体に深い意味があり、それに纏わるストーリーなのだろうかと思っていた。
確かに、なりすました理由には深い意味があったが、今の私にはそれだけじゃない、この映画がから感じたことは
" 名前は単なる固有名詞であり、その人自身を表すモノでは無い、何も意味を持たないモノである。"
" 親子って何だろう。血縁関係って何だろう。
配偶者は離婚すれば他人に戻るだけなのだが、
子供は両親が離婚しても親とは縁を切れない。
犯罪者の子供や兄妹はずっとレッテルを貼ら
れて苦しむことになる。"
と言う事を思った。
その思考経路は、私が学んでいるワークでこんな質問があったことから来ている。
☆☆☆
"あなたは誰ですか?"
普通は名前を言うだろう。
シンプルな質問だが、これについてシェアした時に
名前は今世での記号であり仮の固有名詞。
私は わたし。
わたしは、今世で借りた肉体に入り込みストーリーを演じているだけにすぎない。
と、言うような考え方を知った。
この映画は、その考え方に通じるものがあると感じた。
名前も血縁も
単なる記号、今世での仮の姿。
私はわたし。
誰かのママでもパパでも妻でも夫でも子供でも
無い。
私はわたし なのだ。。。と。
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