2月

2月はたくさんの人に誘いをもらった月だった。
久方ぶりに、高校を出てから4年働いた職場の先輩が飲みに行こうと誘ってくれた。その次の職場で仲良かった人たちといちご狩りに行こうと計画していた。趣味を通じて知り合った友達が、また遊ぼうと声を掛けてくれた。高校時代の友人とご飯を食べに行く約束をした。そのどれもを、断った月だった。

祖父が亡くなった。突然だった。

わたしが生まれて記憶がない頃からずっと同居していた。両親は共働きで土日も仕事で出掛けていることが多かったので、必然的に祖父母と過ごす時間が長かった。妹との二人遊びに飽きると、祖父は私たちを軽ワゴン車の後ろに乗せて田舎道をゆっくりドライブしてくれた。行き先は大抵祖父の実家で(祖父は婿養子だった)、当時はそれが誰の家なのかさえもあまり理解してなかったけど、平屋のすみに飾られた日本人形の艶々とした黒い髪がなんだか怖ろしかったことは覚えている。祖父は縁側で煙草を吸い、行くといつもいるおばあさんとぽつぽつと話をしていた。帰り際におばあさんが毎回持たせてくれる寒天ゼリーのことがあまり好きになれず、それはなんだか酷く申し訳ないことのように思えて言えなかった。

祖父のワゴン車では、いつも知らない演歌がかかっていた。当時はもうCDも普及しきっていたと思うが、演歌はカセットテープに録音されて売られているもののようだった。車にはいくつかのテープがのせられていて、ひとつを聴き終わると次のテープに入れ替え、それが終わるとまた次へといった具合に、ドライブ中知らない演歌を次々に聞いた。ループを繰り返すうちにいくつかの歌を口ずさめるようになった気がするけど、どんな歌だったかはもう忘れてしまった。

小説を読むのが好きで、いつも和室で大きな老眼鏡をかけて座椅子に座り、静かにページをめくっていた。ミステリーやサスペンスものを好んでいたようだったけど、祖母はいつも「あんな人が死ぬものばっかり読んで」としかめっ面をしていた。

和室の障子は、祖父が張ったものだった。広くはない家の庭に台を置き、その上にのせた障子の枠に大きな刷毛で手際よくのりを塗る。障子紙を丁寧に伸ばしながら枠に貼り付けると、余った紙の端をまっすぐ切り落とす。シワひとつないそれに穴をあけては怒られたけど、祖父がまたすぐ張り直してくれることは知っていた。

誕生日やクリスマスになると、祖父はいつも服をプレゼントしてくれた。パジャマだったり、スカートだったり、ダッフルコートだったりは、だからいつも妹とお揃いだった。ピンクや水色のそれは、小学校も高学年になると趣味が合わなくて、もらっても着なくなってしまった。気付くと祖父からのプレゼントはとまっていた。

晩年、目が悪くなって免許を返納し、車の運転をやめた。老眼鏡をかけても追い付かなくなり、小説を読まなくなった。代わりにラジカセで聞き始めたラジオは、日に日に音量が上がっていった。足腰が弱くなり、座椅子に座っている時間が増えた。やがて日中でも座椅子で目を瞑って一日を過ごすことが増えた。それでも、朝昼晩としっかり食べたし、煙草はやめなかった。

お風呂で倒れて、気付いた祖母の指示通りに救急車を呼んで、病院に運ばれて、それきりだった。
寒い寒い土曜日の夜、祖父は帰らぬ人となった。

前の日の晩、いつも以上にゆっくり時間をかけてご飯を食べていた。いつもは無口だが、祖母との口喧嘩の時だけ饒舌だった祖父が、いつも通り祖母から熱いお茶を受けとると、ありがとよ、と言った。

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